mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

自然の摂理に出会す

2023-09-22 08:18:38 | 日記
 何時ころだろうか、カミサンが起きて寝室の窓を開ける。冷やい風がスーッと流れ込んでくる。この冷たさは20℃台の前半、やっと秋が来たな。
 そうだ、そういえば昨日は一日風が強かった。洗濯物が飛ばされそうになっていた。いつもなら、あちらもこちらも全開の窓を、半分以上にとどめて風の通りを押さえねばならないほどであった。
 うん? 雷が鳴ったのは、昨日のことか? それとも一昨日のことだったか? 寒冷前線がやってきていたのだ。
 気づけばもう彼岸に入っている。暑さ寒さも・・・っていう季節の推移は、大自然では従来通りの節理なのかもしれない。ヒトが冷房したりするから、その分大自然の気性/気象が荒れ狂っているだけってことか。まさしく人新世だな。
 今回の秋の彼岸は私にとって特別なキリになるはずであった。目下取りかかっている原稿が本となって出来上がってくる期限としていた。何しろ原稿を出版社に送って2年以上になる。ただ私の方も、手掌の手術などをして進行を中断していたりしたから、文句を言っているわけではない。どこかで期限を切ろうと思って今年夏に掛かるころに「秋のお彼岸までに仕上げたい」と提案したら、出版社の方もそれがいいと同意して、以来、それなりに運ぶことになった。
 でもまだ上巻の四校が終わったところ。下巻のデザインが遅れているという。加えて、とりあえず、上巻の五校をして下さいと、連絡が来た。えっ、五校までやるのかい、と驚いた。
 この出版社は、私の弟が、九年前に亡くなるまで一緒に事務所を構えていた友人がやっている。仕事の運びは、たぶん弟のやり方と被っていると思う。そういえば亡くなった折の「お別れの会」では、弟の仕事ぶりが緻密に過ぎて、それじゃあ赤字になっちゃうよと周りがしばしば心配したと話していたか。ま、きっちりとやる分には文句を言う理由はない。ただこちらは、お彼岸にできた本をいくつかの心当たりに恵贈してから、四国のお遍路に出発しようと考えていた。そうすると、あと十日ばかりで終了するから、私の80歳の間にお遍路も完結する、と算段していた。
 それが狂う。12日にはささらほうさらの月例会があるから、それまでには帰ってこなくてはならない。ということは、遅くとも9月29日には出発したい。だが如何に何でも、まだ下巻の四校が送られてこない。あと1週間で五校まで終えて印刷製本ができるとは思えない。それはそれで仕方がないと、諦めの早いのが私の特技。すぐに切り換えて、13日出発のお遍路日程を考えている。
 喜んだのはカミサン。27日の植物観察案内の「チェック表」の原稿をタイプしてくれともってきた。お安い御用と引き受けたものの、いつもカタカナ書き植物名に漢字表記も添えてある。ポンポンと運ぶ中に、みたことのない漢字が二つ並んでいる。カタカナ書きはメナモミ。「豨薟」。いやこれをここに打ち出すのにも、手間暇がかかっている。「豨」をデジタル辞書の漢和辞典の「手書き書体」を読み込ませて検索する。「豨突」、イトツという言葉が用語例として上げられ、これは猪突猛進のこと。「豨」は猪のことらしい。パソコンでは「い」で検索して何百字とある文字列を次々と繰っていって、突き当たった。次に「薟」。同様に「けん」で検索して、何文字目かに出逢った。「豨薟」でメナモミとの用語例も挙がっているから、私たちがふだん目にしないだけで、知る人ぞ知るごく普通の文字用語のようだ。いや、面白い人類史に出逢ったように思った。
 こうやっていると、本がいつ出来上がるかとか、お遍路へいつ行けるかなどは大したモンダイではないように感じられる。私の81歳になる前かどうかも、どちらでもイイことに思える。そんなことで気持をあたふたさせるよりは、こうした知らない漢字に出会して「メナモミ/豨薟」と「発見」することのほうが、面白いではないか。
 これを面白いと思っているワタシは、何をそう感じているのだろうと、さらに心中の奥深くへ入っていくわが関心の傾きを感じる。
 思わぬ遭遇がオモシロいのか。そうだね。知らないことを知るってことよりも、知っていることが、世間の「常識」のほんの一部に過ぎないってことを感じることの面白さが、ワタシの心の健康法として大いに働いているのかもしれない。これは、大自然に触れた原初の頃のヒトの「かんしん」と「おどろき」と、それらが働いてヒトの知的好奇心を刺激するクセを生み出した泉源ではないか。そう思うと、八十路老爺がいま、それと同じ地点に立っていると思えてうれしくなる。