mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

手探り

2023-05-26 08:10:52 | 日記
 一昨日記したようにPCが壊れた。とりあえず旅のとき持ち歩くために用意していて、一度も使っていなかった小さいノートパソコンを引っ張り出して、四苦八苦しながら使いはじめた。何よりこのモバイルPCはchromebook、これまでのマイクロソフトとシステムが違う。文字入力ソフトもこれまで使っていたやつを入力することができない。保存もクラウドを使うらしい。いやなにより、キーボードにファンクションキーがないとかデルキーもないとか、違いが大きい。文法が違うのだ。どうすればいいか、その都度立ち止まって思案する。保存も、どうやるのか操作手順がわからない。タイプしたものを印刷しようとして、プリンタは指定したものの、操作しようとしても「保存」キーが浮き彫りになって、「印刷」へ進まないで困った。
 あれかな、これかなと手探りでやっていて、ひょいと作動する。ふむふむなるほどと一つ一つ確認しながらすすめる。だが、あれこれやっているうちに、さてさきほどはどうやったんだっけと忘れている。いつだったか遊びにきた高校生の孫に聞いたら、ああこれは学校で使ってたのと同じやつだとさかさかと操作説明をしてくれた。だが、それも聞いてるうちはふむふむとうなずいて聞いたが、思えば目に止まらぬ速さで、覚えるにはムツカシイ。この若い子たちは、どうしてこうも簡単に慣れ親しむように手指が動くのだろうか。歳のせいにしてしまいたくなるほど、こちらはいちいち頭で考えなくては記憶に残らない。
 ここまでで、欧米流に頭がヒトの最高司令部だという言説は間違っていると言いたくなる。多分孫たちの若い世代は、生まれたときからデジタル機器に取り囲まれ、その操作のおおよその手順が身に刻まれている。ちょうどどのキーを押したらカタカナになるとか漢字変換の様々が閲覧できるとか、そう云う手筈のすすめかたが、覚えるというよりも実の習いになっている。言葉を覚えるように、まず意味も訳もわからずにデジタル機器操作の手順がシャワーのように浴びせられ、それを身のうちで文@ポウとして一般化していったのが、若い世代。ところが私たちアナログ育ち世代は、それを一つひとつ頭で覚えていって、習熟して見の習いにして初めて、デファクトスタンダードだと身に刻むことができる。若いうちに習熟するというのは、そういう特権のもとにある。
 この文章のプリントアウトするとき、「書式」を操作する箇所がない。行数や一行の文字数、上下右左のスペースを思うように設定することも、どうやったらいいか、まだわからない。この高齢になって、子どものように一つひとつを身のうちに文法化することの困難さに直面して、参っている。明後日にはseminarがある。それに用意する「次第」もこうして私の練習台になっている。

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