mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

梅雨の間の花の散歩道・湯ノ丸山

2016-06-09 16:08:18 | 日記
 
 佐久平駅に降り立ったのは7時44分。大宮から50分しかかからない。今日の2台目の運転手、Kzさんも同じ電車に乗り合わせている。駅舎から続くコンコースはずいぶんと高いところにある。階段の上から新幹線開業に合わせて整備された佐久平駅周辺は、背の低い建物がゆったりと広がって見晴らしがよい。にぎやかなお店などは、皆目見当たらない。立科口の駅レンタカーは、すぐに見つかった。小海線の高架下に大きな看板を掲げていた。貸し出しは8時からとなっていたが、すでに職員は来ていて、さっそく手続きをしてくれる。クレジットで支払う段になって、ジパング会員であることがわかり「特典」にしてはどうかと、教えてくれる。なんと、1台1840円も安く借りられる。2台だから3680円も安上がりになる。もちろん、もちろん。手続きを済ませ、山の会の方々が到着するのを迎えに行く。
 
 全員顔をそろえる。軽井沢では雨だったとOtさんが話す。そうなんだ、今日の湯ノ丸山付近の天気予報は「9時まで晴、12時まで曇、午後は雨」とあった。ただ、降水確率は50%だが、降水量は1時間当たり0mmだから、お湿り程度、歩くのに支障はないと判断した。陽ざしは出ている。ただ、北に見えるはずの水の塔山、篭の塔山や池の平や浅間山は麓まで雲をかぶり、まったく姿を見ることはできない。早めに登って、1時半には下山となると、雨を避けられるかもしれないと目算を建てる。
 
 山の斜面にかかったところから、雲の中に突入する。佐久平駅の標高700mから地蔵峠1732mまで1000mを超える斜面。小型車に満席で人が乗って果たしてちゃんと走れるだろうか。そんな懸念をものともせず、車はずいずいと高度を上げる。前に軽のトラックが走っていたから、ゆっくりとついて進む。雲はますます濃くなる。地蔵峠は、すっかり雲の中。駐車場の広さもわからない。「山歩の会」と標識を掛けた大型のバスがやってきて、通り過ぎていった。どこへ行くのだろうか。
 
 装備を整えトイレを済ませているところへ、現地集合のSdさんがやってくる。彼女はこの東御市に別荘を持っていて、庭と畑づくりも楽しんでいる。いわば地元、湯ノ丸山は裏庭のようなものだ。今日のガイドはMzさん。先月の倉見山で途中下山して帰りに偶然にも同じ電車に乗り合わせた奇遇の人。Mzさんも何度かここの山で遊び、案内を引き受けてくれた。ただ倉見山のことがあったから、「登山口までね」と予防線を張っている。さて出発となって、Mzさんが篭の塔山の方へ行こうとする。雲で方向がわからなくなっているようだ。Sdさんが、スキー場がこの峠の両方向にあるからと説明して登山口を示し、歩き始める。9時15分。
 
 茶店のあいだを抜け少し進むと広い湯の丸高原キャンプ場がある。屋根のついた調理場にレンガを組ん竈を設えている。この夏の準備をしているようだ。空はだいぶ明るくなってきている。広葉樹林の中の山道を歩く。クマザサのあいだにレンゲツツジが花を咲かせている。ほどなく分岐がある。「←烏帽子岳(中分岐)地蔵峠→」とあって、この地点の名称が記してある。ここからツツジ平の方への登りになる。Mzさんはゆっくりを歩を進め、私たちはあとについて、おしゃべりをしながら緩やかな坂を上りはじめる。レンゲツツジの向こうに、紫がかったツツジが満開である。あとでムラサキヤシオだと気づいたが、こんなに贅沢に咲き誇っているのは、みたことがない。ホトトギスが鳴く。そういう季節だ。カッコウも声を立てる。
 
