空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

地震報道をみながら

2016年04月15日 00時14分11秒 | 思考試行

必要な手立てをどうとっているか。地震は必ず起こるといわれながら、本当にその対処ができているか。何事があっても、問題なく対処できるかといえば、それは、不可能と思われている。

政府が、緊急対策をとると、大臣を集めても、日常から準備をしていなければ、それは単なるパフォーマンスにすぎない。

原発は、特にこんなときには最大の心配ごとである。民意は、原発をやめようと、いうのが普通だろう。現政権は、これを無視して再稼働を進めてきている。

戦争だって、できるようなな国にしようとしている。それでいて、日常的な災害対策なんて、どこもできてはいない。出たとこ勝負であり、地道な対策なんてとり組んできてはいないのだ。

そういう実態が、次々と明らかになる。これは、真に国民のことを、本当には、日常から考慮してはいないことを、明確にする。それは残酷なほどである。

富裕層は、ここでも、被害から遠くにいる。倒壊するような家屋に住んでいる人は、概ね弱者であり、対策の対象とはなっていないのである。

本当に、弱者のことを考えた対策、政策こそ、日常的に、実行されなければならない。貧富の格差を是正しなければならない。それは、安全対策である。これを現実化するのは、いつか。

選挙こそ、その唯一の機会である。憲法を変えて、戦争ができるような国にしてはいけない。地震のこの最中こそ、国民は、覚悟をきめるべきである。


嫌なことはしない、について

2016年04月14日 18時27分26秒 | 思考試行

無理やりやらされることは、これは、大変な苦痛を呼ぶ。辛いけれども、やらなければならないと思ってやるのは、嫌とは言えない。

だが、単純に嫌ならばやらなければいい。どこまで、自身を眺めて、やらなければならないと何故思うのかが問われる。

やらなければならないのだが、嫌だからやらない、も有りうる。嫌は、本人にとって、一番だからこれに勝てるものはない。やらされるのではなく、やらないのは、本人の意思だから、その結果、誰もがやらなければ、例えば人類が滅びるとしても、それは致し方なしである。

人類は滅びるよりほかないのである。それが、嫌なら、滅びないようにするべきことをするしかない。その人々のおかげで、ほかの人々は、ボーッとしていても、生かしてもらっているわけだが、それも人間である。

そういう事情を知ったうえで、嫌なことはしないでいい。有形無形の、そのことによる化学反応が起こる。それを受け入れるということだ。不都合を受け入れることだ。

命のふるえるような感動を求める人は、おそらく、自分の命のことなど、なんとも思わないのかもしれない。だとして、錯覚や、洗脳でそんな思いになっているとしたら、これは悲劇である。

本人は、嫌ともおもわず、感動しながら、死んでいき、そのために多くの悲劇が生まれているのである。主体的なことだけでなく、客観的にモノをみているかどうかも重要である。


