mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

まさに桃源郷の里山・小楢山

2016-06-02 11:58:10 | 日記
 
 週半ばの天気予報が晴となると、さてどこへ行こうかと、気もそぞろになる。たいてい水曜日に山へ出かける。木曜日は洗濯と「記録」のまとめと骨休め。疲れが金曜日に出ることもあるから、そのあたりまでは来週どこへ行くかなどとは考えない。土、日に翌週の予報を見る。ちかごろは、ピンポイントで予報をしてくれるから、いつもいくつかの山を用意している。「アクセス」「行程」、泊まる必要があるときは「宿」も拾い出して、PCにファイルしてある。だから、おおよそこことここというふうに選び出して、「天気予報の来週半ば」を閲覧する。
 
 「晴れ」がみつかる。登山口になる鼓川温泉の「宿」の電話を書き出してある。月曜日に電話を掛けると、「日帰り温泉なので、宿泊を扱っておりません」と。近場に宿はないかと聞くと、「ありませんね」との返答。これは困った。コースを変えるか、行き先を変えるか。その山の登山記録を見てみると、別の登山口から登って、私が登山口にしようとしていた焼山峠に下山するルートがあった。だが、標高1528mの焼山登山口へのバスは土日祝日しか運転していない。私は、早朝に焼山までの8㎞を歩いて、全行程8時間と見ていたから、宿をとろうと考えていた。
 
 ふと、思いついた妙案があった。車で、登る前に焼山峠に自転車を置いておき、下山したら自転車で登山口まで戻ればいいのではないか。焼山峠の標高1528mと登山口になる牧丘町倉科のそれ670mほどの標高差は850m余、距離は15㎞ほどあるが、もっぱら下りだから面白い下山路になる。そう思った。通過点のもっとも標高の低いところは630mになるから、40mの標高差を登るのは、たいしたことではない。よし行こう、と、決めた。
 
 昨6/1(水)5時前に車を出す。ちょうどカミサンが朝一番の電車で新潟へ鳥を観に行くことになっていたので、駅まで送り届けて、私は高速に乗る。この小楢山は一昨年から見つけていたのだが、小仏トンネルの崩落事故が起きて、昨年も工事・補修のため中央高速が常時渋滞していたので、敬遠してきた。もう補修も終わっているだろう。順調に運んで鼓川温泉の脇を抜け、舗装された林道を登り、焼山峠に着いたのは7時半、自転車をロックして置き、登山口のオーチャード・ヴィレッジ・フフへの道をたどる。下山後にここを自転車で走るわけであるから、どこで曲がるか、どこが登りかをしっかりと見ておかねばならない。ところが、牧丘町倉科は小楢山の山裾に広がる扇状地のように急な傾斜をなして、塩山の盆地に下る途中に位置している。しかも、広い。オーチャード・フフは、私が調べた倉科のところからさらに上って標高が820mもあった。これは自転車で上ってくるのはきついなあと思ったが、まあ来てしまったからには仕方がない。帰りには、どこか傾斜が急になる辺りに自転車を置いて、歩いて2㎞ほどを上る方がいいかもしれないと思う。
 
 オーチャード・フフは「保養所」となっていて、「宿」でもあるようだ。なんだ、ここに泊まってもよかったんだと思う。「登山者用駐車場」と記されたところに車を止め、その突き当りのゲートを開けて登山路に入る。「獣害防止用ゲート/鍵を閉めてください」と表記され簡便なロックをしてある。小楢山がこの地の人々に親しまれた里山だと思ったのは、この登山路がずいぶん上、標高1200mほどまでつづいており、ところどころ簡易舗装されていて、登山者向けの案内標識も整っているからだ。その中に、「紀元二千五百年に○○寺の僧侶がインドへ渡って帰参し、小楢山を古那羅山と改称し……」とあった。ホントかいな。紀元二千五百年というとペリー来航の10年も前、19世紀の半ば。その時期にインドへ向かい帰参した僧がいたとはきいたことがない、眉唾物だ。そもそも紀元二千五百年という伝説が「つくられ」たことからすると、戦時中の国威発揚の波に乗って地元で盛り上がった勢いかもしれない。
 
 ところが、その林道が標高820mの登山口から1200mほどまで延々と長いのだ。これはちょっと嫌になる。そうして私の高度計で1190mのところに、一つ分岐があった。「母恋し道」と「父恋し道」と標識がある。私のみた登山記録では「母恋し道」をたどっている。標識も「←観光道 父恋し道」「小楢峠 母恋し道→」とある。観光道を覗くつもりはないから、「母恋し道」をたどる。ところがそこから10分もいかないうちに立派な林道と交差し、そこに立てられた看板の地図では、父恋し道をたどると小楢峠から往復してみることになっている大沢山にルートが通じているではないか。これなら、父恋し道を上る方が断然いい。そう判断して、もう一度先ほどの分岐にまで戻り、「父恋し道」に入る。人が入っていないのか、木の枝が邪魔をして歩きにくい。と、先ほど交差していた広い林道の延長らしいところに出る。そこにも看板がある。それをみると、「父恋し道」と大沢山とのルートが途中で消されている。ひょっとするとルートがないのかもしれない。しかもこの看板のルートに、鼓川温泉から登るルートも記載されてある。これが私の最初に計画していた下山のルートだ。そうか、当初プランの逆のルートを歩けば、下山後に自転車で上る標高差もそれほどではなかったのかと思うが、後の祭り。ままよ、行ってみようと、先へすすむ。
 
