きょう未明、就寝中にグラグラと揺れた。時計を見ると、1時36分だった。スマホで地震速報をチェックすると、震源地は金沢市内で深さ10㌔、マグニチュード(M)3.4、震度2だった。このブログ(4月11日付)で紹介した、地震予測の研究グループは今月中にも「北信越地方周辺でM6.0±0.5の地震」と発表している。揺れが再び来るのではないか、そんなことを考えると寝付けなかった。
話は変わり、訃報を。きょうの朝刊によると、NHKのドキュメンタリー番組『生きもの地球紀行』のナレーションをつとめ、名脇役として知られた柳生博氏が山梨県北杜市の自宅で亡くなった。85歳だった。 自身も一度だけだが、柳生氏と対面で話をさせていただいたことがある。
2011年1月27日に東京の経団連ホールで開催された、三井物産環境基金特別シンポジウム「~がんばれNPO!熱血地球人~」に参加した。基調講演で、日本野鳥の会会長の柳生博氏は「森で暮らす 森に学ぶ」をテーマに、35年前に八ヶ岳に移り住んで森林再生を始めたきっかけや、環境問題に関する人々の意識の高まりについて、山中の生活者目線で話された。
印象に残ったのが「確かな未来は、懐かしい風景の中にある」という言葉だった。人間が生きる自然環境は「懐かしい風景」だ。田んぼの上を風が吹き抜けていく様子を見た時、あるいは雑木林を歩いた時、そんな時は懐かしい気持ちになる。超高層ビルが立ち並び、電子的な情報が行き交う都会の風景を懐かしい風景とは言わない。「懐かしい風景」こそ、人々の「確かな未来」と見据えて、自然環境を守っていこうという柳生氏のメッセージだった。
シンポジウムの事例報告として、自身は「能登の自然学校から広げる未来可能性~地域と大学のクロスカップリング~」と題して、里山里海に恵まれた能登半島の生物多様性を守る金沢大学の人材育成について話した。すると、講師控室で柳生氏が「渡り鳥にとって、能登半島は大切な場所だよ」とミゾゴイやサシバの話をされた。そして、「鳥たちだけでなく、人間の子孫のためにも、里山の風景を取り戻しましょう」とあの笑顔で語られたことを覚えている。
柳生氏はことし2月中旬以降、体調が悪化したものの病院には入院せず、大好きな八ヶ岳の森に囲まれて家族らに見守られながら穏やかな最期を迎えたという(21日付・FNNプライムオンライン)。鳥の鳴き声、風の音を聞きながらあの世へと旅立たれたようだ。
⇒22日(金)午後・金沢の天気 はれ