goo blog サービス終了のお知らせ 

北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
(C)ナナマガラー All Rights Reserved.

函館本線

2020-11-28 19:19:56 | 石狩・空知地方

今日11月28日は、今から140年前の明治13年(1880年)、小樽市手宮から札幌まで、当時の官営幌内鉄道、後の国鉄手宮線が開業した日だそうです。

今朝の朝日放送系「旅サラダ」で、そのことが触れられていました。

旧手宮線の紹介記事

 

 

そこで、以前から疑問に思っていたネタ。

写真は札幌駅。地元なのに、なんで今まで、ホームで駅名表示板の写真を撮ったことがなかったんだろう(デジカメを購入した平成17年(2005年)まで遡ってチェックしたけど、本当に一枚もなかった・・・)ということではなくて、この札幌駅って、路線上は、「函館本線」の駅になるんだけど、何故「函館本線」なのだろうということ。

 

 

こちらは、札幌から更に東へ進んだ、深川市の深川駅。

 

 

留萌方面へ向かう留萌本線の分岐駅ですが、ここも「函館本線」の区間です。

四年前に、留萌~増毛方面へ普通列車の旅をしたときに撮影)

 

 

そして、北海道のほぼ中心にして札幌に次ぐ第二の都市、旭川市の旭川駅。

ここが、函館から始まる「函館本線」の終点なのです。

なんでここまで「函館本線」は長いのかな・・・。

調べてみたところ、先述した手宮~札幌間の開通以後、函館~旭川の間は、「官営幌内鉄道」、後の「北海道炭礦鉄道幌内線」や、函館~小樽間を整備、運行していた「北海道鉄道」など、幾つかの鉄道会社によって部分的に整備され、開業していましたが、明治38年(1905年)に「北海道鉄道」による函館~小樽間が全通したことで、函館~旭川間がようやく全通することとなりました。

その後「鉄道国有法」という法律が制定され、「北海道炭礦鉄道幌内線」、「北海道鉄道」は政府によって買収されることとなり、明治42年(1909年)10月の鉄道省告示によって、函館~旭川間が「函館本線」と名付けられたそうです。

道都である札幌を経由しているのに、何故「函館」が冠せられているのかということだけど、当時この路線は、明治41年(1908年)に運航を開始していた青函航路(後の青函連絡船)を経由することで本州に通じているということで、本州から海を通じて上陸した函館を出発点として、札幌~旭川方面へ通じている路線であるという理由が路線名に込められていたと考えられるのかなと思います。

そして、その終点が札幌ではなく旭川であるというのは、この路線が、旭川を経由して更に道東、道北へ通じる形になっていたことから、函館~札幌間ではなく、函館~旭川間こそが、北海道の鉄道網の大動脈として位置づけられていたということなのだと思います。

つまり、道都である札幌は、その大動脈の途中の駅に過ぎないということなのですね。

札幌人としてはちょっと寂しい気持ちもしますが、もしかすると、かつて函館の人達が、札幌方面のことを「奥地」などと、蔑称のように呼んでいたということとも関係あったりして・・・。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕張にて

2018-08-29 19:32:19 | 石狩・空知地方
夏休み最終日。
無事に釧路に戻りましたが、長距離の運転はやっぱり疲れる。
車での帰省は年に一回でいいやと思いました。
来年のお盆までは、またバスかJRで帰ります。

道中は特段何事もなかった(変な運転してるな~と思う車は見たが、危害はなし)ので、今日はとりあえず、道中立ち寄った場所をご紹介。





まずは、往路に立ち寄った、一般国道274号沿いの道の駅「夕張メロード」





こんな可愛らしいキャラクターがお出迎えしてくれます。
館内は、日常の買い物もでき、特産品も販売しているショッピングゾーンと、お土産として人気の高いお菓子の店、それに、夕張の歴史についての展示コーナーで構成されています。





