「花畔(ばんなぐろ)神社」の続き。
数多い記念碑を見た後は、境内をゆっくりと。
神社ではおなじみの狛犬。
おや、一対ではないようです。
なんとなんと、参道内に四対(八体)もの狛犬がいました。
古代インドの密教で用いられる「梵字」(「阿吽」の「阿」で始まり、「吽」で終わる)の解釈に関係あるのではという説が色々とあるようです。
本殿はさほど大きくはないですが、住宅街にあるので、お正月の初詣や、各種祈願にはかなりの参拝客が訪れているようです。
明治4年(1871年)とあったので、昨日も触れた、現在の岩手県からの最初の入植に関する、また別な碑なのかと一瞬思ったけど、昭和4年(1929年)に設立された「花畔土巧組合」によるかんがい事業の歴史が刻まれています。
「土巧組合」とは、現在でいう「土地改良区」の前身となる組織で、花畔村では、砂地を水田にして食料増産に貢献し、戦後になって「土地改良区」に組織変更し、昭和46年(1971年)の石狩湾新港整備に関連して、事業に終止符が打たれたとのことです。
こちらは、札幌市内でもよく登場する、開拓判官「岩村通俊」の名前が刻まれています。
「花畔村」の命名者だったんですね。
道内の他の地方でも同じようなことがありましたが、砂地、湿地で一面原野状の土地を農地として開墾し、今日に至る繁栄の礎としたことの功績を称えるものとなっています。