何度か紹介している、平成16年(2004年)8月まで営業していた「丸井今井釧路店」の建物。
ここが、「丸井今井」となる以前は、「丸三鶴屋」という、地域密着型の百貨店として営業していたことも、これまで何度か触れてきましたが、その「丸三鶴屋」が、この地に移転してくる以前は、一体どこにあったのだろうということを話題にしたことがありました。
(その記事)
そのときは、断片的な情報をもとに、ここかもしれないという場所を紹介していましたが、調べてみたところ、北大通に移転してくる前は、「真砂町(現「南大通」)58番地」という所にあったことが分かりました。
これがその場所の地図。
赤囲みした箇所に、確かに「呉服店」(「丸三鶴屋百貨店」の前身は「丸三越後屋商店」という呉服店でした)とあります。
上の地図の現在地は、この辺りです。
ということで、ちょっと行ってみました。
特段痕跡らしいものもないように思いますが、ここが釧路の商業史に残る大きな足跡の出発点になったことに思いを馳せてみると、不思議な感慨のようなものを覚えます。
ちょうどこのバス停の向かい辺りです。
最初の丸三は呉服屋さんだったのですね。
釧路の今は大きなデパートはあるのですか?
写真をみると人があまり通っていないようで寂しいですね。
北大通と聞きますとパパさんが大好きだった叔母さんが住んでいたところなので
懐かしいです。
幣前橋のすぐ近くで印鑑のお店をやっていたようです。
今はやっていませんが....
叔父さんも叔母さんも亡くなり寂しくなったと言っていましたが...
今は天国で会っているでしょう(*^^*)
いつも懐かしいお写真や記事をありがとうございます。
こんばんは。
札幌の三越なんかもそうですが、釧路の丸三鶴屋も、最初は呉服店だったそうです。
当時の店の写真は、歴史関係書籍に載っていることが多いですよ。
北大通は、確かに人が少なくて寂しいですね。
デパートも完全に撤退し、完全に郊外型店舗に客が流れている感じです。
丸井さんだけでなく、長崎屋もとっくになくなりましたし、北大通ではないですが、イトーヨーカドーまで閉店してしまいましたから。
叔母様は印鑑店を経営されていたのですね。
北大通界隈では、今でも長い所だと大正時代からある老舗のお店も残っていますが、当時は競争が激しかったりしていたのでしょうかね。
お父様と叔父様叔母様、きっと天国でお会いになって、昔話に花を咲かせていることと思いますが、そうした方々の目に、今の釧路はどのように映っているいるでしょうかね・・・。
丸三鶴屋の新館と本館懐かしいですね。当時は少し高級なお買い物をする時に出掛けていました。友達の友達が両角くんと言って丸三鶴屋さんの息子さんでした。
北大通りの風景もだいぶ変わりましたね。お友達だった小町帽子店さんも今営業なさっているのかなと懐かしさいっぱいです。
こんにちは。
私は「丸三鶴屋」の時代は知りませんが、歴史書籍に掲載されている当時の賑わいの写真を見て、いかに釧路市民の生活に浸透していたかが窺えるなと思っていました。
「丸三鶴屋」の創始者は「両角さん」でしたね。そうですか、経営者さんの息子さんとお知り合いだったんですね。
「小町帽子店」・・・、タウンページには載っていませんでしたね・・・、「小町園」という海鮮専門店さんはありますが、そちらではないんですよね?
お返事とタウンページを見ていただいてありがとうございます。
「小町帽子店」さんでは掲載されていなかったのですね。
寂しいですが、良い思い出です。
両角くんも小町さんも元気でいてほしいなと思います。
図書館に行けば、かなり前の住宅地図が見られるので、当時の場所を調べて見ますね。
最近ちょうど、古い住宅地図を見ながらの散歩も面白いと思い始めていましたので。