mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

災い転じて快速・乾徳山

2016-06-28 06:17:26 | 日記
 
 梅雨ですから、関東地方は火曜日から木曜日まで雨とあっても何の不思議もないのですが、今日は晴れ。これを逃がす手はないと朝5時40分に車を出して、乾徳山に向かう。いまは山梨市に属する。むかし一度カミサンと一緒に登ったことがある。それほど険しい山とは思わなかった。これを私の山の会に使おうかと山行中に話したら、いやはや、今は山の情報が行き渡っていて、「鎖場がある険しい山」と称されているそうだ。安全確保に何を準備したらいいか、それを確かめるためだけにでも一度足を運んでおく必要はある。そう考えて、出かけた。今朝のことです。
 
 近頃はインターネットで「目的地」を事前に検索することが出来る。google地図では、「その地点の情報」として住所も表示してくれるから、naviにかけるときには大いに役に立つ。「乾徳山登山口駐車場」で検索する。番地まで表示した「住所」が表示される。それをメモして、朝出発の時にnaviに「目的地」として入力する。これで安心、naviの指示に従って、すくすくと車をすすめる。
 
 おやおや、こんな狭い道を行くのかえ? と思った。何しろ「乾徳山登山口バス停」があるところ。バスがこんな道を通るとしたら、これじゃあ両神山のアプローチと同じだ。ところが標高がどんどん上がる。「登山口駐車場」の標高は830mのはず。ところが、1000mを越えてさらに上がる。とうとう1300mまできた。「大平民宿」とある。地図を取り出してみると、尾根を一本越えて、東へ来ている。どこかで道を間違ったというよりも、インターネットで検索した「乾徳山登山口駐車場」が、違うところを示していたわけだ。どうしようか。
 
 でも地図では、乾徳山への最短距離のアプローチができるところにいる。災い転じて福となす。今日の目的が、乾徳山の最後の岩場の「確保」の仕方を見てくるということであれば、そこまでのアプローチは近くてもいいんじゃない? と私の内心で問答する。むろん反論は出てこない。地理院地図では「大平高原」と表示されているほどの、広い草原。山菜取りの人たちが入り込むらしく、「大平山荘」の名前で、いろいろと注意書きがしてある。どこに車を止められるだろうと、林道の方まで走ってみる。舗装路は当然砂利道になり、そのうち凸凹の大きな林道になり、「林道工事をしていますから、駐車しないでください」とある。と、うしろからバンがやってくる。広いところを見つけて先へ通す。「乾徳山登山口」と大きく表示しているところに出る。「よし分かった。」ここから登るとして、車を下の適当なところへ止めなければならない。少し広い箇所で車を回す。私の車は軽にしたから、こういう時に都合がよい。下っていると、ダンプカーとすれ違う。2台。林道の上の方の工事というのは、ダンプカーが出張っているのか。
 
 下の広い草原に車を置き、歩き始める。8時10分。10分ほどで先の登山口につき、登りはじめる。ところが、斜面の踏み跡は、かなり急な傾斜を登っている。地図を見ると、右に左に大きく揺れる道をショートカットして、道満尾根のルートに合流する。ならば、このかすかな踏み跡を辿ればいいんじゃないかとぐいぐいと上がる。ところが途中で、踏み跡が途絶する。落ち葉が降り積もって、あれもこれも踏み跡に見える。でもまさか、こんなところが地理院地図に記載されているはずがない。(たぶん)間違っているだろうが、これを突き上げて道満尾根のルートに出るしかない、と思った。そう時間をとらずに尾根には出た。出たところを下りのときに忘れないようにケルンを置く。登りはじめてから20分。
 
 こうして、当初予定では下るところから登ることになった。そのすぐ上に、国師ガ原への分岐があった。徳和からの登りと合流する地点だ。そちらへすすむ。そこまで2時間が徳和からのコースタイムだから、それを1時間で来ている。当初予定のルートで上ると6時間25分のコースだ。それが短縮されるとなると、きっと私の山の会の面々は、大喜びするに違いない。登山口には「2時間半」とあったから、往復で4時間半か。OKだね。
 
 国師ガ原への途中に「関東の富士見百景 富士山の見えるまちづくり 地点名 三富からの富士」との表示板があった。南を観ると、八合目から上を雲の上にみせている富士山がくっきりと見える。下につく雲は分厚く取れそうにない。富士山は1000㎞西の気象を現すと、むかしから言い習わしてきた。首から下は九州の気象だ。九州では天候が傾いている。
 
 樹林の中を登る。ごろごろとした大きな岩を踏みながら、高度を上げる。上から降りてくる人たちがいる。若い。たぶん、5時6時に登りはじめて、9時過ぎのここを下っている。「元気だね」と声をかけると、「ありがとうございます」と返事が来る若いペア。いいねえ、こういうのって。国師ガ原の上部、扇平に出る。月見岩と名づけていて、道満尾根を登ってくるところとの合流点だ。振り返ると、まだ富士山が頭をみせている。扇平が背の低い草原のようになっていて、背中の方には鎮座している乾徳山のこんもりした山体をうかがえる。あとで気づくのだが、それは乾徳山の前景の山であって、本体はその向こうに岩を連ねて峩々とそびえているが、目にすることはできない。
 
