mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

「生苦」の哲学的捉え方

2024-05-06 06:01:04 | 日記
 昨日(5/5)の記述に続けます。
《小松原織香は、石原吉郎にも言及して、「加害-被害」の入れ籠状になった我が身のデキゴトを、加害者性を手放さずに(加害者から脱落して)被害を見つめる視線に触れて、こう締めくくっています。「そのとき、加害者と被害者という非人間的な対峙のなかから、はじめて一人の人間が生まれる」/う~ん。この言葉の響きがワタシの胸中に伝わり、そこで取り出された「死の単独性」という言葉の振動が、しばらく鳴り止みませんでしたね》
 突然「死の単独性」という言葉が飛び出して締めくくっては、なんだこれは? という疑念を取り残して捨て置くようなことですものね。書いた自分でも、はて、コレは何だっけと思わないでもありません。そこへちょっと踏み込んでみましょう。
 石原吉郎の《加害者性を手放さずに(加害者から脱落して)被害を見つめる視線》て、何だろう。石原吉郎はWWⅡの敗戦時にシベリアに抑留され、帰還して詩を書き、静かに暮らした方です。シベリア抑留時の苦難は生還した方の言葉がいくつか残っていますが、それを私は、ワタシの親世代の日本人が行った「大東亜戦争」のすべての所業を一身に背負って来た姿と考えていました。シベリア抑留だけでなく、ガダルカナルでもニューギニアでも、フィリピンでもビルマでも、日本軍が出張って戦争を遂行したところで行ったすべてのことの「罪」を背負って、敗戦後、あるいは刑死し、あるいは放置されて飢餓に果て、あるいは抑留されて艱難辛苦を味わったと考えていました。
 戦中生まれ戦後育ちの私・ワタシはイノセントと無意識に位置づけていたことは間違いありません。とは言え、WWⅡの最後の3年間を身に刻んで過ごしてきたことにはじまり、戦後の過程を経てくるときに、「侵略戦争」「戦争責任」「被爆体験」「押しつけ憲法」ということばで語られる「戦争」の「加害-被害」関係の遣り取りから自由であったわけではありません。その都度、実感的に我が身の嗜好を無意識のベースにして、我が思考を言葉にし、とりあえず我が志向として振る舞ってきました。でも、「加害者」は親の世代、「被害者」はワタシたちという振り分けをして、無意識に自らをイノセントな位置に置いていたのではないか。どこかでそう感じていました。それが、戦争を巡るメディアや論壇の遣り取りに、拭いきれないわだかまりを持ち続けてきた理由だと思います。
 石原吉郎の詩編を《加害者性を手放さずに(加害者から脱落して)被害を見つめる》と見て取る小松原織香の視線は、ワタシのわだかまりに、ひとつの決着をつけてくれるように思えました。シベリア抑留という苦難は、間違いなく「被害」的な事実です。でもそれを訴えることができないと(自らに)断念することを「加害者性を手放さずに(加害者から脱落して)」と小松原は表現しています。石原の思う「加害者性」が、「大東亜戦争」と呼ぶ国家的戦争行為の統治者の恣意であっても、それに順い戦争に「加担した」関係の絶対性は拭えません。シベリアの抑留というのが、敵対国家のやはり恣意的な行為であったとしても、それを難詰する資格が(オマエにあるのか)と自問すると、沈黙して引き下がるしかないというのを、小松原織香は「倫理的」ととらえています。
 敗戦後の「日本国憲法」を「押しつけ憲法」と誹る人たちは、「被害体験」としてそれを弾劾するけれども、その成立過程の発端に、日本の「大東亜戦争」を選び取ったという国際関係の意志があったことを、棚上げしています。でもそんなことを言うと、「大東亜戦争」は欧米の帝国主義的支配に対する後発国の抵抗であったと言えなくもありません。つまり、歴史のどこからを始発点に採るかによって、あざなえる縄の如くに因果が巡る「被害-加害」は韻を踏み、アナロジカルに繰り返しているのです。その繰り返しを「輪廻」と考えたら、そこから離脱する道筋こそが「倫理」的と言えるかも知れません。でもそれは、たとえば「被爆体験」の象徴のように「繰り返しません、あやまちは」と、人類全体を背負ったように中空から言葉を紡ぎ出すほかないのかもしれません。ヒトは沈黙するしかないのです。
 そのどこに普遍的な「倫理」を考察する立脚点を見いだすことが出来るでしょうか。もしそれを普遍的に表現するとしたら「一切皆苦」とか「生苦」と、視点を文字通り中空において仏の目を仮構しなくてはなりません。神の目を言ってもいいのですが、「神(絶対神)」はヒト=人のことに構っていません。ここはやはり、「仏」でなくてはならないのだと我が身は感じています。ヒトは「加害者性を手放さずに(加害者から脱落して)」生きるしかないのです。その誠実な態度は沈黙です。ただひたすら、「一切皆苦」「生苦」を、切り取った因果の断片を、その端境をくっきりと際立たせながら、わが身の心裡を紡ぐしかない。そう石原吉郎の生きた形跡を「倫理的」と結び合わせている。哲学者・小松原織香の言葉を私は、そう受け止めました。
「死の単独性」は、その石原の倫理的在り様を象徴することとして、今肝に銘じているところです。これはワタシの、今踏みしめている起点でもあります。