特産の夕張メロンも、このようにドーンと構えています。





道の駅に近い、JR石勝線「新夕張駅」。
いつも特急列車で通り過ぎるだけだったので、一度行ってみようと思い、中へ。





改札口と、特急停車駅ということで「みどりの窓口」もある、割合シンプルな感じの駅でした。
夕張市の市街地までは、ここから支線に乗り換えますが、残念ながら、来年3月末での廃線が決定しています。





1981年に、「石勝線」が開通し、千歳と帯広が鉄道で結ばれるまでの駅名だった「紅葉山駅」の遺構が残っていました。





これは、その「石勝線」の工事で殉職した作業員の方々の慰霊碑。
当時小学校2年生だった私は、鉄道オタク少年だったこともあり、石勝線の開通が大ニュースとして取り上げられていたのをよく覚えていますが、その開通までに残念ながら多くの方々の犠牲が伴っていたということは、今後とも石勝線を利用する者として、忘れてはいけないのだろうと思います。





夕張市内では、もう一箇所ご紹介。
今日の復路で寄った、「夕張農協銘産センター」





大きな口を開けて出迎えてくれるのは、夕張市の人気キャラクター「メロン熊」
物産店にレストラン、それに夕張メロンの直売も行われています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

命を頂くということ

2016-04-12 22:22:45 | 石狩・空知地方
ジンギスカン、あなたはどちら派 「味付き」「後付け」愛され60年(北海道新聞)


一応念のため書いておきますが、ここで言う「ジンギスカン」とは、マトンやラムなどの羊肉を用いた日本の焼肉料理のことです。
この名前の由来は、かの源義経伝説に由来しているという説もあるようだけど、この記事で取り上げるのは、あくまでも羊肉料理のことです。

「ジンギスカン」って、北海道遺産にも選定されているだけあって、北海道の郷土料理であるというイメージが定着しているようだけど、そう言われていることに関しては、正直ピンと来ていない。
まあ、道外に住んだことが一度もないわけだし、これに限らず、地元の人が気付かない価値や魅力を持っている物というのは沢山ありますからね。
東京とかでも、食べられるお店はあるようだけど、北海道に本店のあるお店の系列が多いようだということを考えると、やっぱりそういうことになるのかなと。

で、リンク記事の答えだけど、私は、最近は味付き派。
理由は、年齢と共に、濃い「たれ」やドレッシングなどが苦手になってきていること。
なので、焼肉に関しては、初めから味がついているのなら、それに越したことはないって考えるようになってきた。
もっとも、ジンギスカンじゃなく普通の焼肉の場合だと、そのままではさほど美味しいと思わないこともあるので、仕方なくたれをつけて食べることもあるけど、それでも、どっぷり浸してしまうと、口の中の感覚が変になってしまい、どろっと濃すぎて受け付けないこともあるので、さらっとくぐらせる程度ですけどね。





ジンギスカンと言えばで思い出したのだけど、写真は、滝川市にある「松尾ジンギスカン」の本店
道内でも知名度抜群のジンギスカンのお店で、東京にも店舗があるそうなので、聞いたことがあるという方もいらっしゃると思います。
今の職場に入って最初に配属された事務所から徒歩圏内にあり、花見とか歓送迎会をここで開催したこともあるという、私にとっては思い出深い場所。(それ以前に、滝川という町自体に思い入れが強いんだけど)
じっくりと本場の味を楽しみたいという方には、札幌にもお店がありますので、オススメです。





で、その本店の向かいには、こんな碑が建っています。
ジンギスカンに限った話ではないけれど、生きる物の命・魂を頂いているという原点に立ち返り、恵みに感謝する、そういうことの大切さを説いている碑なのだろうと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドラマと石炭の町

2014-10-09 21:50:55 | 石狩・空知地方



古巣滝川から程近い、上砂川町という町の一角に佇む小さな駅。
と言っても、鉄道は既に廃止されており、駅舎だけがこうして残されています。
滝川の一つ手前の砂川駅から、JR函館本線の上砂川支線という路線が運行されていて、私も、何故かはっきり覚えている平成6年3月7日に一度だけ乗りに行ったのだけど、現在はバス路線に転換されています。





