自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆稲刈りシーズン 千枚田に新たな歴史の1ページ 田んぼアートに小学生の想い

2024年09月08日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登の田んぼも稲刈りが最盛期だ。きのう(7日)輪島の白米千枚田を訪れると、ことし耕された120枚の田んぼでほぼ稲刈りが終わっていた=写真・上、7日撮影=。本来ならば1004枚の田んぼは地元の千枚田愛耕会や棚田のオーナー制度の会員、ボランティアによって耕作されるが、元日の能登半島地震でひび割れなどが起きて、ことしはなんとか120枚を耕すことできた。

  震災後、自身が千枚田にたどり着くことができたのは3月4日だった。リアス式海岸沿いにある千枚田、その海岸沿いを走る国道249号が海底の隆起や土砂崩れでズタズラになった。いまでも一部は通行止となっている。千枚田は土砂崩れなどはなかったが、田んぼのいたるところで亀裂が走っていた=写真・中、3月4日撮影=。大きなもので幅10数㌢、深さ50㌢ほどの地割れが数㍍続いていた。田んぼは水はりをするので、この地割れでことしの水耕は無理だと素人ながら考えてしまった。一方で、千枚田を運営管理する公益財団法人「白米千枚田景勝保存協議会」では稲作を続けようと、クラウドファンディングで寄付を募っていた。「修復には大量の土砂や杭が必要であり、また、人力での修復となりますので、人を動かすお金も必要です」と。

  行政を交えた景勝保存協議会とすれば、千枚田は2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連世界食糧農業機関(FAO)から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的な存在だ。是が非でも耕作を続けたいとの意思があったのだろう。それが奏功して、愛耕会や棚田のオーナーの協力を得て、なんとか120枚の耕作にこぎつけた。稲刈りを終えた田んぼを見て、千枚田に新たな歴史の1ページが刻まれたような思いがした。

  輪島市に住む知人から、「輪島市の町野に面白い田んぼがある」とメールをもらっていたので、千枚田を後にして見に行った。田んぼに「生きる」という文字や、ハートを抱きしめた人の姿が描かれていた=写真・下、7日撮影=。通りかかった地元の人に尋ねると、小学生が描いた「田んぼアート」という。ハートの赤は古代米の赤米、文字や絵の線の緑は同じく古代米の緑米で、黄色い部分はコシヒカリとの説明をいただいた。子どもちを指導したのは地元のベテランの農家の方とのことだった。

  能登半島地震では家屋の下敷きになるなど227人(※県が9月3日に229人から修正)が直接被害で亡くなっている。田んぼアートに描かれた「生きる」というメッセージは、子どもたちが「みなさん、亡くなった人たちの分も頑張って生きましょう」との想いを込めたのだろうか。

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