mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

あと一勝

2023-09-14 08:58:19 | 日記
 阪神タイガースが転けずに進撃している。一度は点いたマジックが消えたとき、おお、またはじまったかと思ったのは、昔日ファンのタイガース体感であった。そういえば7月、オールスター戦に阪神の選手ばかりが顔をそろえたとき、ああ、ここがピークだ、これからいつものタイガースになると思ったものだ。ところが、甲子園球場が高校球児に占領される「死のロード」になっても、タイガースの勢いは止まらない。
 おっ、今年は違うかも、と思わせた。いや、そう思っていても転けるのが阪神。と、心裡のどこかで、ダメになったときのココロの準備をするのが、昔日のファン。つまり、常勝巨人と違って、どこかで転けてダメになる、そういう人の常に立ち会っていると、自己投影して臍を固める。勝て、勝て、と願いはする。他方で、いやそこまでムキになると硬くなる。今のままでいいんだ、だがここがチャンスだ、負けるな、勝てと願わずにはいられない。虎ファンの心持ちはまさしく、ソレ。それが裏切られたときのココロの用心もしておかねばならない。だって、オレって、そこまで強くないもの、とわが身故に知っている。もちろんそんなことを人には言えない。この葛藤がまた、堪らなく阪神を愛おしく思わせる。腹立たしくもあった。
 その阪神の報道をするスポ-ツ紙に「あれ」と文字が躍る。
 ん? 何コレ。
 優勝のことだと本文を読むとワカル。岡田監督が言い始めた言葉だという。「優勝」というと、負けがはじまる経験的な直感から、彼は選手にも取材にも、「ああ、あれ」と、心の片隅においてはあるが(まだ)気にしていないというふうに去年の監督就任時からつかっていたそうだ。昔なら、縁起担ぎといったであろう。だがたぶん岡田監督の心中では、もっと違う直観的判断が働いているとワタシは思う。
「優勝」というと、体が硬くなる。微妙に振るバットの角度や速さに変化が出る。意識するなといっても、さあここで勝てば「優勝」へさらに一歩進むと思うだけで、人の躰の無意識は微細に反応する。期待と悦びに溢れるとそれだけで躓いたり球を追う視線の集中が逸れる。グラブの土手に当たって弾いてしまう。つまり、それほどに身体の動きとココロとアタマで思うことに作用するコトバの関係は、微細で深い。簡略にいうと、思うように身を操ることができない。
 人の心身一如は、それだけ長年の蓄積を無意識に溜め込んで洗練されてきている。まして、プロスポーツ選手。鍛えに鍛えて集中力や体幹の軸の動き、一つひとつの反応が無意識にゲームに向かうようにしてきた。それだけに「優勝」というゲームの最終目標だけはピリピリと無意識に作用してくる。
 それを感じて岡田監督は「あれ」と偽装した(と私は思った)。だから縁起担ぎではなく、経験的に磨いた直感的な判断と考えたわけだ。
 プロ選手とは違うがふつうの暮らしをしている私たちも、「ことば」によって目眩まされてしまうことには思い当たることがある。これは楽勝と思った途端に気が緩んで、計算違いをしてしまうってことを、受験勉強をしているころにはよく経験した。そのときどきに向かい合っている「相手」を軽んじると、たちまちヘマをして失敗する。「相手」というのは人ばかりではない。山を歩いているときの道筋であったり、本を読んでいるときの表現なども、あれっ、 なんだったっけともう一度見直さなければならないほど、アタマを素通りしてしまう。プロ中のプロは、身の習いにするとともに、その身の習いがゆるみくずれるきっかけが何であるかを察知する。すごいなあと思う。
 昨日(9/13)の阪神ー巨人戦、TVを付けるとちょうど阪神の攻撃、0対0、しかも無死満塁、バッターは佐藤輝。一緒に観ているカミサンに「佐藤はね、力んじゃうんだよ、こういう所で、ホームランを打とうってね」と、ワケ知り顔に期待の裏切りへの予防措置を口にした途端、やった! やった! 走者一掃の満塁本塁打。裏切りを思ったことなど忘れてしまった。一挙4点。結局それで、勝負はついた。巨人も打てない。阪神もその後チャンスをものにできないで、9回表までいって、ゲームセット。
「あれ」まで、あと一勝。12試合も残して「あれ」を達成する。こうなりゃあ、言葉にしてもいいと思うが、まだ新聞は「あれ」と書いている。
 うんうん、そうそう、「あれ」はリーグ優勝ではなく、日本シリーズ優勝ってことに入れ替わっている。ふふふ。