空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

性格の違い

2009年12月14日 09時44分53秒 | 思考試行
今、拙宅には、猫が5匹棲みついている。みんな、それぞれ、みごとに違う。

常時、庭にいるのは、ソトネコといったり、庭猫といっているのだが、この猫たちは、絶対に家のなかに、はいることはなく、エサヤリのときのみ、体を触らせるが、その触らせ方が違う。

できれば、触ってくれるな、という風にするのと、意に介さないという風にしたり、親しげに、すり寄せてきたり、その時の気分によるものもいる。

しかし、共通して、エサヤリのとき以外は、警戒の眼で、触らせるどころか、近づくことさえ許さない。何やネン、と言いたくなる。

それに比べると、家猫としているのは、放浪癖があったり、温かくなるとソトネコに変じるもの、外へは、少しだけしかでないものと、違いはあるものの、概ね体に障ることは、許される。

それでも、後ろから触ったりすると、ビクッとするのがいる。家の中にいても、安心はしていないようだ。

トイレは、庭でしかしないとか、家の中のトイレでのみするが、清掃できていないと、その周辺にするもの、下手なもの。

エサの要求の仕方も、違う。それぞれ、飼い主たる人間との距離感を、保ちつつ生きている。

先日、ソトネコのために、透明のビニール傘を、いつもはいっている、大きめのタオルを敷いた箱に蔽うように、取り付けたところ、えらいお気に入りで、ほぼ終日、そこで、すごすようになった。

いつもは、庭の隅とか、屋根とか、居場所が定まっていなかったのが、雨でもこの傘の中から、動かない。

こちらも、窓から、彼らの動静がみえるので、楽しみの新風景となっている。

どうも人生うそだらけでした。

2009年12月13日 07時06分00秒 | 思考試行
うらうらと、早朝に目覚めてトイレのあと、眠れぬ数時間。自分の人生をふりかえる。

どうも、地に足がついていない。何か事があれば、平常心をなくす。本質的には、そうであることを、どうやら、そういう事件、とんでもない事件に、遭遇しなかったために、何とか免れてきただけではなかったか。疑問形にするまでもなく、そうであった。

それは、個々の事件をふりかえってみれは、ごまかしようの無い事実が、示している。結婚と結婚。愛する相手ではなかった、可能性が高い。大きなゴマカシ。もちろん妻には言えない。

だが、それは、お互い解っていることかもしれない。チャント仮面夫婦という言葉がある。本当に、人を愛することを知らないできた可能性がある。

こういうことが、実人生であれば、何を書こうが、話そうが、それらはすべて空しい。いっぱしの顔をして、生きてきたことが、そのすべてが、うそ臭い。

だが、今更、正直に「真情」を吐露されては、周囲は困る。自分も困る。で、このまま続けるほかない。これが、結論なら、こんなことを書いてしまって何の意味があるのか。

相手は、いい迷惑である。うすうす感じながらも、表面に誤魔化されて、ここまでついて来てしまった。いまさら、何なのと、私の人生を、返してよと言われて、ただただ、うつむくほか無い。

何故、こうなったのか、戦うべきときに、思えば、逃げ続けたのではなかったか、そこで闘い、表現し、こっぴどくやられる過程を踏まなかったために、こんなうそ臭い人生になってしまったのではないか。

思い起こせば、思い当たることが、出てくる。堂々と、失敗し、反省し、打ちのめされなければ、ならないときには、そうしなければならなかった。それを、うまく避けて、すり抜けても、人生は甘くないということだろう。

偽りの人生を自覚しつつ、なんとか、人生を終えるその日までに、この偽り多き人生の、できることなら、手直しを計るほか無い。過ちを正すに、憚ることなかれ、という言葉もある。

堂々とは言えない。コソコソと、ヒソヒソと、行くしかない。なんせ、度胸もない、キュウキュウとして、何とか、生存してきただけにすぎないのだから。だが、この生きてきただけでも、評価してやらなければならない。それは、事実であり、それなりに、積み重ねてきたのだから。

