北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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開拓の歴史を伝える神社

2018-01-06 16:17:52 | 札幌
ちょっと函館散策は一休みして、年末年始の札幌ぶらり歩きで行ってみた場所を紹介したいと思います。
まずは、市内に数多ある神社の中から、以前から興味を持っていた場所を二箇所ほど。








札幌市東区、地下鉄東豊線「環状通東」駅側にある「札幌村神社」。
「札幌村」という響きに興味をそそられて行ってみました。

2015年11月放送(もうそんなに経つのか・・・)の「ブラタモリ」札幌編において、明治初期に現在の札幌市内に存在していた「村」の話が紹介されていましたが、「札幌村」というのもその一つで、江戸時代から明治にかけて移り住んだ和人によって開墾された農村で、1902年当時におけるその範囲は、現在の札幌市東区の範囲にほぼ一致するとされています。





この神社の創立は1899年で、「札幌神社」という名称で創立を試みるも、この名称が、現在の北海道神宮が当時使用していた名称であったことから許可が下りず、名称に「村」を付したとされています。
そして1901年、札幌村の氏神として崇敬することの許可が下りたため、官幣大社札幌神社から、開拓三神である「大国魂神(おおくにたまのかみ)」、「大己貴神(おおなむちのかみ)」、「少彦名神(すくなひこなのかみ)」を奉斎しています。
現在の社殿は、2007年8月に造営されたものです。








境内にある「日露戦役忠魂碑」。
日清戦争や日露戦争において、その地域から出征し、死を遂げた兵士の慰霊目的でこのような碑が多数建立されたそうで、その一つとされています。

「札幌村神社」の場所





続いては、同じく現在の札幌市東区にある神社。
「烈々布」と書いて「れつれっぷ」と読みます。





「烈々布」というのは、現在は公式な地名としては存在していませんが、札幌市のHPによると、国土地理院が1916年に作成した地図には、現在の札幌市東区北部地区(南は北20条付近、西は北区との界を流れる「創成川」、東は空港のある「丘珠」地区を流れる「伏籠(ふしこ)川」、北は現在の北区に入った所にある「太平」地区の辺りまでの相当広い範囲が、「烈々布」と表示されているようです。
地名の由来は諸説あるようですが、アイヌ語で「ハンノキの多く茂る所」、「風の強いところ」の意味であるというのが通説になっているようです。

この神社の位置はこちらですが、実は私、この神社から程近い場所にある小学校(すぐお隣の学校ではありません)の卒業生で、校歌に「烈々布 吹雪に耐えて ここに故郷(ふるさと) 拓いた心」というフレーズがあったのを覚えています。








この神社の創立は、先の「札幌村神社」よりも古い1889年で、天照皇大神を斎き奉る小祠を建立し、村名を冠して烈々布神社と称したとされています。





この神社にはこれだけの祭神が祀られており、この数は北海道一とされているそうです。








境内にあるこの像は、この地域の発展に尽力した「嶋良作」という人物の功績を称えるものです。
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