mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

アンビバレンツを生きるいい加減さ

2024-05-22 04:32:13 | 日記
    東洋経済オンライン(2024/05/17)の記事《「働き口がない」早稲田院卒55歳男性のジレンマ》は、何とも哀切である。ライターは「藤田 和恵 : ジャーナリスト」。
 表題の通り、職を得られない男の話。袖見出しに《美しい文章を操る能力と「振る舞い」のギャップ》と振る。取材を申し込むとまことに丁寧、古風な文章で許可が出た。
 この男性、大学卒業後新聞社に採用され、校閲の仕事についた。だが、「3と8、6と9といった外形が似た数字を取り違えてしまう。その結果、電話番号や日付、数字の多いスポーツ面などの誤りをたびたび見落とした」。
 その後大学院に入り、宗教学で博士号の学位をとった。30代の頃、台湾の大学で日本語の教師を務めていたが、「文法を体系的に教えることができず」、5年ほどでリストラされた。
 帰国後日本で、無住寺の僧侶になろうと修業をしたが、身体を動かすことはさらに苦手で、修業仲間からも「のろま」「クズ」と邪魔にされた。このとき精神科医の診断を受け、自閉スペクトラム(ASD)と診断された。50代になって、発達障害の診断を受けた。
 ここ数年の収入は、台湾の出版社から依頼された仏教書の翻訳で年100万円くらいの報酬と障害年金。母親の年金のお世話にもなっている。いずれそれに頼ることもできないであろうから就職したいのだが、発達障害が壁になって、仕事に就けないというレポートである。
 聞くだに何とも、哀切な話だと思った。集中力が断続するため、校閲の仕事が苦手というのは、身につまされる。私も早とちりしたり、手元が狂うように単純な間違いをしてしまう。そう思っているから、ときどき「数独」をやって、全部のコマがピタッと収まるかどうかをチェックする。ほぼすべてが収まりかけたときに、同じマスに同じ数字が二つ入っていたり、行を間違えていたりという、単純なミスをしていることに気づく。バカだなあと思うが、これが八十爺のワタシの性癖だと思うから、怒りもしない。落胆もしない。相変わらずだなあと苦笑いをして、新聞を閉じるばかりだ。
 人生いろいろとか、人それぞれだねとか、多様性の時代と人は言うが、それは口先ばかり。この55歳博士男のようなヘマを、のんびりと受け入れるような身のこなしはしていない。早くしろよと急かすか、オマエどけよと排除する。
 それは昨日のこのグログ記事「何を急ぐか、でも、テキパキを望む」のワタシもそうであった。ワタシの身のこなしは、時代を反映して「テキパキ」と反応することへと傾いている。車を運転している年上の友人が、助手席に座る私に「もどかしいと思うでしょう」と言われることもある。つまり私の身体から、せかせかした動きをヨシとするオーラがいっぱい出ているのかも知れない。発達障害かもと思うごとに、この無意識のアンバランスを思い起こし、ワタシっていい加減だなあとつくづく思う。
 今日はこれから、高野山へ向かう。四国お遍路の結願を報告し、高野山奥の院の御座所におられる空海さんにお詣りして「満願成就」の御朱印をいただきに行ってきます。麓から歩いて高野山へ上り、壇上伽藍、金剛峯寺、奥の院へとたどる。できれば7ヶ所あるという(女人高野の)女人堂跡を歩いてこようと、山頂の宿坊にも一泊する。カミサンが同道してくれる。
 ワタシのいい加減さが、はたしてどう移ろうか。身を天に任せて、では行ってきます。またしばらく、このブログ、お休みします。