「年金のおしらせ」のわかりにくさ

2009年12月12日 16時39分31秒 | 思考試行
年金のおしらせが届いた。これがわかりにくい。「さかのぼって、お返しいただく額」、そして、「さかのぼって支給される額」とある。

年金ダイヤルに電話。そうすると、意味は、加給年金の振り替えと、新たな保険料の追加納付をしたために、さかのぼって調整をしたという意味であることが解った。

要するに、さかのぼって、年金額を変更しなければならなくなった事があって、今までの支給額を返して、改訂額をさかのぼって支給する、という意味なのである。

これを、解らせるためには、どうすればいいのか。方法はあるのではないか。「返しもらう額」はどう考えても表現がおかしい。常識的に、考えることができるようにするべきである。説明の仕方が悪いために、どれだけ余計な仕事が増えていることか、来年一月から、組織が変わるけれども、改善を期待したい。

年金ダイヤルの担当者の人が親切で、対応も丁寧であったのが、救いであるが、それでも、上記の簡単な問い合わせに対して、直ちには、回答できず、「おしらせ」の記述がいかに、問題であるかがわかる。






錯覚

2009年12月11日 09時50分24秒 | 思考試行
いつもと違う行動をとると、まるで、そのことを忘れてしまう経験をした。隣の部屋で、散歩用の防寒ズボンを脱ぎ、襖を閉めてベッドインした。

翌朝は、襖をあけることなく、夕刻の散歩の時刻になって、さて、ズボンがないと大騒ぎ、洗濯モノのところでは、押入れでは、などと探しまわって、突然思い出した。

やはり、海馬の機能の劣化の反映だろう。先だっては、妻のメガネがどこへ行ったか解らない。そして、おでんの夕食の際に、からしの箱から、からしと共にメガネが出てきた。

なんで、こんなところにいれたのか、驚くばかりである。

加齢に伴う現象であり、落ち着いて生活しなければの教訓として、これからさきどういうことがでてくるのか、楽しみでもあり、恐怖でもある。

自覚としては、さほど衰えたとは思わないが、事実が雄弁に物語る。心して、生活に臨みたい。

冒頭の件では、妻がどうかしたのか、と疑い、自分のことは、すっかり棚にあげていた。思考方法が、自分には、間違いないという思い込みがあって、すぐ人のせいにしてしまう。要注意である。

鳩山さんのこと

2009年12月10日 10時17分39秒 | 思考試行
お金持ちで、恵まれた環境、政治資金についても自前で充分やっていける人。こういう人は、そうはいない。

その財力を言わば、奉仕の気持ちで政治に使っている。こういう、感じである。ところが、二階氏の場合や、小沢氏の場合は違う。利権がバックにあり、政治に期待する現実の利権、資本が動いている。

それこそ、利権と政治の関係が、もろに出ている。だれが、なんの見返りもないのに献金などするかいな、という関係である。

従来の政治と金の関係は、今、相当な勢いで変わろうとしているかに見える。はじまったばかりで、なんともいえないけれども、そういう変化を現実化する実態が、政権交代によって生まれた。

アメリカとの関係も変化しつつある。結構独善的な、アメリカの実態もみえてきた。それぞれの国の事情があって、きれいごとではいかないが、いずれ、ゴマカシは、効かない世界になるだろうことは、疑いたくない。

道理が通る世の中に、いずれはなると確信したい。そうなるプロセスを、みんな見ている。

政治家は、ヘンテコなゴマカシをすると、いずれそれは、青天白日のもとにさらされることになることを覚悟しなければならない。

その意味では、鳩山さんは、信念を実行に粘り強く反映して欲しいものだと思う。それができる環境、資質に恵まれていると思う。

生存の条件

2009年12月09日 08時10分40秒 | 思考試行
衣食住の他には、精神的な要素。他者との関係、自然との関わり、がある。

基本となる感受性の涵養が、時間を要してなされ、人間としての前提条件が、整えられつつ、実生活が展開される。

生活の最低条件を、クリヤするために、政治や行政が、どれほど真剣なのか。それがなおざりであれば、歪みが出て来る。

コンビニ強盗が増えているという。これなど、はっきりした指標である。これに対して、防犯カメラや、店側の大金を置かない、などの他、店員教育などがされているが、こういう対症療法では、真の解決にはならない。

