自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆「あさま山荘事件」から50年 現場を行く~上~

2022年01月17日 | ⇒ドキュメント回廊

   高校・大学時代からの友人と軽井沢に来ている。きょうの天気は晴れで、浅間山もはっきり見えたのでドライブに出かけた。目指したのは、1972年2月、銃を持った連合赤軍の若者が長野県南軽井沢の企業保養所に押し入り、管理人の女性を人質に立てこもり警察と銃撃戦となった「あさま山荘事件」の現場だ。

     殉職警官2人の顕彰碑の向こうに前代未聞の銃撃戦の現場が

   この事件があった50年前、高校2年生だった。キューバ革命のチェ・ゲバラを崇拝し世界同時革命をめざす赤軍派と、毛沢東理論で一国革命を唱える京浜安保共闘が連携したゲリラ組織だ。群馬、長野の冬の山中を警察に追われながら逃げ延び、ついにあさま山荘に人質を取って立てこもる。ライフル銃や猟銃のほか実弾2千発余り、手投げの爆弾も持っていた。強行突入の様子には自身もテレビにくぎ付けだったことを覚えている。

   グーグルマップで「あさま山荘」をめがけて走行する途中に、「浅間山荘事件顕彰碑」という看板があった。車を降りて顕彰碑に向かった。顕彰碑には「治安の礎」と書かれてあった=写真=。顕彰碑の裏の添え書きを読むと、事件の翌年の1973年にあさま山荘を後方に臨む道路の入り口に建てられた。事件の教訓と犯人の凶弾に倒れ殉職した2人の警察官の功績を称えた文章が刻印されている。

    犯人が立てこもってから10日目の2月28日、いよいよ人質の生命が危ういと警察側は判断し、強行突入し救出作戦に入る。人命尊重を第一に慎重な態度を崩さない警察に対し、「警察のやり方は手ぬるいのではないか。だから過激派がはびこる」というような批判もわき起こっていた。警察は午前10時に突入、この様子は生中継でアナウンサーが逐一リポートした。

   元日本テレビのアナウンサー、久能靖氏の著書『浅間山荘事件の真実』(河出文庫)に当時の報道陣の視線で現場が描いている。午前10時の突入のシナリオはすべて警察とメディアの「報道協定」で取り決めがなされていた。雑誌を含む新聞、テレビ、ラジオなど52社との協定は当時とすれば「史上空前の報道協定」だった。犯人を射殺した場合、射殺した警察官の氏名は公表しない、事件解決後のムービーカメラによる現場撮影は3分(100フィートのフィルム1本分)といった内容まで協定で細かく決められていた。

   ところが、警察隊は催涙ガスと放水をしながらもなかなか前に進めない。午前中には終えると思われていた警察側のシナリオが狂う。そして、警官2人が射殺された。生の衝撃的な画面が視聴者の目の前で9時間にわたって展開されるという、前代未聞のテレビ中継となった。

  亡くなった2人の警察官の顕彰碑に手をあわせ、事件の現場に向かった。

⇒17日(日)夜・軽井沢の天気   くもり


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