mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ガイジン嫌い

2024-05-10 08:40:15 | 日記
 昨日(5/9)、ささらほうさらの月例会。お題は「動物界と進化レポート・補足」。去年来、生物の発生からはじめて、細胞形成が行われ、DNAやRNAという精妙なメカニズムが作動してミトコンドリアの蠢きがみられる30億年ほどの単細胞時代を過ごした生命体の流れを、さらに次へ進めようという意欲的なレポート。もう古稀を過ぎて若くはないワカサさんが得意の電子的情報収集をして、A4版22ページの「資料」を用意してきた。
 その冒頭、「すべての生物細胞に共通する遺伝子」に触れて、鏡像異性体(エナンチオマー)の説明から入ったから、鏡に映った虚像と実像があるという対比と受けとって、「虚像」という分子の存在? 生物にしか存在しない分子のソレは、実体なのか虚像なのか,何処に存在するのかと、いきなり迷路に入りそうになった。
 ワカサさんは動じることなく、「サリドマイド事件」を例にとって、実像のLアラニンと鏡像異性体の鏡に映った部分・Dアラニンとを混在させた鎮静剤(睡眠薬)をドイツでつくって販売したが、アメリカのFDA(アメリカ食品医薬品局)は、Dアラニンを用いることに疑念を抱き販売を許可しなかったために薬害が起こらなかった。たいしてヨーロッパでは数千人のサリドマイドベビーが誕生し、そのヨーロッパの薬害が公表されてから1年も遅れて日本は、サリドマイドの販売を禁止するという為体(ていたらく)であったと、事件の経過をつけ加えた。
 どうして、厚生労働省は1年も放置したの?
 う~ん、わかりません。一度承認して許可したものだから沽券に関わると思ったのかなあ、と話の筋道が逸れ、あ、そう言えばと、私はすっかり別のことを思い浮かべていた。

 何でもアメリカの大統領バイデンが「外国嫌いの日本人」といったことに外務省が抗議をしたってこと。アメリカもどう対応していいか、困ったんじゃなかろうか。
 その報道を耳にしたとき私は、えっ、どうして抗議なんかすんの? と思った。だって、実際,日本がやってることって、そうじゃないか。ヨーロッパの1割くらいの定住外国人がやってきただけで、忌避反応を起こし、彼らの家族は受け入れないとか、難民申請も極端に厳しい。不法残留者をまるで犯罪者のように扱って恥じない。日本人は基本的に「ガイジン嫌い」と「移民の国」アメリカのバイデンが感じていても、何の不思議もない。
 では、どうして外務省は「抗議」したのか。「誤解を受ける」と思ったらしい。だが、事実の率直な感想(表明)をなぜ、「誤解」というのか。
 私は1年前の、BBC東京特派員氏の日本を去るに当たっての感懐文書を思い出した。その文書に対して、八十路の同期生たちの何人かが、ガイジンにあれこれ言われたくないと反発したのだ。子細は、このブログ(2023-05-09)の記事、「他者と失われた三十年」をご覧いただきたいが、日本の低迷する要因の一つを人口減少とみて、なぜ日本人はガイジンを受け入れることを忌避するのかと問う(日本を愛する哀切な)文章であった。なぜそのようにガイジンを忌避するのかに(反発する)彼らは応えることがなかった。
 外務省のエリートたちも、たぶん同じではなかろうか。ガイジン嫌いというのは外から見た印象。彼ら自身はまったく気づいていない。どころか自分たちは、ガイジンを歓迎し、インバウンドを図り、彼らと友好的に交わってきたし、これからもその路線を拡大していこうとさえ思っていると、たぶん、確信している。それなのにバイデンのように言うと、まるで日本は閉鎖的な国のように見えるじゃないか。同盟国としてそのように日本を捉えるのは、正さなければならないと正義感に燃えているかも知れない。
 去年の私は、同期生の心情的ガイジン嫌いですっかり落胆し、それまで11年ほどやってきたseminarを閉じたほどであった。
 外から見たら、まして移民国家アメリカからみたら、ガイジン嫌いというのが適切なほど、日本のコミュニティはガイジンに対して冷たい。冷たいというのは、しかし逆に言うと、畏れを抱いていることでもあり、畏怖の思いも込められている。自分たちと異質なガイジンに,大いに興味関心を抱きはするが、用心してかかることを忘れない。そういう無意識が身に染み付いている。
 どうしてそうなったのかは、一口では説明できない。海に囲まれて自ずとそれなりの纏まりを保つように見えた一体性が、外からの異質な文化の侵入に対して好奇心に満ちあふれた歓迎の思いと、警戒心に満たされた用心深さを培ってきた。その総合的な結果が、外からのコトやモノは喜んで受け入れるが、ヒトやフルマイは,一つひとつ吟味してかかるクセを身に付けた。そういうしかないほど、無意識に染みこんでいる。
 これはしかし、外と内という切り分けであって、外部の人と身内という切り分けにも通用する無意識である。だから、田舎へ移住する都会者に対する好奇心と警戒心は、ガイジンに対するのと同じように韻を踏んで、発せられる。「失われた*十年」という、日本産業界の構造改革が進まなかった理由も、経営者や取り巻く株主や政治家たちの判断の根っこには、同じような身の無意識が働いている。それに気づいていないから、なおのこと、外からそれを指摘されると、キッとなって、強い相手には「誤解」といい、弱い相手には居丈高に排除反撃するという単純明快な反応を示してしまう。
 1980年代の、バブルと言われるほどの経済的昂揚を果たした日本のこと、とても無意識のガイジン嫌いのままではグローバル経済の場に居並んで、先進国面していることはできない。まして、とどめようのない人口減少に見舞われている。加えて世界は、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスティナやグローバルサウスと先進国の確執が、米中の覇権争いを軸に展開しようとしている時代である。
 これまでの課題であった「移民受け入れ」をするにせよ、「ガイジン嫌い」を自認して、その文化を保つようにガイコクとのお付き合いの形を緩やかにし、「かつて経済大国であったジパング」をウリにして、ひっそりと暮らせる小国に甘んじるか。そろそろ決断するときが来ているように思う。
 でもいずれにせよ、「ガイジン嫌い」という無意識を,しっかりと意識の俎上にあげてから考えていかないと、おバカな反発と言い訳をして、いっそうおバカな国と成り果てるよ。そんな心配をしている。