mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

保守自民とリビアの洪水

2023-09-27 08:09:42 | 日記
 目下の物価値上げに対処するために岸田首相が行う「経済対策」を聴いて、国家の神髄がここにあるのかと感じた。「主婦の年収の壁」を越えた場合の税負担増をカバーした企業に「補助金」を出すという提案。
 なんて時代遅れのことを言ってんだこの人は、と先ず思った。いや、いかにも自民党総裁だな。自民党が固守する「家族制度」同様、相変わらず家庭は主婦が守るという「旧時代の制度(アンシャン・レジーム)」を護ろうとしている。今八十路の私にとってすら、若いころから税収の家族制度は障害物であった。当時流行の言葉で言えば「共稼ぎ」。いや「とも働き」だよとメディアでは遣り取りしていたが、要するに働いているカミサンは(ということは亭主である私にとっても)「税制上の主婦」の恩恵を全くといっていいほど受けなかった。共働きは独立自営業者ってワケだ。もし「家族」を単位とするのであれば、「共稼ぎ」の主婦だって税制上の優遇を受けたっていいのに、そういう税制を考えるってことをしてこなかった。そればかりか、新しい時代に即した「家族」を守るセンスをどこかに置いてきぼりにして、「旧制度の保守」を自認してきていると、常々感じた来た。
 長く税制上の優遇を感じてきたのは、所謂大企業の勤め人。50歳程の、1990年ころに大学の同級生と会って話していて、金融機関に勤める彼らの年収が私の4倍もあるということを知った。いやその後も2000年に近いころ、私の姪っ子が大手金融業に勤める夫と共にスペイン語の研修に半年くらい派遣されたとき、家庭を守る主婦もその企業の一員として遇されていると聞いた。なるほど海外勤務をする社員は家族まるごとだし、子どもを育てるのも海外ってことになると、謂わば生涯の生活設計を全部企業に委ねるようなことも必要になると思った。と同時に、生涯を国内で過ごす市井の民には縁のない話と思っていた。
 自民党とそれに連なるご一統さんがアンシャン・レジームにしがみついているのはわからぬでもないが、もうそういう時代は終わっている。「主婦の年収の壁」などという税金の制度は、ほんの一握りの人たちの「特権」といってもいいくらい。しかも首相は、その税制に手を入れるのではなく、その税負担をカバーする手当てをした企業に補助金を出すという。つまり古いインフラには手を加えず、まさに応急の対処療法を講じるとしている。
 ああ、国の古いインフラに手を加えず放置して目前のトラブルに目をとられる、こういう手法がリビアの洪水に象徴されていると思った。リビアは「内戦」で二つの政府が争っているという。だが、日本も考えてみれば、大企業とその他の企業、富裕者とその他大勢、GDPと国民の日々の懐、旧制度と現実の家族の姿、こういう二元論は(私の)好みではないが、でもそのように二分されたかのように世の中のことが推し進められ、庶民は懸命にそれに適応しようと生きてきた。
 そしてあるとき、百年に一度という大変動に巻き込まれ、砂漠地帯を襲った洪水で、政府が調うべきインフラがすっかり老朽化していることに気づきもせず、ダムが決壊し、万単位の人が被災して行方知れずになっている。
 それと同じことが、場を変え、この世界の東端の列島でも起きているではないか。しかもこの保守を自認する政府は、相変わらず、政府が徴税し、補助金を企業にくれてやる方法で、国民の懐と国家の統治とを直結する「お役目」だけは手放さない。地方政府の徴税権と自治権をセットにして明け渡すという統治分割の手法を採用する絶好の機会を78年前に手に入れていたにもかかわらず、中央統治という仕組みを古いままに温存して、結局保守してきたのは明治維新以来の中央統治体制でしかなかった。
 そういうことが、岸田政府の手法で明らかになった。そう、列島国家の「核心」を感知したのでした。この列島の、古びたインフラが崩壊していくのせいで行方不明になっている人は、はたして幾人いるであろうか。その数さえもつかめない。つかもうともしていない国家と政治なんて、市井の民の社会にとって如何程の価値があるかも考えなければならない時節になった。これって、百年に一度って言えることかい?