背景にある貧困に目が向いていないからである。貧困からの脱却が、システムとして、作られなければならない。

それは、人類の歴史上、永く言われ続けながら、確たる成功はまだ得られていない。その解決のために、部品はアチコチで作られてきている。

部品を組み上げて、機能させるためには、設計図が必要である。その作成のためには、俯瞰的な視野が必須である。

民主党の戦略室が、その仕事をうまくなし遂げることができるかどうか、注目している。今朝の日経に、事業仕分けに携わった議員が、こんどは、戦略室の応援にはいったという記事がでていた。あまり大きな扱いではないが、これには、期待している。

工夫の不思議さ

2009年12月07日 00時31分19秒 | 思考試行
人類の到達点は、多分野において、相当な進歩を遂げてきている。40数億年の時間的経過のなかで、西暦で言えば、わずか2009年であるにもかかわらず、文字を使い、記録し、考えをまとめ、科学技術の分野でも、多くの成果を挙げてきた。

それでも、人間らしくなって、まだわずかな時間しか経過していないともいえる。地球の歴史を、一年とすれば、人類の歴史など、一瞬ともいえる時間にしかすぎない。

だが、人間の工夫する力というのは、まことに不思議である。たとえば、身近な数学で、公式となっている、三次の、因数分解を例としてあげるならば、解法を聞けば理解できるものの、最初に、その解法を編み出した工夫には、驚かされる。

化学反応で見られる触媒の働きのような、工夫がこらされている。

余分な要素を入れて、そして、その同じものを除くのである。そのことによって、因数分解が、見事に成功する。

解法を、教わってからは、手法として、それを使うことができるが、これに気付くことは、まず常人では不可能だろう。

そこに、神秘的なひらめき、工夫の発見の不思議さがある。にも関わらず、学校などで、その不思議さが語られない。ただ、手法だけが教えられている。

これでは、工夫の本当の面白さ、不思議さを感じることができない。ここには、ある種のひらめき、飛躍がある。人類の叡智の発露がある。



基本

2009年12月05日 07時02分51秒 | 思考試行
最近、片付けを心がけている。不要な書類が相当溜まっており、捨てないと、必要な書類が取り出せなくなっていて、埋もれてしまう。

シンプルにしないとと、整理しているうちに、昔読みかけのままになっている本などに出会う。

そのなかに、安岡正篤「活眼 活学」という文庫本が出て来た。PHP文庫の出版である。

財界、政界の師ともいわれて、人生の心得が、いろいろ説かれている。西洋の合理的精神だけではなく、東洋文化との融合が説かれている。

明治の生まれの人であるが、「基本」の大事さを思わせてくれる。

一例をあげると、物事を見るに、それは、長期か短期か、一面か多面か、根本か枝葉末節か、と、とかく一方的になる見かたを、チェックする指摘は、鋭い。

広い視野を獲得するのに、本質をズバッとついてくる。漏れがない。

方向を見失ったような、無気力な若者を見ると、こういう著者の仕事に、触れさせてやりたいと思う。

ところが、本離れの状況は、本当にその通りで、おせっかいをやいても、なかなか興味を示さない。基本的な対話の成立も危ういような、孤立した、精神構造になっているようで、原始に帰っているのではと思わせられる。

アメフトのテレビ中継などに、興味を持っているようである。そういう世界だけに没頭していて、はたして、人間としての成長がのぞめるのだろうかと危惧している。

孤立していては、進歩はのぞめない。こういう状況は、資本の論理の、儲け主義の文化の帰結のような気がする。孤立させ、不安に落とし、人間を道具と化してしまっている。

東洋文化は、こういうところに、食い込む。もう24年も前に書かれた本であるが、中味は、新しい。

医師の態度

2009年12月04日 06時29分07秒 | 思考試行
永年病院通いを続けている。ほぼ月1回のペースであるが、医師は、何年かごとに変わるから、もう5ないし6人ぐらいの医師に診てもらった事になる。

