自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆旅館的ホスピタリティ

2008年12月27日 | ⇒トピック往来

   年の瀬のちょっとした休日を利用して加賀市の山代温泉へ家族旅行に出かけた。冬の料理は彩りが鮮やかだ。「香箱蟹 琥珀ゼリー」(ズワイガニのメスの剥き身と二杯酢のぜリー固め)=写真=から始まって、「寒鰤山椒焼 焼大根」「鯛の白山蒸し」「ずわい蟹宝楽焼」など海幸が豊かだ。ズワイガニの甲羅に熱燗を入れて「甲羅酒」としゃれ込んだ。

  食を豊かにするのは味付けや食材の多さだけではない。「もてなし」という情感のこもった気づかいや応対が伴ってこそ、膳に並ぶ食も輝きを増す。もてなしは英語でホスピタリティといい、最近では学問として研究されてもいる。ところで、このもてなしの原点ともいえる農耕儀礼が能登半島に伝承されており、先ごろ、文化庁はユネスコ(国連教育科学文化機関)が無形文化遺産保護条約に基づき作成するリスト(09年9月)の登録候補の一つとして申請した。「あえのこと」である。「あえ」は饗応(ご馳走をしてもてなすこと)を意味する。

  あえのことで、もてなす相手は「田の神」である。神社で執り行うのではなく、それぞれの農家が毎年12月5日と2月9日に行う。この日、羽織袴の主(あるじ)は襟をただして田の神をお迎えし、そしてお見送りする。ここで読者のみなさんは「田舎の農耕儀礼をなんでわざわざユネスコの無形文化遺産に」と思うかもしれない。でも、ここからが見所なのである。実は田の神は稲穂で目を傷め不自由であるとの設定になっている。まず、田に出迎えに行き、その家に田の神を招き入れる。敷居が少々高ければ、「お気をつけください、敷居が高くなっておりますので・・・」と、田の神が転ばぬように配慮しながら案内して進む。

  家の中ではまず座敷に上がって一服していただく。お風呂に入ってもらい、ご馳走を召し上がっていただくという手順になる。食前に甘酒、煮しめ、ブリの刺身、酢の物など能登の山海の幸が並ぶ。料理は二の膳、三の膳の献立をすべて口頭で判りやすく、そしてどの料理がどの位置にあるかきちんと説明する。主は自ら目が不自由だと仮定して、イマジネーションを働かせながら田の神をもてなすのである。ここが形式化した儀礼とは決定的に違うところなのだ。相手の身になって、自らの感性でもてなす。傍から見ればジェスチャーだ。言葉や所作に手を抜けば単なる田舎芝居に見える。が、磨きがかかったもてなしを演じ切れば名優のごとく、どこに出しても恥ずかしくない。見ていてすがすがしい。

  稲作や農業に感謝の気持ちが薄れつつある昨今、あえのことの後継者も減り、伝承農家は十指に足りぬほどになった。しかし、千年も続いているといわれるあえのことの精神・文化は風土としてこの地に染み渡っている。「能登はやさしや土までも」。能登を訪れ人々と語らうと、食も心も和むのだ。

⇒27日(土)午前・加賀市の天気  あめ 

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