mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

イイもワルイも受け容れるということ

2023-09-04 13:23:38 | 日記
 東洋経済onlineをみていて、一つの記事が目に止まりました。「33歳のときに首を吊った大学教員が伝えたいこと」。アメリカの大学院留学に行き詰まり、博士論文も書けず悶々としていたとき自殺を試みたが、カーテンレールが折れて失敗。その娘を心配した母親の気遣い手当もあって、その後立ち直った今は大学教員をしている方が、自殺しようとしたときの心情を振り返っている。「視野狭窄」だったこと、その視野狭窄を抜け出すのに、身と心の二つの要素があり、イイもワルイも受け容れる心構えを発見したことを述べています。ああ、これぞ「中動態の世界」、と私は我田引水、一知半解に受け止めています。
 この方、加藤 有希子さん。
《「視野狭窄」から抜け出すには……私が経験から学んだ抜け道は、ひとつは肉体的なこと、もうひとつは精神的なこと(心がまえ)です。》
 と書きすすめています。肉体的なことというのは、
《ひとつは体を動かしましょう、ということです。》
 とあって、私は興味を引かれました。私は常々、山歩きをしていて「何も考えない」状態、即ち「瞑想」に浸ることを好ましく思ってきました。
 これは、「何も考えない」ことではありますが、身に染みこんだ無意識の声を聴くことだと思い当たり、「躰に聞け!」と言っているからです。躰を動かすことは、無意識の身の声を意識と結び合わせるきっかけとなるのです。私は動物になることと(抵抗なく)思っていますが、意識を言葉にして表現するヒトのワルイクセは、意識や言葉だけが身から離陸して、空中浮遊してしまうことです。それを身に引き留める媒介をなすのは、人の身体に刻み堆積している無意識を呼び覚まして、心身一如を(身を以て)体現すること。つまり躰を動かし、躰の声に耳を傾け、身と心との乖離を意識して、身に刻んだ人類史的堆積という無意識に辿り着くことと考えています。
 加藤有希子さんは、もう一つのことをこう記しています。
《そのとき、私は不幸に再び直面して、「不幸」は決して自分の「外側」にあるものではなく、「内側」のものとして受け容れるようになったのです。/私はそこから、自分の不幸も、他人の不幸も、ぜんぶ受け容れて、赦そうと思うようになりました。/今まで自分の安っぽい道徳心で、早く死んだ人などを勝手に「かわいそう」と思い込んでいました。でも「かわいそう」と思ったところで、何になるでしょうか。/どんな不幸に見える人生にも、命の輝きがあり、人それぞれに美しいのです。「死んだ人も、生きた人も、受け容れよう」と幸福至上主義をすてたとき、肩の力がふっと抜けるのを感じました。》
 そうだ、これだ。私にとって「中動態の世界」って、目下、これなんです。そう思いました。哲学者。国分功一郎のいう「中動態の世界」を、私は一知半解、我田引水に、勝手に受け止めて、ワタシの身に堆積している無意識を、一つひとつ掘り起こして言葉にしてみようとワタシ(に堆積する人類史)探索の旅を続けています。
 今自分がもっている「能動的/受動的」価値意識でみていると、なんでプーチンやトランプの振る舞いを「中動態の世界」からみると、赦せるのかと憤りを抑えることができない友人がいます。そして「中動態の世界」を持ち上げる私を、歳をとって人が丸くなったとか、国際政治の世界にかかわる自分の立場を見定めることができなくて、手も足も出せないから仕方がないと投げ出している、というふうに見る人がいます。むろんいうまでもなくコトを説く私の言葉が行き届かないからと思っています。でもいや、そうじゃないよと、言葉を尽くそうと言葉を重ねると、そういうむつかしいことは考えたくないと、ついに、私に愛想を尽かして匙を投げる友人もいます。皆さん八十路の年寄りですから、仕方ないといえば仕方のないことです。
 でも加藤有希子さんの、
「自分の不幸も、他人の不幸も、ぜんぶ受け容れて、赦そうと思うようになりました」
「「死んだ人も、生きた人も、受け容れよう」と幸福至上主義をすてたとき、肩の力がふっと抜けるのを感じました」
 という述懐は、わが身が人類史であり、わが身は生き物であり、イイもワルイもことごとくわが身の現在に集積されていることを表している。そしてそれを「赦す」ということは、人類史をことごとく受け容れるという響きをもっている。非道いことも、ヒトっていうのはそういうコトをして生きてきたんだと、我がことのように身の裡で反芻する。すると意識の上では、未来に向けて修正していく思いが湧いてくる。
 この加藤有希子さんと同一人物かどうかはワカラナイが、生成AI・Bingに問うと、こう応えが返ってきた。
《加藤 有希子さんは、埼玉大学の人文社会科学研究科の准教授で、美術史、表象文化論、美学などの研究分野において活躍されています。彼女は2004年から2010年までフルブライト奨学金を受けてアメリカのデューク大学で博士号を取得しました。その後、立命館大学のポストドクトラルフェローとして生存学の研究に携わりました。彼女の主な研究テーマは、新印象派やキュビスムなどの西欧モダニズムの芸術と色彩療法やホメオパシーなどの民間療法との関係性や、芸術と生活の融合に関する歴史的・現代的な問題です。彼女は多数の論文や書籍を発表しており、国内外で高い評価を得ています。》
 冒頭記事のデキゴトの年とそれから立ち直って博士号をとった順序と年が、上記Bingの回答と一致している。さらに彼女のテーマとしている(その後の)研究に「生存学」があったりするから、たぶんご当人だと思う。もし著書でもあれば、読んでみようかと思った。