mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

高野山への旅(3)極意の発祥地――女人堂巡り

2024-05-28 08:26:33 | 日記
 高野山3日目。ぐっすりと寝た。目が覚めたのは朝5時過ぎ。24時間温泉なので、風呂にゆく。誰もいない静かな湯船にゆったりと浸かって、身体のチェックをする。ちょっと太腿に筋肉痛があるかな。
 カミサンは朝の勤行に出かけていった。勤行にはずいぶん外国人がいたそうだ。お坊さんも、ナマステとかボンジュールとか言って、お接待していたという。
 朝食を済ませ、半分ほど荷物をフロントに預けて、8時頃出発。今日は、宿に近い不動坂口女人堂跡からスタートして、7ヶ所ある女人堂跡を経巡る。
 昨日、町石道を上がってきて大門から奥之院御廟まで歩いた。それが、高野山の中心街。女人堂跡のルートは、その中心部の周縁を巡る、謂わば高野山の外周コース。かつて女人禁制であったために、高野山への上り口7ヶ所に女性のお籠もり堂を建ててあった。彼女らはここまで来て祈りを捧げたという。その御籠堂「跡」7ヶ所を巡る周回路がルートになっている。ほとんど山道。もちろん今は高野山のハイキングコースになっている。一度、奥之院に近づいてから、その裏側に回り、高野三山を上るルートが、紹介されている。高野山中心部の標高は750mほど。三山の一番標高の高い楊柳山は1008mというから、ま、ちょっとした丘である。
 出発点の不動坂口にだけ女人堂がのこる。車道を渡ったところに小さな木製の標識が立てられている。中央に現在地「女人堂」と記し、左に「←転軸山」、右に「弁天嶽→」とある簡素なルート表示。「高野山女人道」とルート名を表記して、①と番号が振ってある。これが一回りすると16km、57番まである。この標識に「Nyoninmichi」とアルファベットもつけてあるので、「にょにんみち」と読むのだとわかった。
 人気はほとんどない。二人の先行者に近づき、ペアの外人トレイルランナーが追い越していっただけ。奥之院までの4時間ほどの間に二度、車道を歩く。静かな散歩であった。
 道はよく践まれていて歩きやすい。先程のトレイルランナーも、これなら走るのに登山道ほどの危険も不都合もない。高野七口と呼ばれた山への入口でもあったというから、女人だけでなく、参詣人も僧侶も荷運びもここを通過したのであろう。
 スタートして2時間ほどの轆轤峠(ろくろとうげ)の下は国道のトンネルが抜けている。でも音が聞こえるわけでもなく、深い樹林に囲まれて山の林道を歩いている気分だ。カミサンは花や草木をみながら進む。下り斜面も急でなければ不安定ではない。ま、この程度は歩けると、百名山踏破の自信を思い起こしているのであろう。
 大峰口女人堂跡を通過したのは11時頃。「高野七口女人道」と、番号のない小さな標識に、火の用心と付け足している。そうだね、一旦火災になると山頂台地の盆地のようなところは、全焼してしまう。そういえば昨日歩いた奥之院への参道沿いの墓所には「火消し」の纏を模した墓石があったと思い出す。
 1200年を超える時代を経て、これだけの街を維持するには、ただ単に信仰の力と言うだけでない生活力と知恵が必要だなあと思って、そうだ、そこにこそ空海の極意があったと、思い起こした。密教と呼ぶが、四国お遍路を歩いた私の経験的感触は、普通の庶民には思いも寄らない宇宙と大自然の節理を捉え、水脈を掘り当て、病をいやし、土地の改良や開墾などの土木工事をも設計施工する八面六臂の活躍をしたのが、空海であった。その摩訶不思議と思われる「知恵」を密教と呼んで、秘伝としたのではなかったか。まさしく、極意の発祥地がここだと思い当たった。
 高野山の「東口」と表示のある木製の、古びて文字はにじみ木地は色変わりした表札があった。そこには、こう記してある。