 やがて地蔵峠から立ち上がる稜線に突き当たる。このあたりがツツジ平だろうか。分岐の標識と鐘が釣るしてあり、「鐘分岐」と名付けられている。今日のように雲のなかを歩くときは、この鐘の音が道案内になる。Mzさんは突き当りの柵囲いの向こうに入り込んで「ここでいつも休むことにしている」という。歩き始めて30分だ。囲いの向こうは放牧場になっているらしい。ここまでの登りの樹林帯と異なり、すっかり笹原がゆっくり向こうへ下っている。ズミのような花をつけているが、幹がサクラのような木肌をしている。Kwmさんに尋ねる。彼女は一目見て「これリンゴの葉と同じだ」という。そう言われてみると、花の脇に昨年のものだろうか、小さな黒い実の名残のようなものがついている。Sdさんがエゾノコリンゴというのがある、それじゃないかという。そう言えば、ズミの別名としてコリンゴとかコナシというと聞いたことがある。でも幹の肌合いは、別名じゃなくて、別種のような気がする。
 
 5分休んで歩き始める。少しこれまでより強い傾斜になるが、きついというほどではない。相変わらずいろんなことをしゃべりながら高度を上げる。イワカガミがたくさん咲いている。ベニバナイチヤクソウが、クマザサのあいだから顔をしている。名前を聴きながらゆっくりとすすむ。上から降りてくるご夫婦がいる。烏帽子を回って来たのかと尋ねると、湯の丸を踏んできただけ、なにも見えなかったという。この山の常連だそうだ。空は明るくなってきている。岩が露出しているところで、また休む。鐘分岐から40分歩いている。もう少しで山頂ではないかと思うところで、Mzさんの歩が止まる。やはり倉見山のとき同様に、体調が思わしくないのかもしれない。案内役ということで無理をさせてしまったようだ。
 
 10時57分、湯ノ丸山山頂に着く。標高2100m、凛たる高さだ。石を敷き詰めたような広い山頂。遠方からみれば、まあるくなだらかな山容をしているのであろう。2人石に腰かけて食事にしている。私たちも食事にしようとしたら、Mzさんが「この先に北峰がある。10分ほどです」と、雲のかかった北の方を指す。じゃあ、食事はそこから帰ってにしようと、私は休まず歩きだす。一度荷を置いた人たちも、てんでに動き始めている。踏み跡はしっかりとついていて、この山頂に来た人たちは皆さんそちらへも行っているようだ。7分ほどで着く。標識はない。ただ三角点のような小さな石柱が岩の間に置いてあり、「山・・・」と彫り込んでいる。まったくの雲の中。愛想がない。Sdさんが、この先を行って角間峠から鹿沢を経て地蔵峠に戻ってくるルートもある、とこの山の全体像が思い浮かぶように話をしてくれる。ここはまた、分水嶺だそうだ。東側は利根川に流れ込み、西側は千曲川に流れ込む。つまり、太平洋と日本海の分水嶺というわけだ。すぐに引き返そうとしたら、「あとから来る人を待った方がいいんじゃない」と止められた。そうかこの人はこんなふうに細かいところに気づかいをしているんだと感心する。へばっていたMzさんも来ている。晴れ女を自称するMrさんに「ほらっ、雲を吹き飛ばしてよ」と誰かがいう。Mrさんは頬を膨らましてぶう~とやる。風神みたいと混ぜ返す声。戻りながらOdさんは「ここにコイワカガミの群落があった」と、以前来た時のことを話す。ということは、コイワカガミはシカの後部になるのだろうか。
 
 再び湯ノ丸山の山頂に戻りお昼にする。11時15分。歩き始めて2時間だ。薄い陽ざしが差す。「おっ、先ほどの風神が利いて来たぞ」と誰かが言う。北の方の雲が一部取れて青空がのぞく。「いつもなら風が強いところ」とMzさん。なのに風もなく、のんびりしたくなるほどの心地よさ。Mrさんは「そうよ、そういう山歩きもいいって教えてあげてんのに(耳を貸さない)」と私に当てつけて、シートを敷いて寝そべる。いたたたた、と声をあげる。下の石が背中に当たっているのだ。ふふふふ。「そうだ、蓼科山がこんな岩ばかりの山頂だったね」と誰かが言う。「そうそう、あの時は吹雪で大変だった」と誰かが応じ、「吹雪じゃないでしょ。暴風雨でしょ」「あれっ、あなたいたっけあのとき」とずいぶん昔、NHKのカルチャーセンターで案内した山の話をする。Sdさんは「こんなふうに月に2回も、山案内をしてくれる山の会って、ないわよ」とこの会のことを持ち上げる。
 
