ネットでは、古い話も、今の話も、ランダムにでてくるから、過去のことを現在形で、話しているのが、歴史の現実を語っているようで面白いこともある。
大蔵省がすべての官庁の親玉として君臨していたころ、郵政、年金の運用を一手に自分の仕事としていた。そこで所詮は、素人集団。相当な損失を出していたらしい。
このままでは、危ないと、その「権益」を各省へ戻したという。それで、今、また年金の運用で、エライ損失をだしているという報道がある。
金の運用であるから、見通しを誤れば、すぐにこういう事が起こる。安全第一とか、金の使い方に、哲学がなければ、博打と同じである。
先のことは、誰にもわからないで片付けられる。銀行でさえ失敗するのだから、官僚などできないであたりまえ、てなことである。
誰も、なんの痛みを感じてはいない。とばっちりは、少ない年金をさらに削られて庶民が苦しむだけのことである。
確かに、大金を預けられて、上手く増やしてくれなどと言われたとしても、専門家らしい連中に、丸投げして、あとは知らん顔であろう。
専門家は、手数料と称して、ガバチョを懐を肥やすというわけだ。世界的に、不公平、不合理なことがわかってきている。
冨の分配は、世界規模で、解決することを考えなくてはならない時期をむかえつつある。