2011年12月31日。大晦日日本海縦貫線南下の旅も佳境です。酒田まで701系で290.6kmもの距離を移動してきました。ロングシートでの移動はきついです…座ってませんけど[E:smile]酒田からは電化されている羽越線ではありますが、交直デッドセクションがあるため伝統の架線下気動車による道中になります。キハ110系2両編成が対面に停車していました。新津行き…まだまだ道中は長いです。乗り継ぎに30分ほど時間がありましたが、ホーム上には食料を調達できるようなものはなく、改札を出て何か…と言うほど元気もないので、早速キハ110系のボックスを確保して飲み物を買って発車までまったり過ごします。2両編成ですが、ワンマン運転ではなく車掌付列車です。車内はかなり空いています。18きっぱーと思われる人々が多く、高校生と地元の人が数人と言った感じです。17時22分定刻に発車。17時を過ぎると外は真っ
暗です。羽越線と言えば強風による抑止が近年頻発していますが、この日は穏やかなもので、キハ110系も快調に飛ばしていきます。以前鶴岡までキハ110系による旅を楽しんだことがありますが、その時はいなほの事故直後で鶴岡~余目間が不通になっていたので、代替バスに乗りました。この辺りの撮り潰しは中途半端に終わっているのでまた再訪しなければなりません。余目で小奇麗な待合室を発見。その後、他の駅でも小奇麗な待合室が主要駅に設けられているのを見ました。主要駅には自動改札も導入されているし、JR東日本は地方へ行ってもお金持ちなのがよくわかります。JR西日本とはえらい違いですし、東海以外のJRとも格差が広がるばかりです。東北や信州だけでは鉄道も成り立たないので、やはり東京のパワーが突出しているということなんでしょう。鶴岡、あつみ温泉と暗闇の中南下を続けていき、羽越線の関所鼠ヶ関に到着。奥州三関の一つとされ、白河関、勿来関と肩を並べる東北の入り口になっています。今は関所はないものの列車ダイヤがここで途切れることが多く、18きっぱーにとっての関所となっています。新潟県に入り、越後寒川で特急の待避を行
うためバカ停。長い道中の中で最初のバカ停です。特急通過シーンをカメラに収めようとホームに下りると近くで波の音が聞こえました。暗闇なのでどこから海なのかわかりませんが、海際の駅のようです。かすかに波しぶきが見える気もします。通過を待っていたものの、1面2線と思っていたら反対側にもホームがあって、特急はそちらを通過して行きました。見事に失敗です。それにしても吹き付ける風は強く寒いです。この風が羽越線の運行の難敵であることは周知のとおりです。村上でも特急との行き違いのためまたバカ停。特急の遅れにより発車が若干遅れました。村上にも自動改札があり、人は少ないものの都会の駅の様相です。坂町からは
29日に辿った道中を新発田まで走ります。途中貨物列車とトワイライトとすれ違いました。新発田から白新線に入れば早く新潟に着きますが、ここは羽越線完乗の旅を続けるため乗り続けます。対向列車待ちなどで新発田でもバカ停です。新発田~新津間は夜行列車で乗車済みですが、ローカル列車に乗るのは初めてです。残念なことに夜の帳がすっかり下りた中では撮り潰しもできません。水原回りと言われた羽越線も今や裏道中。新発田で乗り換えた人が多く、車内はさらに閑散としました。途中高校生の乗り降りがなんぼかあり、水原は中心駅に位置するのか乗り降りが多かったです。普通に“みずはら”と呼んでしまいますが、実は“すいばら”なんですよね。駅名や地名はけったいな読み方をするので難しいですね。そこが魅力ともいえるのですが…。漸く終点新津に到着。羽越本線271.7kmの旅もこれにて終了です。
2012年3月20日近鉄ダイヤ変更第2弾。区間快速急行と快速急行の統合です。快速急行の停車駅に室生口大野、赤目口を加えて区間快速急行を統合して快速急行とします。さらに伊賀上津、西青山、東青山を通過に変更の処置も取られます。これにより夕方ラッシュ時などに快速急行より多く運転されている区間快速急行が全て快速急行に置き換えられます。種別名称に区間が付くのは関西の伝統でもあり、他社にも区間急行などが存在しますが、区間快速急行が存在するのは近鉄だけ。唯一無二の存在だった近鉄大阪線の区間快速急行が消滅することにより、この列車種別自体が消滅してしまいます。また、大阪線名物の最終の区間快速急行大和八木行きも快速急行に置き換えられるものと思われます。同列車は従来から快速急行と停車駅が変わらないので、区間快速急行にする必要はありませんでしたが、かつては快速急行が五位堂に停まらなかった時代があり、その名残で区間快速急行となっていたようです。この名残も今回のダイヤ変更で姿を消します。