 Mzさんは「私の案内はここまで」といって、ここから下山するという。ならば私もと、多用を押して駆け付けたSdさんがエスコートして地蔵峠に下ることになった。Mzさんから今日の地図をもらい、ここから烏帽子岳に向けては私が案内することにした。まずは、標高差300mほどを下って烏帽子岳との鞍部に向かう。午前中に使わなかった力が解放されてか、調子よく歩がすすむ。ときどき後ろを振り返ると、いつもは「私は登山家、下山家じゃない」と下りを苦手としているMrさんも、間を開けずついて降っている。15人くらいのパーティが登ってくる。烏帽子岳を登ってこちらを後にした、という。私たちが登った方に比べると、こちらは斜面がきつい。Mzさんがこちらのルートを選んだ理由がわかるような気がする。それに森になっている。先ほどまでいた山頂の北東方面の斜面は、ほとんどがクマザサに覆われ、大きな木が少ない。雲に隠れていたから全体が見えていたわけではないが、高度の高い山という印象であった。ところが、反対側の南西面には、山頂部を少し下ると落葉広葉樹を中心に森ができている。
 
 と、下から小さい子どもたちが登ってくる。おそろいの幼稚園帽をかぶり、スモックを着ている。15人くらいの集団。道を譲る。引率の先生らしい方が「こんにちは、ありがとうございます。年中組です」と笑いながら振り返る。子どもに聞くと、小指を曲げて「4歳!」と答える。中には「5歳!」と声をあげる子もいる。背が低く脚も短いから、斜面を這うように、だがまだまだ元気だよというふうに登っていく。引率の大人が3人しかいないのが、気になった。大丈夫かいな、と思う。「でもさ、親がついていると歩けないよ、きっと」と我が年寄りたちは評定しながら、子どもたちに声をかけ、そのたびに子どもたちは元気を取り戻しているみたいであった。なんと、群馬県の富岡から来たという。「妙義山や荒船山、榛名山だってあるのに、なんでわざわざ湯ノ丸山まで」と口にする人もいる。でも、こんな小さい子どものときから山を歩かせるなんて結構いい教育してるじゃないと、私は思う。
 
 30分ほどで鞍部に降り立つ。振り返ると湯ノ丸山の雲が取れ、まあるい大きな山体が見える。ズミとムラサキヤシオがきれいな花をつけている。花のことについてはKwmさんに「あとでまとめて」とお願いしていたら、翌日、次のようなメールが来た。
 
《写真と本を頼りに調べてみました。まず、ズミ(バラ科)……小枝がとげ状になりつぼみは紅色をおびるが開花すると白色となる。コナシとも呼ぶ。エゾノコリンゴ(バラ科)……ズミに似るが、つぼみも白色、花がやや大きい。とありました。その他、レンゲツツジ、ムラサキヤシオ、コイワカガミ、マイズルソウ、エンレイソウ、ミツバオウレン、ツガザクラ、シロバナヘビイチゴ、ベニバナイチヤクソウ、本を頼りに復習です。勉強になります。》
 
 山頂で寝転がるだけでなく、こんなふうな山歩きもある。そういう山の味わいの進化途上にあるともいえる。
 
 鞍部から先頭を交代した。一度どこかのツアーでここに来たことがあるというOdさんが先頭に立ち、「登山家」のMrさんが後に続く。二人がそこから烏帽子山頂までの標高差約300mをいいペースで登る。Odさんが振り返って、「あの子たち、あんなところを登ってるっ」と声を上げた。どこどこ? と私が聞くと、Kzさんが「山頂から10センチくらいのところ」と大真面目に言う。彼は腕を伸ばして指を10センチほど開いて山を見ている。雲がすっかり取れた湯の丸山の山頂近くの岩がゴロゴロしたクマザサの間の登山道に、小さな黄色い帽子が右へ左へ揺れている。振り返ると、これから上る烏帽子岳の山頂も、雲が取れている。いいねえ、さすが風神、大明神と声を出す。そうでしょ、感謝しなさいと声が返ってくる。
 