 だが、白雲の滝と記された、ほんの2mくらいの落差を何段かにちょろよろと流れる「滝」の先で、踏み跡が途絶えている。上は苔生した大きな岩が積み重なり、昨秋の落ち葉が降り積もって、人が歩いたようにも見える。地図の地形的な関係からすると、上へあがるわけであるからそれらしい踏み跡をたどる。苔が乾いているからまだよいが、じくじくと湿っていると、危ない。小さな木がたくさん生えているから枝が邪魔をする。つかまるのには良くはない。細く弱い。頼りにするとぽきっと折れる。岩の積み重なりはずうっと上の方まで続いている。この調子で上るのはかなり身に堪える。それよりは、少し左の方へトラバースして傾斜は急だが、落ち葉の多いところを行ってみよう。
 
 もう明らかに道ではないところに身を置いている。でも、この山体の稜線に出れば、鼓川温泉からのルートと出会う。そう思って、ずいずいと上がる。高度計で1500mを超えているが、上の見晴は良くない。地図を出してみると、大沢山は1674mとある。まだスカイラインが見えるところには遠い。1550m辺りで稜線に乗った。かすかな踏み跡も見つけた。でも、一般の登山道にしては歩かれていない。だが間違いなく上へつづく。「羅漢岩」と記された大岩があり、それを回り込むとひょいと大沢山の山頂に出た。道標は90度の角度で「妙見山→」と、私が登ってきたのとは180度違う方向を指している。それが鼓川温泉からのルートであるから、私が強引に上ったのは別の尾根筋であった。ということは、踏み跡はやはり私同様に踏み迷った人の足跡のようだ。10時25分。「父……」「母……」との分岐から1時間25分、標高差480mほどを登っているから、ペースは悪くない。白雲の滝から50分。道はどこにあったのだろうか。
 
 振り返って、おおっと思った。富士山が見える。これですっかり気持ちが晴れた。機嫌を直してそれほど標高差のない稜線をたどる。「幕岩」の標識がある。その脇に「父恋し道→」とあるから、たぶんここに上がってくる道があったのであろう。その先に「母恋し道」との合流点がある。ここが小楢峠のはずだが、その名は表示されていない。小楢山の山頂を通らずトラバースする(焼山峠への)分岐がある。新鮮な緑の木々の間に白い花がたくさん咲いている。ズミのようだ。あるいはコリンゴとかコナシと呼ばれるズミの仲間かもしれない。ハウチワカエデの葉の上にハート形の実がついて可愛い。おや、木々の間にすっかり傾いた四阿があり、その向こうの明るい広場が輝いて見える。そこが、小楢山の山頂1712mであった。
 
 「小楢山」という標示の向こうに、富士山が大きな山体を見せて屹立している。これは、いい。富士山の手前に道志山塊の山々が黒く尾根を連ね、その下には、勝沼から塩山へと開けて甲府に連なる盆地が町並みを抱え込むようにして陽ざしを受けている。そういえば下に見える山梨市牧丘町は桃の花の名所ではなかったか。まさに桃源郷の里山。「山梨百名山」と名づけて親しまれているわけが感じられる。まさに「一望」。右へ、つまり西へ視線をむけると、雪をかぶった北岳が見える。その脇に間の岳も見え、聖岳へつながる南アルプスの山々が輪郭をくっきりと見せて鎮座している。さらに西へ目をむけると仙丈岳、甲斐駒ケ岳が特定できる。ふと北側へ目をやると、木々の合間から、金峰山の五畳岩が独特の形をスカイラインにさらしている。いやすごい。里山として、これほどの眺望をもつとなると、伝説の一つや二つ作ってみたくもなるであろう。むろん私なら、伝説などなくても十分と思う。10時48分、ずいぶん早いが、ここで富士山を眺めながら昼食にする。ズミとヤマツツジが彩をなしている。
 
