岩見沢駅北口に、何やら大きなレンガ製の建物があります。
かなり歴史が感じられますね。
レンガの積み方は・・・、どうやら「イギリス積み」のようですね。
壁面には、北海道開拓の印とされている「五稜星」がデザインされています。
これまでも何度か紹介してきましたが、そもそも「五稜星」とは何なのかということに触れていなかったようなので、ここで少し解説します。
戊辰戦争終結後の明治2年(1869年)に北海道開拓使が設立されましたが、陸路が未整備であった北海道の開拓を進めるためには、本州と北海道とを結ぶ海運の強化が急務とされたことから、開拓使は、外国製の輸送船を導入し、安定した輸送手段を確保しようとしました。
開拓使所属の外国形輸送船が増えたことで、翌年の太政官布告により、「外国形輸送船には国旗と省府藩旗を掲げること」が定められました。これを受けて、同5年(1872年)1月、開拓使御用掛であった「蛭子末次郎」は、黒田清隆の命令により、開拓使に下記の「北海道旗章立置方伺」を提出しましたが、この中で、北海道の旗とされていたのが、この「五稜星」でした。
蛭子末次郎は函館の出身で、五稜郭の設計に携わった武田斐三郎の門下生であったことから、五稜郭の形にヒントを得て、五つの角を有する星形のデザインを考えたとするのが、「五稜星」の誕生に関する有力説とされているようです。
これを受けて同月、開拓使附属船に五稜星の旗が掲げられ、以降、開拓使の外国形輸送船に掲げられていくようになり、明治期に建築された多くの建築物にデザインされるようになりました。
「赤レンガ庁舎」こと「北海道庁旧本庁舎」、中島公園にある「豊平館」、札幌時計台など、現存する多くの建物で、五稜星を見ることができます。
それでもって、じゃあこの建物は一体何なのということですが、現在はこのとおり、「岩見沢レールセンター」という名称で、現役の工場施設として使われています。
この建物は、明治25年(1892年)に開通した「北海道炭礦鉄道」の岩見沢工場材修場(車両製造と修理のための工場)として建築された施設ですが、この五稜星のマークは、北海道炭礦鉄道の社章としても採用されており、社章として現存するものの中では、これが唯一だとされています。
現在も現役の工場として使用されているこの建物は、明治31年(1898年)9月着工、翌年8月に完成というもので、経済産業省の「近代化産業遺産」や、旧国鉄が制定した、日本の鉄道に関する歴史的文化的価値が高い施設「鉄道記念物」に準ずる「準鉄道記念物」の指定を受けています。
また、ブームになっている「炭鉄港」に関する施設の一つとしても注目されていますが、現在は基本的に外観を見ることができるのみとなっています。
こんにちは。
仰るとおり、サッポロビールのマークも、五稜星です。
由来を調べてみると、北海道開拓のシンボルとして、様々な所で用いられているのが分かりますね。
またこちらに来られることがありましたが、ぜひじっくりと見てみてください。