昨日の続き。
円山公園には、正確な数が把握できないのではと思うくらい沢山の碑があるのだけど、限られた時間の中で見つけたものを一気に載せちゃいます。
北海道神宮の宮司さんが揮毫したという歌碑。
「英一」とは、「札幌興風会」という団体の五代目の点者(作品の優劣を判断し、評点を加える人のこと)であった「遠山英一」という歌人のことで、平成2年(1990年)に、歌集が通巻1,000号となったことを記念して設置された碑だそうです。
「樺太開拓記念碑」。
これは割と知られているようです。
昭和48年(1973年)8月、樺太における多くの先人の偉業を称え、犠牲者の慰霊の碑として建立されています。
「武志」とは、第12代の樺太庁長官であった「今村武志」氏のことで、刻まれているのは、今村氏の遺墨である「丹心貫日月」という言葉。
意味は調べきれませんでしたが、中国の書道界では由緒ある言葉のようで、現在も、書道用品の名前として残っているようです。
開拓記念碑の横には、北緯50度日露国境画定の標石を模造したとされている碑が置かれています。
故郷樺太への思いが込められているものだそうです。
記念植樹。
これから長い年月をかけて、立派に育っていくことでしょう。
「皇軍全勝祈祷之碑」と読むこの碑は、明治27年(1894年)からから翌28年(1895年)の日清戦争における勝利を祈願して建立されたものとされていますが、その詳細については明確になっていないようです。
「御遷座五十年記念玉垣門」碑。
「玉垣」とは、神社の周囲にめぐらされる垣のことで、北海道神宮の前身である札幌神社が円山の地に遷座してから50年を記念して建てられた「玉垣門」こちらも詳細については分かっていないそうです。
調べてみたいと思いましたが、ハードルはかなり高そうです。
近くでは、こんな可愛らしいリスの姿が。
またまた歌碑です。
「中山周三」という歌人の功績を称えたもので、中山氏は、「原始林」という歌誌の創刊に参加以来、同誌の編集発行人を長く務めた、北海道の歌人の重鎮だったそうで、平成11年(1999年)9月に歌碑が建てられています。
こちらは、「殉難消防員之碑」。
大正12年(1923年)8月の建立で、正面の碑銘の横には第16代北海道庁長官だった「宮尾舜治」氏の書である旨が添えられています。
とりあえず今回はここまで。
また時間があるとき、ゆっくり散策して、まだまだある数多くの碑に触れてみたいと思います。