問題にあたるとき、焦点をぼかしてはいけない。わかっていて、わざと肝腎なところを外してくるやり方がある。
事故があって、その責任を問うのに、焦点をぼかしてくる。焦点があえば、事故原因なり、今後の事故予防に役立つにもかかわらず、そこを曖昧にし、責任の所在を明らかにしない。
JR福知山線の事故の場合、まさにそうである。歴代社長の刑事責任は問えないということになり、では、あの事故はなんだったのかということになっている。
企業の犯罪ではないかという話も出てきている。事故原因があって、あの大事故があった。にも関わらず、誰も責任がない。というのは、それはおかしい。
今後事故を起こさないためには、どこに、事故原因があり、何を改善すれば、今後の事故が防げるのか、という視点がどうしても必要である。
「カーブの安全性について、社長は知ることができなかった。」など、本当の事故原因に、正直に迫っているとは、到底思えない。
真の事故原因は、なぜ若い運転手が、あのようなスピードで、カーブに突っ込んでいったのかということである。そこには、背景に、厳しい労務管理があった。そこを触れずして、何の事故原因かということである。