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北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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都心の城跡

2007-12-22 21:38:07 | 道外旅行記
4回に亘った東京レポもこれが最後。
最後は、ロケ地巡りとは関係ない話で締めたいと思います。

12月15日(土)、翌日のロケ地巡りの事前視察のため石神井公園へ行ったところ、何やら興味深い看板が目に留まった。

「石神井城址」

へぇ~、都心に程近いこのような場所に城跡ねぇ~。
城本体もさることながら、城跡は冒険先で必ず訪れるスポットの1つなので、一時ロケ地巡りのことは忘れて、足を延ばしてみた。








豊島氏かぁ・・・、初めて聞く一族の名前ですな。
現在城跡があるのは練馬区だけど、隣の豊島区と関係があるのかなと思ったので、色々と調べてみました。

※ 以下、調査結果より抜粋

「石神井城」は豊島氏によって鎌倉時代末期に築かれたとされる城。
豊島氏は平安時代末期から続いた名族で、室町時代には、石神井川流域の国人領主として、その名を轟かせていた。

時は文明八年(1476)、「長尾景春の乱」という、時の管領家執事を巡る戦いが勃発し、時の領主豊島泰経とその弟泰明は、景春側についたことから、鎮圧軍の筆頭・太田道灌の軍勢によって攻め込まれることとなった。
翌文明九年、道灌軍は豊島氏の属城である平塚城を攻める為に江戸城を出た隙を見て、泰経は江戸城を奪うべく石神井城より出陣するが、道灌軍は転じて石神井城方面に侵出し、江古田・沼袋付近で両軍は激突。結果、豊島軍は敗れ、泰経軍はこの石神井城に逃げ込むが、道灌軍は追撃の手を緩めず、城を包囲。結局道灌軍の力攻めにより落城したのが最後とされているらしい。


なるほど。大学受験で日本史を選択した私だけど、人名や戦いの名前など、全てが初耳でした。












これが、公園の一角にある主郭跡。
これまで、全国各地で幾つかの城跡を見てきたけれど、それらとは趣を異にする雰囲気で、大変興味を持った。
都内には、同じような城跡が他にも幾つかあるようなので、機会があればそれらの場所にもぜひ足を運んでみたいです。
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