 たっぷりと山頂の眺望を独り占めして11時20分出発。焼山峠へ向かう。少し下ったところで、中年の女性3人が登ってくる。
 
「どちらから?」
「オーチャード・フフから」
「私たちもそちらへ下るつもりです。父恋し道を通りました?」
「通りましたが、道らしい道はわかりませんでしたよ。」
「白雲の滝のあたりを、どちらへ行きました?」
「ええ、そのあたりから左へトラバースして、上へ岩を上るようにしたのですが、その途中で道がなくなったか踏み迷ったかしましたね。」
「そこのところで踏み跡がなくなる、迷うって書いてありました。」
「そちらへ下山なさるんですか?」
「行こうと思っているのですが、下山の入り口はわかりますか?」
「父恋し道という表示はありましたからわかると思いますが、気を付けていってください。苔むした大きな岩が重なっていますから。」
「後ろ向きに降りるようね。」「面白そうじゃない?」
 
 と言葉を交わす。いい度胸だ。でもよく調べてきていると思った。そのあと、焼山峠からくる登山者は2組、3人。挨拶を交わす。最後のご夫婦は12時近い。コースタイムでは焼山峠まで約1時間、これから登ってどこへ下山するんだろうと思ったが、そうか、小楢山を往復するのなら、3時間もあればいいか。そう思いつつ歩いて、ふと前方を見ると、小屋が見える。いや、広い駐車場もある。今朝自転車を置いた焼山峠ではないか。そうだが、なんだ山頂からのコースタイム1時間55分を、わずか55分で来たことになる。ほんとだろうか。
 
 自転車に乗り、下山する。12時20分。ブレーキがばかにならないか心配しながら、スピードを制御して標高1528mを出発する。帽子が飛ばされそうで、途中で脱いで手に持つ。舗装林道は樹林におおわれてすこぶる気持ちがいい。途中で車が1台追い抜いて行ったが、それが前方で道をふさぐように感じて、怖い。それくらい、こちらのスピードが出ていたのではなく、車から見物しながらゆっくり下っていたのだね。途中で気づいて、自転車を先に行かせてくれた。延々と10kmほどの、標高差900mを下りに下る。山を歩いていた時の汗も引き、風も気持ちがいい。鼓川温泉のわきを通るときに、そうかここに車を置いて行っていれば、楽勝だったなと、ちょっとコース選択を誤ったと思った。
 
 一番低い分岐で本道はさらに塩山へ下るが、私の登山口へは「フルーツライン」を通って里山の裾をまくトラバース道に入る。ここからアップダウンがある。ところがここにきて、自転車で上るのが身に応える。ギアを切り替えても、たいして力が入らない。やはりくたびれている。押して歩く。下りになると自転車に乗る。ところが、朝はどこかで2度ほど曲がったように思うが、それがどこであったかわからない。と、「←フフ」と表示があるので、左へ曲がった。後で思ったのだが、朝通った時にもその表示は目に留まった。そのとき「おや?」とおもったのは、本道も大きくカーブしていたので、naviに従って道なりに進んだ。ところが自転車だと左へ上がる道がそれなりに広くあるからそちらへ行ってしまったのだ。ここで、山の下り傾斜の尾根筋を一つ間違えたことになる。「あれ? こんなところを通ったかな」と思ったところで、少し引き返して、ご近所の方に尋ねようとした。ウィークデイの昼間、居宅の駐車場に車はなく、人はいない。やっと車に乗ろうとしていたご夫婦に出会い、「フフ」を尋ねた。この向こうだよと、谷を越えた先の森を指さす。旦那は下を回ると、その先で……と話す。奥さんは「この道を少し先へ行って右へ曲がると橋をわたる。ブドウ畑をぐるりと回り込むとオーチャードよ」という。
 
 標高は800m、ここまで来たなら、上を回ろうと自転車を押して歩く。もう漕いで進む気力はない。このへんかなと入り込んだ道は行き止まりであったが、そのわきの細い杣道を進むと、車道をショートカットする道であったらしい、橋に行き当たる。そこから再び自転車に乗ってさかさかと進む。快適。このへんかなと思われるあたりで畑作業をしている人に出会う。尋ねると少し下るとフフから降りてくる道と出会うと教えてくれる。その通りであったが、そこからがさらに急な傾斜の道路になっている。何しろ道の舗装も、小石を混ぜて簡易舗装しているくらいだ。たぶん冬季に凍結した時にも車が滑らないように工夫しているのであろう。朝通ったことを思い出した。ブドウ畑を回り込むようになる。でも自転車を押すのは、そこで断念。電柱に縛り付け、歩いて上へ登る。やっと「オーチャード・フフ」にたどり着き、そこをいちばん上まで登ってやっとわが車にだどりついた。1時30分。30分も道に迷っていた。
 
 でもこうして無事に車を駆って帰宅したのは4時半前。まず風呂に入り汗を流す。道の駅で手に入れた「スナックエンドウ」を軽く湯がいてつまみにする。たっぷり生野菜サラダを作り、ドレッシングでいただく。豆腐をきってこれもつまみにして、ひさびさに焼酎をお湯割りの3杯も飲んだ。すっかりくたびれていたのであろう、8時には床に就き、今朝、5時過ぎるまで熟睡。いい山であったと、夢の中で自画自賛していた。