預けられても

2016年04月13日 11時23分47秒 | 思考試行

ネットでは、古い話も、今の話も、ランダムにでてくるから、過去のことを現在形で、話しているのが、歴史の現実を語っているようで面白いこともある。

大蔵省がすべての官庁の親玉として君臨していたころ、郵政、年金の運用を一手に自分の仕事としていた。そこで所詮は、素人集団。相当な損失を出していたらしい。

このままでは、危ないと、その「権益」を各省へ戻したという。それで、今、また年金の運用で、エライ損失をだしているという報道がある。

金の運用であるから、見通しを誤れば、すぐにこういう事が起こる。安全第一とか、金の使い方に、哲学がなければ、博打と同じである。

先のことは、誰にもわからないで片付けられる。銀行でさえ失敗するのだから、官僚などできないであたりまえ、てなことである。

誰も、なんの痛みを感じてはいない。とばっちりは、少ない年金をさらに削られて庶民が苦しむだけのことである。

確かに、大金を預けられて、上手く増やしてくれなどと言われたとしても、専門家らしい連中に、丸投げして、あとは知らん顔であろう。

専門家は、手数料と称して、ガバチョを懐を肥やすというわけだ。世界的に、不公平、不合理なことがわかってきている。

冨の分配は、世界規模で、解決することを考えなくてはならない時期をむかえつつある。


日帰り温泉へ

2016年04月12日 11時08分01秒 | 思考試行

久しぶりの日帰り温泉に行く。いろいろあって、あんなにしょっちゅう行っていた温泉もなかなか行けなかった。好天気でもある。

吟行を兼ねて、のんびり行こうと思っている。

と、ファックスが入った。なんであろうと、予定を変えるつもりはないが、どんなファックスだろう。いつもの、勝手に送ってくる広告だろうが、少しきになる。

で、見ると、やはり広告であった。

直ちに出発する。


母の成長

2016年04月11日 09時39分45秒 | 思考試行

去年の9月、もう末期かと思われた母が、食事に「文句」を言い始めて、普通食に変わり、ぐんぐんと回復してきた。施設の中でも、有名となり、今は、新聞もとり、本なども読み始めている。

なにがきっかけかといえば、本人の気持ちの変化が大きいと見ている。家で、介護していた期間は、相当長いが、その間は、ほぼ寝たきりであり、トイレに立つときだけ立ち上がるという状況であった。

その後、私の病気の発生で、家での介護は無理となって、施設入所ができたのだが、本人は、家に帰ることができると考えていたようで、いよいよ正式入所が決まったときあたりから、様子が変わり、もともと自己本位の傾向が強かったので、相当な不満があったようだ。

ただ、条件がどう考えても無理があり、本人が、客観的な見方を少しずつできるようになって、今の状況を受け入れる心境の変化があったようだ。

今まで、聞いたことがなかったような感謝の言葉が出るようになり、周囲の人々のことなども気付くようになってきた。それは、我々同居家族に対しての振る舞いも変わった。

元気な頃は、当方を無視したり、家内などは意地悪をされたりもあったのだが、そんなこともなくなり、普通に会話ができるようになった。表情も変わった。

人生捨てたものではない、とこちらも思えるようになってきた。


格差是正がすべて

2016年04月10日 12時33分52秒 | 思考試行

金儲けした連中が、いったいどんな努力をしたというのだろうか。本人は、いろいろ考えるだろう。そこには、自分だけの力であったのだろうか。人の成果を横取りしただけではないかと、少しは思わなかっただろうか。

この世の今の仕組みは、誰もが、必ず、誰かの世話になって生きている。一人では生きてはいけない構造になっている。

人様に偉そうに言える立場にはないのである。憐れみの目で人を見ることなんてできないのである。自分が憐れみの目をもってみられる立場なのである。

だから、偉そうにしてはいけない。舛添東京都知事の外遊の豪勢な費用の使いぶりが報道されている。石原都知事だって、そうだったらしい。とんでもないことだ。

税金を無駄遣いして憚らない。こんな連中が、行政をしている。世界をみても、権力の座にあるものが、個人の蓄財に懸命になっている様子が、明るみになってきた。

金に余裕がある人は、それなりに、その使途を眺めてほしい。税金でとられることを恐れて、タックスヘイブンなんて使うなよ。

貧しい人に金をまわすことを、真剣に考えよ。そこから世直しが始まる。


パナマ文書から

2016年04月09日 12時11分07秒 | 思考試行

真相がわからなければ、改善のしようもない。金持ちが、節税しようとして、いろいろ画策をしている。その一端が暴かれたということか。

有り余る、冨をもちながら、その根性が汚い。これで、諸悪の実態の少しが明らかになったと見るか、それとも、ここで、すべては権力の力で、陰謀であり、ウソだとされて、サッサと幕引きに向かうのか。

これはあくまで氷山の一角にすぎず、どんどんさまざまなことが明らかになっていくのか。注目しなければならない。世界は、まだまだ、とんでもない水準であり、ひどいものだということが、徐々に、明らかになってきている。

