自在コラム

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★能登半島地震 「寄り添いの美学」 両陛下が被災地を訪問

2024年03月22日 | ⇒ドキュメント回廊

  宮内庁は2月9日に、天皇陛下の誕生日(2月23日)に先立って、お住まいの御所で撮影した両陛下の映像を公開した=写真・上、宮内庁公式サイト=。前の机の上にことしの歌会始で使われた輪島塗の御懐紙箱が置かれ、後方左には輪島塗の飾盆、そして右に珠洲焼の壺が飾られている。両陛下が能登半島地震による輪島や珠洲などの被災地を案じておられるとのお気持ちを察する写真でもある。

  天皇陛下が奥能登を訪れるのは2018年8月以来ではないだろうか。皇太子だった当時、珠洲市で開催されたボーイスカウト日本連盟主催の国際キャンプ大会「日本スカウトジャンボリー」に出席された。その時のあいさつのお言葉で、「能登の地は、長い時間を掛けて自然と調和した人の営みが造り上げた里山里海を有しています」と述べられた。その能登の里山里海が元日の震災に見舞われた。

  メディア各社の報道によると、両陛下はきょう午前10時前に全日空の特別機で羽田空港を出発。午前10時50分に能登空港に到着し、馳石川県知事らの出迎えを受けた。両陛下は黒のタートルネック姿で、午前中は馳知事から被災状況について説明を受けた。現地に負担をかけないようにと、昼食は東京から持参された。

  午後に能登空港からヘリコプターで航空自衛隊の輪島分屯基地へ移動し、輪島市内の被災状況について坂口市長から説明を受けた。午後1時半すぎ、両陛下はマイクロバスで「輪島の朝市」に到着。4万9千平方㍍が焼失し、多くの犠牲者が出た焼け跡に向かって黙礼をされた。天皇陛下にとって朝市は、学習院高等科1年生の頃に訪問されたことのある思い出の場所でもあり、現地でどのようなお気持ちだったのか。このあと、坂口市長の案内で避難所に移動された両陛下は被災者の人たちを見舞われた。

  その後、ヘリで珠洲市に移り、午後4時すぎに野々江総合公園に到着。泉谷市長の案内で避難所で生活をする人たちを見舞われた=写真・下、NHKニュース=。午後5時30分、高さ4.3㍍の津波が押し寄せた飯田港を訪れ、泉谷市長から津波や地震の影響で漁船が転覆するなどし、緊急物資などを積んだ船も迎えることができない状況だったことなど、説明を聴かれた。

  以下、テレビのニュースを視聴した印象だ。両陛下は被災地の2人の市長の説明に熱心に耳を傾けておられる様子だった。避難所を訪れ、膝をついて被災者と対話する丁寧な所作に、被災者に寄り添う気持ちが伝わってくる。そして、被災者ひとり一人に「お体を大切に」とお声をかけられるなど、「寄り添いの美学」のようなものをお二人から感じた。

⇒22日(金)夜・金沢の天気   くもり時々はれ


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