mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ときはかし

2023-09-13 08:23:36 | 日記
 先日、本欄で「とき/時間」のことを「(社会的に)共有している空間の推移軸」と私は書いた。その私の概念をどう「権威」は記しているだろうと、大野晋『古典基礎語辞典』を引いた。「とき」を次のように解説している。
《トキは固まっているものがゆるみ、くずれて流動していく意の動詞トク(解く)と同根かとする大野晋の説がある。……現代では、概してトキを過去・現在・未来と、一直線に進むもののようにとらえるが、古くは、今あると思ったことが過去となり、やがて来るであろう未来が現前しているというように、次々に移り変わるもととしてトキを意識している。》
 あっ、と思った。大野晋は「空間の推移軸」ではなく、存在するものの推移軸としてとらえている。私は「とき」を身の外側にあることとしてみている。大野晋は存在の主体、身の内側の「とき」をおいている。これは、大きな違いだ。しかも、私の「空間の推移」というのが無機質なのに対して、「存在の推移」というのは、明らかに生きているものの「ゆるみ、くずれて流動していく」さまをイメージとして引きだす。これは「ことば」の発生時点へと思いを導く。外と内というふうに思い巡らすのは、すでに世界と我を超越的に俯瞰しているからいえることなのだ。大野晋は、むしろ、子どもが言葉を獲得するように、ヒトがことばをどのように紡いで行ったかを辿るように溯っている。そうか、専門家の作法には、そのような手順の積み重ねがあるのか。
 とすると、「とき」がこの列島に登場したのは、どのようにしてであったかと思いの視線は来し方の遠方へと溯る。生成AI・Bingに訊く。
《古事記において、「時」という概念は、主に神話の中で登場します。神話では、時は神々の行動や人間の歴史に影響を与える重要な要素として描かれています。例えば、以下のような場面で「時」が言及されています》
 と前振りをして、「天地が初めて分かれた時、高天原に最初に現れた神は天之御中主神という名前でした。/天照大神が岩戸に隠れた時、天地は暗闇に包まれました」と、旧約聖書の創世神話と同じような海と陸、夜と昼のイメージ誕生から説き起こしている(ようです)。でも、これでは「とき」の初源に行き着けない。そう思っていたら、大野晋の辞書には、「ときはかし」という項目があるのに気づいた。
《創世神話で黄泉の国から地上に逃げ帰ってきたイザナギが禊ぎをしようとした時、投げ捨てた御袋から生じた「時間」の神。……トク(締まって固まっているものをゆるくして流動できるようにする意。……日本人は「時」を、存在するものがゆるみ流動していくこととして把握していたという。》
《……イザナミとイザナギが絶縁することで、人間に死の運命が定められ、地上の生者の世界と地下の死者の世界とがはっきりと分離した。その直後に誕生した、時間の神(トキハカシ)……》
 おお、これだ、これだ。時間の神、「ときはかし」は「時量師」と表記されている。生者と死者の結界を設け、禊ぎをした時に誕生したというのも、意味深ではないか。死者が土に還るように「(身を)解き放つ」感触が視覚に甦り、おっ、この表現が「黄泉(に)還る」に通じ、禊ぎが「黄泉(から)帰る/甦る」に通じる。このときの「黄泉」は大地だ。ヒトは大地から生まれ、大地に還る。禊ぎはイザナギが死者の世界のケガレを振り払う儀式だ。こんな駄洒落が古事記時代に通じていたのかどうかは知らないが、現代の市井の民はそんなことにお構いなく、身の感触と言葉の近接感に好感を抱いている。
 そこで今度は、「ときはかし 古事記の記述」を生成AI・Bingに訊ねた。
《古事記において、時量師(ときはかし)とは、伊耶那岐神が黄泉国から帰還して禊をする際に、身に着けたものを脱いで化成した十二神の一柱です。時量師は投げ捨てた嚢(ふくろ)に成った神で、時を司る神や時を計る神という意味があると考えられています。また、解き放しや解き剝かしの意味もあるという説もあります。時量師は禊ぎと関連して、流し遣った災厄や穢れの神格化とする説もあります。時量師は他の文献では時置師神(ときおきしのかみ)とも呼ばれています。時量師は菓子の神や柑橘の祖神としても信仰されています》
 と、「とき」を訊ねたときの軽さから少し抜け出して、専門的な臭いを醸し出しています。「解き放し」という表現も、私と符節を合わせ好ましい。いやいやそれよりも、十二神というのが意味深い。時を十二に区分して十二支を当てたのがいつのことか知らないが、それと符節を合わせる数ではないか。いよいよ「とき」がこの世の変遷を世の記録にとどめる座標軸として姿を現した。私の「時間」に近い。
 このとき、私の手指のパソコン操作が何かに触れたのであろう、パッと画面が変わって《國學院大學「神名データベース」》というのが、表示された。よくみると、Bingの解説の原典へ、導いているようだ。
《伊耶那岐神が黄泉国から帰還して禊をする際に、身に着けたものを脱いで化成した十二神(衝立船戸神・道之長乳歯神・時量師神・和豆良比能宇斯能神・道俣神・奥疎神・奥津那芸佐毘古神・奥津甲斐弁羅神・辺疎神・辺津那芸佐毘古神・辺津甲斐弁羅神)の内、投げ捨てた嚢に成った神。》
 という。「十二神の一柱である時量師神」を詳細説明する道へと入っている。この後に、十二神全体に関するいくつかの説を紹介し、《この禊の段は、至高神天照大御神の出現の聖性の保証となる聖なる空間を作り出す叙述》と位置づけて、さらに、神名表記の違いなどに言い及んでいる。
 これをみていると、つくづくワタシが門前の小僧であることが告げられているように感じた。というのは、門内・境内にいる専門家というのは、一つひとつ出遭う「ことば」に関する住所登録をしておく人たちである。その人たちは、原典に当たり、この場合でいえば、古事記や先代旧事本紀という出典に目を通し、自ら確認して、次の階梯に足を踏み出すのだ。ところがワタシは、《國學院大學「神名データベース」》でさえ偶然に出会して目に留めただけ。まして古事記を読み直して自ら「言葉」の住所登録をしようという気持ちをもっていない。もちろんそれをするだけの能力もないと思うのだが、そういうふうにして専門家の言説がほどよく(わが身に心地よく)腑に落ちるところで探索を終了するってところが、門前の小僧だなと得心した。
 それにしても、この「とき」ということばの裾野の広がりはどうだ。人類史などと大風呂敷を広げなくても、列島住民の来し方の断片を外観するだけで、此岸と彼岸、その結界、禊ぎの意味、それが「時」に通じ、解きほぐし、ゆるめ、くずれてゆくさまをともなって分節化してゆく過程を浮き彫りにしている。面白いし、知らないことが多いとまたも思い知らされる。