それがわかれば、今度は改善しかない。どうやれば、金持ちから冨を吸い上げ、それを貧困層の分配できるか。それが、できれば、かなりの世間の問題が解決される可能性もある。

金ですむことなら、どんどん解決すべきである。それにしても、こんなことが富裕層のために用意されていて、貧困層は、まるで奴隷のように使い捨てにされている実態がある。

庶民は、いつまで、我慢をするつもりだろうか。


人気

2016年04月08日 07時44分47秒 | 思考試行

「ずんずんずんドコモ」 のフレーズと、高畑充希の、あの目つきにやられた。なんど見ても、見てしまうおかしさがある。電車のなかでの、「おい起きろ!」で、寝ぼけ眼もいい。

彼女は今や、大人気である。朝ドラの主人公として、これから、本格的に、出番が始まるようだが、大人しいイメージから、どんどん新境地が生まれてくるのだろう。

どこから人気が出てくるのか、きっかけがある。しかし、これがきっかけとなるとは、誰も想像しなかったことかもしれない。日頃、ありそうでない表情が、CMでなんども流されると、惹きつけられてしまう。

彼女の魅力をうまく引き出したCM製作者は、してやったりの気分でいることだろう。NTTの売上はどうなっているのだろうか。こういうことが、経済活動の成否を決めるとすれば、人気というのは、本当に不思議なものである。

誰にも好かれようというより、生き物としての、正直さ、素直さ、気持ちよさなど、少し超越したところが、魅力になるような気がする。彼女のとぼけた味わい、あの目つき、これから流行るかもしれない。


見てもいないものを見たという

2016年04月07日 11時02分52秒 | 思考試行

それはいけないことだろうか。見てはいないものを、見たふりをする。それは、結構あるのではないか。実生活でウソをつくのは、概ね間違っているというか、世間を混乱させる可能性がある。

だが、俳句の世界では、実生活、実体験に加えて、いろいろ条件を加えたり、よりいい状況にするべく、ウソをくわえることは、当然のワザをされているようである。

まるまる真実のみでなければならないということではない。小説でもそうだろう。フィクションとしての魅力があるので、すべて、真実となれば、作品はできない。

ノンフィクションの分野も、文章にする限り、真実の世界を、そのまますべてを表現しきることは、ほぼ不可能なことなのではないか。ある種の限界がある。

出来うる限りの努力をしているということである。本質は外さないということだろうか。見てもいない世界を、見たかのように言うのは、たしかに変なのだが、人間というのは、まことに変な生き物である。


真相解明の試み

2016年04月06日 09時25分16秒 | 思考試行

世の中では、いろんなことが言われている。まことしやかに、ウソが飛び交い、真相が隠れる。そこで、誰かが、真相をさらけだすという意欲を持つことになる。

今の世の中、誰もが情報発信できるのである。誰かが、真相を知る者が、あまりの理不尽に発信することになる。いいことである。

マスコミが、いろいろ囲い込んで、情報を隠しまわっても、どこからか、真相は漏れる。またもれなくなるとすれば、そんな世の中は、相当ひどいことになっているといってよい。

何度も保険会社のことを書いているが、代理店手数料が五分の一になった。こんなひどいルールを持ち込んでくるヤツは誰か。これは、日本人の仕業とは思えない。違うところの意思が働いている。