 南西側が望める稜線に出る。東御市や小諸や上田のほうだろうか、千曲川沿いに街並みが東から西へひとつながりになって伸びている。山頂らしき標識がスカイラインに際立つ。そこまで登ると、「小烏帽子岳」と表示してある。そのさらに向こうに、また山頂らしきピークが見え、何人かの人影も見えている。頑張っていきましょうと尻をたたく。山頂にいた人たちが下りてきてすれ違う。山頂部の岩がゴロゴロしたところを登り切ると、その向こうは切れ落ちた崖になっている。これが湯の丸山からみると、烏帽子のとんがった先っぽに見えるってわけだ。1時6分。湯の丸山から1時間20分ほど、コースタイムより15分多いくらいだ。上ってきたルートが一望できる。鞍部から地蔵峠に下る谷合も緑に覆われて深く見える。
 
 おやっ、こんなところを通ったっけと思うほどの大岩が行く手を阻む。道はそのわきをすり抜けている。通り過ぎて振り返ってみると、木立に阻まれて大岩がすっかり姿を隠す。なるほどルートの印象が違ってみえる。気を付けなければならない。小烏帽子岳をすぎてもと来た道を鞍部まで戻る。上から見ると、鞍部近くのカラマツの新緑がひときわ鮮やかに見える。谷全体を覆うようにカラマツが生い育っている。カッコウの声が聞こえる。ホトトギスの繰り返す鳴き声が谷にこだまする。ここから地蔵峠までは標高差で120mほど、距離は2.5kmくらいあろうか。いわば緩やかで快適な下り道。先頭のOdさんといまや「下山家」となったMrさんの足は速い。「そんなに急ぐなよ」というOtさんの声も届かない。
 
 中分岐につく。だが、こんなところ通ったっけと、思う。Kwrさんが「上るときみたよ」と元のルートに戻ったことを話す。私は皆さんの後をついて歩いていたから、全然印象に残っていない。後で写真を見て、そうだここを通過したのだと思った次第。その先の湿原を見て、ええっ、こんな広い湿原があったんだと初めて気がつく。臼窪湿原と名がついている。先に下ったMzさんは、この湿原を経めぐって時間を過ごしたらしいと、後で聞いた。みなさん初めて見たような顔つきをしている。だが、すぐ先にキャンプ場の調理場を認めて、「そうだここだ。通ったけど。でも地蔵峠はもうすぐじゃない」とMsさん。確かにすぐに峠についた。峠は相変わらず雲の中にあった。2時30分。5時間15分の行動時間であった。
 
 待ちかねた顔つきのMzさんを含めて、ほとんどアクセルを踏むことなく下りに下り、ガソリンを入れて車を返し、駅に着くと3分で電車が来た。乗り込んで大宮までの1時間、ぐったりと座席に身を持たせかけて寝入ったのでありました。
 
 ところで、一つ不思議に思うことがあった。地蔵峠から佐久平駅に戻るとき、レンタカー屋が用意していた駅近辺の地図が、はじめ読めなかった。レンタカー屋がどうして新幹線をくぐったところに位置しているのか、どこのガソリンスタンドが経路途中にあるのかわからず、不思議だった。電車に乗っていて気付いたのだが、南北を逆に描いていたのだ。私は、いつも北を上に見る地図ばかりを見ているから、南を上に置いた地図を見て、どちらから自分が駅にアプローチしているのかわからなかった。どうして、佐久平の(レンタカー屋の)人は南を上に描くのだろうか。それが不思議であった。ひょっとすると、歩きながらSdさんが話していたことと関係があるかもしれない。彼女は「新幹線ができてから、南の小諸の町が廃れ始めて、その分、古い町並みが残るようになった(それが面白い)」と話していたのだ。つまり、佐久平の人たちにとっては急ごしらえの駅付近よりも、あくまでも小諸が中心の町だという心持がぬぐえず、地図を描くときにもついつい、小諸を上に描いてしまうのかもしれない、と。今度機会があったら訊いてみよう。