《大和口又は大峰口ともよばれ吉野より大峰山、洞川、天川を通り高野山へとつながる修験道の道で弘法大師がはじめて高野山へ入ったのもこの道です》
 いやそうか、これは空海も高野山に初お目見えの入口なんだ。そう思うと、このルートを歩いて良かったと、なぜか信仰心のない私もうれしくなった。
 11時半、奥之院の駐車場に出た。お昼にして、草臥れ具合を聞いて、午後の行程を考えよう。レストランに入る。ずいぶん沢山のメニュがある。カミサンはグリーンカレーがお好み。じゃあ私も、滅多に口にしないデミグラソースのハンバーグにしよう。おいしかった。量もずいぶん多かった。満腹。何となくこれで、歩き続ける気力が重くなったかな。
 カミサンは、奥之院御廟をもう一度みたいという。高野三山を省けば、ここから最後の女人堂跡までのショートカットルートがとれる。じゃあ、そうしましょうと、ふたたび奥之院御廟へ向かう。カミサンが、シロアリの供養塔を見つけた。誰が設置したの? みるとシロアリ駆除業者の団体のようだ。そうだよね、それくらいしなくては、ヒトがいかにも敵視する正統性がみつからない。
 御廟から一の橋への道を辿り、途中から中之橋霊園へ向かう。そこから車道を歩いて転軸山公園前バス停から黒河口女人堂跡への道を辿る。疲れが出て来たのか、カミサンの歩度が遅くなる。住宅街を抜け、ふたたび切り通しを抜ける。おっと思うと、高野町役場ではないか。とぼとぼ歩いているうちに、黒河口女人堂跡を通り過ぎてしまった。後から付いてくるカミサンの様子をみると、もう引き返そうというわけにはいかない。ま、いいか。
 ここから宿まではすぐであった。宿で荷物を受け取る。荷造りをしようとするカミサンに、それはバス停でやろうとうながして、近くのバス停に向かう。停留所の時刻表を見ると14時36分。やっ、1分前に行ってしまったぞ、と後ろから来るカミサンに振り返って言うと。「来た!」と手を挙げて指さす。向こうの角を曲がってバスがやってきた。いいねえ、こういうのって。
 バスは女人堂からは高野山駅までノンストップ。何でもこの道は南海電鉄が整備し、バスに乗らなければ通行できないという。たしかにクネクネと曲がり、右側は山、左側は崖、人家はない。こうして駅に着くと、すぐにケーブルカーの出発時間。難波駅までのチケットを買い乗り込む。五分ほどで極楽橋駅に着く。橋本行きが待っている。この電車が、九度山駅で15分の停車をしたのであった。
 電車は順調に難波まで運び、地下鉄の「なんば」までずいぶん歩いて乗り換え。そこから新大阪駅までは一本で行った。ここも地下の賑わう商店街を長い距離を歩いて通り抜け、乗り換える。始発の新幹線は18分ほどの待ち合わせ。夕食の駅弁とビールを買う。喉が渇いていることを、このとき自覚した。
 電車が発車してから食した夕食は、ビールも含め、どうしてこんなにおいしいのだろうと思うほど、満ち足りていた。ゆっくりと食し、何と米原に着く手前までの、豊かなあなご飯とビール。隣のカミサンも小ぶりの缶を開けてご満悦の様子であった。
 もちろんこれが、高野山を満喫した成就感によるものだとはわかっていた。何しろ歩くだけで、1日目約9km、12500歩、2日目約24km、32600歩、3日目約22km、29000歩。歩きに歩いた。四国お遍路を通して私が感じとった「さとり」は、「歩くしか能がない」であったから、もう歩いたことが生きている証し。それを高野山でも堪能したのである。まさしく「満願叶った」と言っていい。
 ありがとう空海さん。信仰心がなく、ごめんね。でもね、あなたのことは、十分以上に尊敬申し上げていますよ。同じ香川県の生まれ。それだけで、誇らしくもわがコトそのもののように自慢している。
 そう、思うともなく感じながら、無事に帰着したのでした。