実は、保険会社は、日本の会社の顔をしているが、ものその内実は、誰からの支配のもと、いいなりに動いている姿がみえるような気がする。

まさに、奴隷化がはじまっている。拝金主義者が蠢いている。諸悪の根源の欲ボケ連中がはびこっている。

いつの日か、これらの連中の溜め込んだ「みんなの冨」を、吐き出させる工夫をして、実現しなければならない。彼等の目つきを普通にするためにも。


富裕層の問題

2016年04月05日 09時27分02秒 | 思考試行

諸悪の根源は、富裕層の欲ボケ行動にある。ここが、いろんな意味で、社会的な認識、貢献、に動くならば、世の中いい方向へ動くにちがいない。

単に、もっともっと儲けたいと動くと、貧者はますます貧しくなる。貧者の子供は、また貧者となり、うかびあがるのが難しくなる。

みんなが、浮かび上がれるような社会構造にするならば、お互い助け合い精神も生まれてくるから、よほど暮らしやすい、人間関係もいい、喜びにみちた社会を実現できる。

警戒と監視からは、憎しみしか生まれない。一旦、憎しみが生じた場合、貧者と富裕層が、手を握ることはなくなる。悲劇の温床ができあがる。

その改善ができるならば、人間らしい社会が実現でき、新しい人間関係、成長が望めるのではないか。思い込み、憎しみ、恨み、復讐、ありとあらゆる悲劇の苗床をさらに拡張するのか、それとも、新しい関係性を産み出し、人間を一歩進歩させるのか、今、その岐路にあるのではないだろうか。

富裕層が如何に、決心し、世の中の改造にどう乗り出すかである。


自己と他者

2016年04月04日 08時45分19秒 | 思考試行

自己意識に埋没してしまうと、問題が起こる。他者がみえない、理解できない、うまく折り合えない、となると、さまざまな悩みが生ずることとなる。

気にしすぎることも、よくない。で、その塩梅が難しいとなる。結局は、多くの事象を見て、知って、自身の見解を持つことが必要で、その考え方が、自分のものでなくては確信がもてないだろう。

自分が、どう考えるかが、結局は重要である。その考え方が妥当であり、一般にみんなそう考えてもいい、のであれば、その考え方でいいといえるし、独創的であるけれども、それはそれで成立する場合もあるだろうし、その幅は相当広いともいえる。

自分でも、自信がもてないようであったり、トラブルが頻発するようであれば、点検するつもりで、見直すことも必要である。

また、こうあるべきと、信念のような意見を持つことも、時にトラブルのもととなる。それが妥当かどうかの判断が難しいのである。他者との関係が、ここでも生ずる。


夢から醒めて

2016年04月02日 09時48分25秒 | 思考試行

なんとも困った夢をみることがある。例えば駐車違反をやった夢。車がない。レッカーで持って行かれている。さてどうするか。古い公衆電話があるが、小銭がない。

そしてその地理が、はっきりしない。知らない土地である。困ったなあ。と思っていると、夢だったと気付く。現実の方が、はるかに楽である。

現実にしっかり生きていれば、こんなことにはならないのだが、そんな夢をみるということは、現実から逃げている実態があるのかもしれない。

駐車違反をやったこともあるし、レッカー車に車が運ばれてこともある。これらが、トラウマになっているのだろう。

何かやったこと、体験したことは、このようにして、自身の内部に沈潜しているものかもしれない。いい体験を積み重ねることは、意味があることに思える。

現実を逃げずに、とっても逃げたほうがいいときもあるかもしれないが、基本は逃げないでしっかり生きていかなければならない。


新年度の始まり

2016年04月01日 12時03分45秒 | 思考試行

今年の新年度が始まった。春のいろんな出発の風景を見ることは楽しみである。小生も、その仲間に加わりたくて、放送大学を続けてきたようにも思う。

新学期の始まりである。もうすでに、放送番組は、見られるようになっていて、先行してみているが、とにかく今日から新学期ということで、心を新たに、番組に、印刷教材に取り組んでいきたい。

今回、心理統計法の科目をとっていて、これが、どうやら、難関のような気がする。印刷教材の冒頭から数式の定義がズラズラ並び、エクセルの関数が紹介されている。

どこまでいけるか、講師は、必ず解るからと言ってくれている。質問してくれと言っている。おそらくは、質問できるようであれば、理解できるということだろう。

質問もできないようであれば、それは、見込みなしということかもしれない。まあ、やってみなくてはわからない。さあ、新年度の出発だ。