自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆能登の火様 受け継ぎ広げる物語

2023年01月10日 | ⇒ドキュメント回廊

   かつて民家の朝の始まりは、囲炉裏の灰の中から種火を出し、薪や炭で火を起こすことだった。能登では、そうした先祖代々からの火のつなぎのことを「火様(ひさま)」と言い、就寝前には灰を被せて囲炉裏に向って合掌する。半世紀前までは能登の農家などでよく見られた光景だったが、灯油やガス、電気などの熱源の普及で、囲炉裏そのものが見られなくなった。火様の風習も風前の灯となった。

   その火様を今でも守っているお宅があることを聞いたのは10年前のこと。2014年8月、教えていただいた方に連れられてお宅を訪れた。能登半島の中ほどにある七尾市中島町河内の集落。かつて林業が盛んだった集落で、里山の風景が広がる。訪れたお宅の居間の大きな囲炉裏には、300年余り受け継がれてきたという火様があった。囲炉裏の真ん中に炭火があり、その一部が赤く燃えていた=写真=。訪れたのは夕方だったので、これから灰を被せるところだった。この集落でも火様を守っているのはこの一軒だけになったとのことだった。このお宅の火様を守っているのは、一人暮らしのお年寄りだった。

   案内いただいた方の妻の実家がこのお宅の隣にあり、それがご縁で火様のことを知ったとの話だった。その方から火様の第二報を届いたのは2016年秋ごろだった。「火様をお預かりすることになりました」。火様を守っていたお年寄りが入院することになり、最後の火様が消えることになるので、火様を自身が継承するとのことだった。

   その方は現在、埼玉県に住んでいる。どうのように火様を守るのかと尋ねると、預かった火様を囲炉裏ではなく、2週間燃え続けるオイルランプに灯し、それをウエッブカメラで埼玉から見守る。2週間ごとに七尾市を訪れ、オイルを補給する。万一に備えて、オイルランプは2つ灯している。「伝統の灯は消せない」と話しておられた。

   ともとも外科医で定年退職後に空き家となっていた妻の実家の活用を考え、能登と埼玉を行き来するようになった。能登の古建築がイスラム教徒(ムスリム)の宿泊場所に適していることに気がついて、家を修築してムスリムの宿泊施設を開設した。能登の家に特徴的な大広間は礼拝の場所となっている。「過疎化の病(やまい)に陥った能登を治したい」。能登に世界の人々を呼び込むことで、地域を活性化したいとの思いだった。

   火様の第三報が届いたのは去年の9月だった。伝統の灯を消せないと守ってきたが、火様を受け継ぐ人を広げようとの思いから、茶道用の茶炭を焼いている珠洲市の製炭業の職人、そして金沢市の薪ストーブ会社に火様の話を持ち込んだところ、快く受けてもらい、両者を火様の受け継ぎ手とする認定式を行い、火種を分けたという。さらに、一般社団法人「能登火様の守人」を立ち上げたとのことだった。「守りから広げるに発想を変えました」と。

   その方から年賀状をいただいた。「少しづつ、肩の荷を軽くしてまいりたいと思います」。ことし74歳になる。一人で守ることの心の重さを感じていたのだろう。守人を広げることで「肩の荷」を軽くした思いなのだろう。伝統的な風習を現代風に解釈することで受け継ぎ広げる。火様の物語だ。賀状を読んで思わず、「お疲れさまでした」と拍手をした。

⇒10日(火)午前・金沢の天気    くもり

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