でも、駅舎内部はこのように当時のままです。





さっき駅舎の正面の写真にも「悲別駅」という看板が出ていたけれど、これって一体・・・?
くどいようだけど、ここは、「空知郡上砂川町」という町であり、「悲別(かなしべつ)」などという町名は、北海道にはありません。





正解はこういうことでした。
私と同じか上の世代の方ならご存知の方も多いと思いますが、日本テレビ系で1984年に放送された、倉本聰脚本、雨宮良・石田えり主演のテレビドラマ「昨日、悲別で」というドラマの舞台になったのが、この上砂川町で、実際この駅舎が「悲別駅」として劇中にも登場していることから、それを記念して、30年経った今でも、このように保存されていて、さながら記念館のようになっているのです。

また、この「悲別駅」には、こんなご当地ソングまで生まれており、こちらもまた、ドラマの根強い人気に支えられて、ロングランで支持を集めています。





駅名表示板も運行当時のまま残されています。





そしてその裏には、これまた劇中の設定そのままの表記が。
隣の「ひがしうずら(東鶉)」という駅名は、劇中と実際とで変わっていなかったんですね。





町のシンボルキャラクター、愛嬌があって可愛らしいですね。





上砂川を含む空知地方一帯は、かつては炭鉱で栄えたことでも知られているのですが、これは、炭鉱町の多くで見られる、「ズリ山」という山。
「ズリ」とは、鉱山で採掘された鉱石のうち、資源として使えず廃棄する岩石のことで、これが特定の場所に集められて捨てられ、長年にわたり積み上げられて山になった物を、「ズリ山」と読んでいます。





これは、そんな炭鉱の一つだった、旧三井砂川炭鉱の中央竪坑。
炭鉱が閉山になった後、地下無重力実験センターという施設の実験棟として使われるも、やがてその実験センターも廃止となったが、現在も上砂川町のシンボルとして、存在感を示し続けています。





ん?このロケットは一体・・・?





へぇ~、そんなエピソードがあったとは。
これは驚きでした。
この表示板を見た瞬間、私の頭の中では、「仮面ライダーフォーゼ」の劇中歌「がんばれ!はやぶさくん」がエンドレスで流れてました。(笑)





側にある「炭鉱館」という展示施設。
炭鉱や町の歴史、それに、早川季良さんという画家の描いた、「石炭画」の作品が多数展示されており、じっくりと観てきました。
石炭画については、撮った写真をアップするわけにはいかないので、こちらをご覧下さい。

上砂川には久しぶりに行ってきたけれど、落ち着いた雰囲気の街並みが時の経つのを忘れさせてくれる、そんな雰囲気の町でした。
また今度、ゆっくりと行ってみようと思います。


※文中一部敬称略
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰還報告と予鈴

2014-09-27 21:41:17 | 石狩・空知地方

旅行最終日。先程無事に帰還しました。

今日は、当初は、滝川の後、隣町の新十津川町から、学園都市線というローカル線で札幌に向かう予定でいたのだけど、滝川へ着いた後、上砂川という町へ移動して戻ってきたら時間がなくなってしまったので、仕方なく高速バスで札幌へ移動という慌ただしい行程。
でも、寄り道した上砂川で、感動できるスポットに立ち寄ることができたので、収穫は大きかったです。

三日間、かなりの距離を歩き通して、正直足が限界に近く、帰りの特急では眠ってしまいそうになったが、帰宅して、娘がお土産を喜んで受け取ってくれたら、疲れも吹き飛んだ感じ。
明日は、冬の準備を一つした後、市内の温泉でゆっくり休み、明後日からの仕事再開に備えます。

ということで、旅の成果(?)は、明日以降ゆっくりお知らせしますが、一つだけ予鈴。





このワンちゃん、一体何者(?)でしょう?
彼女(雌だそうです)のことは、「知る人ぞ知る」だろうけど、彼女と関係の深いワンちゃんに、恐らく誰もが知っているであろう、超有名なワンちゃんがいるのです。
答えは、明日以降、どこかの記事で。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする