今、拙宅には、猫が5匹棲みついている。みんな、それぞれ、みごとに違う。
常時、庭にいるのは、ソトネコといったり、庭猫といっているのだが、この猫たちは、絶対に家のなかに、はいることはなく、エサヤリのときのみ、体を触らせるが、その触らせ方が違う。
できれば、触ってくれるな、という風にするのと、意に介さないという風にしたり、親しげに、すり寄せてきたり、その時の気分によるものもいる。
しかし、共通して、エサヤリのとき以外は、警戒の眼で、触らせるどころか、近づくことさえ許さない。何やネン、と言いたくなる。
それに比べると、家猫としているのは、放浪癖があったり、温かくなるとソトネコに変じるもの、外へは、少しだけしかでないものと、違いはあるものの、概ね体に障ることは、許される。
それでも、後ろから触ったりすると、ビクッとするのがいる。家の中にいても、安心はしていないようだ。
トイレは、庭でしかしないとか、家の中のトイレでのみするが、清掃できていないと、その周辺にするもの、下手なもの。
エサの要求の仕方も、違う。それぞれ、飼い主たる人間との距離感を、保ちつつ生きている。
先日、ソトネコのために、透明のビニール傘を、いつもはいっている、大きめのタオルを敷いた箱に蔽うように、取り付けたところ、えらいお気に入りで、ほぼ終日、そこで、すごすようになった。
いつもは、庭の隅とか、屋根とか、居場所が定まっていなかったのが、雨でもこの傘の中から、動かない。
こちらも、窓から、彼らの動静がみえるので、楽しみの新風景となっている。
常時、庭にいるのは、ソトネコといったり、庭猫といっているのだが、この猫たちは、絶対に家のなかに、はいることはなく、エサヤリのときのみ、体を触らせるが、その触らせ方が違う。
できれば、触ってくれるな、という風にするのと、意に介さないという風にしたり、親しげに、すり寄せてきたり、その時の気分によるものもいる。
しかし、共通して、エサヤリのとき以外は、警戒の眼で、触らせるどころか、近づくことさえ許さない。何やネン、と言いたくなる。
それに比べると、家猫としているのは、放浪癖があったり、温かくなるとソトネコに変じるもの、外へは、少しだけしかでないものと、違いはあるものの、概ね体に障ることは、許される。
それでも、後ろから触ったりすると、ビクッとするのがいる。家の中にいても、安心はしていないようだ。
トイレは、庭でしかしないとか、家の中のトイレでのみするが、清掃できていないと、その周辺にするもの、下手なもの。
エサの要求の仕方も、違う。それぞれ、飼い主たる人間との距離感を、保ちつつ生きている。
先日、ソトネコのために、透明のビニール傘を、いつもはいっている、大きめのタオルを敷いた箱に蔽うように、取り付けたところ、えらいお気に入りで、ほぼ終日、そこで、すごすようになった。
いつもは、庭の隅とか、屋根とか、居場所が定まっていなかったのが、雨でもこの傘の中から、動かない。
こちらも、窓から、彼らの動静がみえるので、楽しみの新風景となっている。