mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

アレしてどうした?

2023-09-15 05:52:00 | 日記
 タイガースがリーグ優勝した。阪神-巨人戦は、大山の犠打、佐藤輝のホームランで、昨日と同じ展開かと思われたが、なかなかどうして。巨人も岡本と坂本のホームランで追い上げ、4対3と切迫して、阪神が逃げ切った。面白かった。
   ベンチを観ていると若い選手ばかり。9回ワンアウトなのに、もう飛び出さんばかりに身を乗り出している。もうアレを待ちかねているようだった。ま、そりゃあそうだ。年寄りは監督とかコーチ陣だけ、野球そのものが若者のゲームだからね。観ているこちらが年寄りなのだと、振り返る。
 70年来の虎ファンも、そこでおしまい。ワタシにとってプロ野球ファンであるというのは、試合経過のハラハラドキドキが面白かったからだと、いまさらながら思う。結果としての勝ち負けはどっちでもいいのだが、最初からどっちが勝っても構わないと思っていると、ハラハラドキドキしない。つまり、御贔屓をもつことがプロ野球ファンの第一条件、それがあってその次に「いい試合」を観ることが来る。
 子どものころから野球は三角ベースやソフトボールに親しんでいたが、どちらかというと高校野球の甲子園が入口だったように思う。明治生まれの父親が母校の出場試合をラジオで聴きながら商売をしていたから、その球場の名前の縁で阪神ファンになったようなものだった。新聞やラジオも自在にならなかった地方の町に住む子どものプロ野球情報は、学校でのお喋りと月刊の少年雑誌に頼っていた。その話題と記事の書きようで一喜一憂していたのは、ファンというよりはプロ野球に触れているってことが、子どもの関係のステイタスだったってことか。だから、一つひとつの試合の勝敗が気に掛かるとか一球一打にハラハラするってことがなかった。今の大谷翔平の一挙手一投足よりもぐ~んと距離が遠く離れていた。それはたぶん、ファンとしてのプロ野球選手との距離感も、好みの傾きも違っていたろうと思う。野球というゲームの面白さをどう感じていたかも、違っている。今はヒトの身体性の高度化を観ている。
 朝になって新聞を見ると道頓堀界隈は三密の大騒ぎだったらしい。甲子園の近くに縁ができてから、高校野球を観に行ったりした。後楽園や西武球場のチケットをもらって「阪神戦」を観に行ったこともあるが、御贔屓条件を満たすだけの阪神ファンは、群れて騒いで川に飛び込むような熱烈さは、まったくない。18年ぶりと騒ぐのも、「大阪都構想」をぶち上げて、昔はこちらの方が経済的な雄だったんだよと誇示したい関西人の「反東京気分」を感じているに過ぎない。でも、ここまで言うと、ただのプロ野球の話ではなくなって、人生の浮き沈みを重ねてみているファンになるから、実は野球とも少し離れてしまうってワケだ。でもこのチームとの距離感が、阪神ファンには面白いんだね。
 昨日は「アレ」の呪縛を(岡田監督は)解いて、優勝を祝ったとどこかが報じていた。こちら昔日ファンは、(ここまで来ていたんだ、勝って当然)だからどうしたというくらいの気分である。むしろ、優勝が決まって後、消化試合になったら負け込むんじゃないか。そりゃあつまんないぜと思っている。アレをシリーズ優勝にするくらいまで頑張ってほしいね。なにしろ、交流戦では随分負け込んでいたんだから。

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