 前景の森山を抜け、岩場に取りかかる。ひとつの岩を登ると中段で岩に赤ペンキで「→」とある。右へすすむと、腐りかけた木の梯子が岩を渡るように設えてある。こっちのほうが怖いなあと思う。大岩を巻くとその裏に高さ15mほどのさらに大きな岩が立ちはだかる。2本の鎖が着き、右の方は鎖も新しく足の置き場がはっきりと見て取れる。左の方は鎖も古く岩の凹みに靴裏を押し付けて登るようになる。上り下りを分けたのだろうかと思い、上りには左をつかう。岩が乾いているからフリクションはよく効く。だがここを私の山の会に人たちが登るときには、安全確保が必要になるかもしれない。ザイルを使って確保しながら登るのも、若いうちならいいが年寄りにはあまり向かない。やめた方がいいだろうかと、思ったりする。いくつか岩場を乗っ越たところに「迂回路→」とある。最後のほぼ八十度くらいの、鎖のついた岩場を回避して山頂に立つルートも設けているのだ。それは帰りに見ることにして、「ご正道」を登る。なるほど鎖も必要だが、岩がわりと手がかりを多くもっている。上りやすい。鎖もときどき使わないと困るほど、足場がない。もし雨で濡れていると、ここを登るのは難しいかもしれない。そんなことを考えながら上に立ったとき、ちょうど下に若い二人組が顔を出した。「どうですか」と聞くから、「乾いていて、大丈夫だよ」と返事をする。
 
 その上は山頂だった。10時15分。出発してから2時間足らずで登った。一人コンロを使って湯を沸かし、ラーメンをつくっている。私はテルモスのお湯で簡易にそれを片付けている。早いがお昼にする。富士山はもう、雲に隠れて見えない。先ほどの若い人が登ってくる。朝7時頃に、徳和を出たそうだ。私が予定していた登山口だ。ということは、私が着いたとしても8時であったから、彼らよりも1時間遅れとなる。ずいぶんショートカットしたものだと思う。
 
 20分ほど山頂で過ごして、下山にかかる。「迂回路」を通る。鉄の梯子が2カ所にかかっている。なんだ、ずいぶん簡単に下ってしまう。そこからの岩場で、何人かの登る人たちとすれ違う。2本の鎖のついた岩場を下りかけたとき、左足が攣る。おお、これはまずい。今日は陽ざしもよく水が不足しがちだが、それだろうか。とりあえず鎖場を下ってから、水を補う。月曜日にしては上る人が多い。乾徳山は人気の山なのだ。樹林帯に入って下っていると、足元の石の上にヒガラが何かを咥えて止まる。私が退くのを待っているように石の上を行ったり来たりしている。ひょっとすると巣穴に入ろうとしたのを私が邪魔したのだろうか。何枚か写真を撮って動くとぱっと飛び去った。
 
 扇平の分岐を過ぎて道満尾根の樹林に入る。少し行くと大きな岩の上に出て崖になっている。行き止まり。おやと思い、右の斜面の踏み跡を見るが、それもない。大岩に乗る手前の左を覗くと、大岩を回り込むように踏み跡がついている。なだらかな尾根歩きが急に傾斜のきつい下りになって降り立った辺りが、今朝国師ガ原への分岐だ。その急な下りを降りているとき、また足が引き攣った。先週水曜日の富士見山の疲れが今ごろ出ているのだろうか。荷を下ろし、スポーツ飲料をしっかりと飲む。ゆっくりと下る。何とかいけそうだ。
 
 1580mまで下ったところでまた林道に出合う。標識に「←大平」とあるのに気づく。私は道なき道を強引に上がって道満尾根に合流し、ここを通った。この矢印の方向からくる「ご正道」があるのだと思い、そちらへ歩を進める。舗装された林道を何度か九十九折れに下ると「大平→」の山道への標識がある。標高が1450m。下に砂利の林道が見える。降りてみると、今朝上りはじめた「登山口」だ。何だかキツネにつままれたみたいな気分。時計を見ると、まだ11時50分。ここを出発してからちょうど3時間半。快速登山である。
 
 その林道を車のところへ向かっている途中に、標識がある。その一部に「徳和・道満尾根→」とある。向こうは崖だと思っていたが、少し小高くなった土手に登ってみると、その木陰の向こうにしっかりとした踏み跡がある。ここもまた、道満尾根への入口になっていたのだ。ここから入ると、面白いかもしれない。12時、車に帰着。「三富徳和」の「乾徳山登山口駐車場」も見ておこうと、naviに入れ出発する。登ってきた舗装路をあるところでヘアピンターンをしてまた山道へ入る。舗装はつづいている。一つ尾根を越えると、道路をふさぐシカ避けの柵があり、「徳和バス停→  通過したのちには鍵を閉めるように」と注意書きがしてある。「徳和バス停」は乾徳山登山のときに下車する停車場だ。そうか、この向こうにそれがあるのか。鎖を外して扉を開け、通過後にそれをまたかけて扉があかないようにする。そこを下ると少し広い通りに出た。奥への道をたどると、6台ほどの車が止まっている。すでにそれで「駐車場」はいっぱいだ。なるほど、こういうところか。
 
 それを確認して、帰途に就く。塩山の町の北側、大菩薩に繋がる山の中腹、ぶどうや桃、サクランボの栽培をしている畑を縫って標高550mほどをぐるりと巻く「フルーツライン」を通り、中央高速に入る。高速は空いている。午後3時には帰着。まさに、災い転じて福となした快速・乾徳山であった。