その他、父の付き添いで、違う病院にも通い、そこでも医師との接触があった。

概ね、皆さんエラブルということがないが、中に、チラホラと「手のひら返し」の人もいたことは確かである。

それでも勤務医の場合は、転勤もあるし、態度は、普通であれば問題ない。だが、開業医の場合は付き合いが永くなるので、その態度は、あまり横柄であると、癪にさわる。

といっても、便利だから、そこも利用するのだが、医師の側も、どういう態度にするか、難しいのかもしれない。医師の近所に住む、ある人は、いわゆる「ため口」である。その医師の態度に見合う態度は、そんな感じに、という具合である。

とすれば、医師の態度のそれは、横柄というよりも、親しみをこめての心算だろうか。

いや、そうは見えない。自分のとりやすい位置を取ってみた、という感じがある。最高に入試が難しい、いい大學とされている出身大学の名前が、ミラーに印字されているから、それを誇っているのかもしれない。

それでも、家内に言わせると、記憶力はたいしたことはないという。それは、患者への関心の度合いを示しているのかもしれない。

医師の態度は、やはり、謙虚な姿勢の方が良いし、それが、患者への心配りにも反映するように思える。態度のでかいのは、どこか、患者を軽視しているとみて、間違いはないだろう。




2009年12月03日 09時44分08秒 | 思考試行
その内に、エネルギーは自然から、すなわち太陽、波、地熱、風力、などで、すべてまかなえる様になるだろう。

食料も、植物を加工して、必要な栄養素を確保すれば、ともかく生きていくことはできるようになるだろう。

あとは、生きる喜びになるものは、何だろう。コミュニケーション、遊び、趣味、生甲斐、ここが大仕事になる。

動物としての、人間の全体としての、理解がどうすすみ、どういう社会を構築していくのだろうか。

今は、多くの課題があって、その課題の克服のために、忙しいのであるが、それらが解決をみたあとの、いよいよ本格的な「仕事」にどのように、人類がとりくむのだろうか。

太陽系脱出というような、今の課題に同種の「仕事」が中心となるのか、それとも哲学的な課題となっているのか。

今の実情では、人間の課題というのは、生きるに精一杯の状況であるが、先行きのことを思えば、余裕のある生き方が、いま少し、研究されなければいけない状況にあるような気がする。

配分

2009年12月02日 08時24分27秒 | 思考試行
世界を見渡して、貧富の差が目立つ。経済の流れは、貧困国の低賃金をおりこんでいて、この条件にひっぱられ、劣悪な労働条件が横行している。

当然現場では、事故が多く、死亡事故も連発しているという。

昨日のテレビで、バングラデイッシュの船舶解体現場を報道していた。裸足で、切り取った鉄板を、ミコシのように、人力で運んでいる。

とんでもない風景。

人が、人として、暮らすためには、条件がある。時代によって、それは変わる。だが生存のためのギリギリのところまで、人をおいこんで自らの儲けを追及するということが、許されていいはずがない。

世界的視野で、配分問題が考えにいれられなければならないし、その視点がなければ、いつまでも、地球上に問題の種は生じ続ける。

個々人が、どういう考え方をすることができるか、何ができるのか、そして、その成果をどうまとめていくのか、しっかりした考えのもとに、世界的規模での実行を期待する。

言葉

2009年12月01日 10時15分28秒 | 思考試行
人類の武器。ことば。この言葉のお陰で、人が人たりうる。

今朝のNHKの番組では、うつ病についてであった。この病気は、たいへんな環境に置かれた人が、陥ることが多いといわれる。

事実、猛烈社員であったり、死など考えたこともないという人が、疲れ果てて、そうなるという。周囲も気がつかず、本人も助けを求めようとしない傾向がある。

苦しい日々が続く。ぐうたらとしかみえない。たいへんな病気である。

そこから、立ち直った契機に、人との関わりがあるのだが、その時に、立ち直りのきっかけとなった言葉が、いろいろ紹介されていた。

電車の中で、席を譲ったところ、「ありがとう」と何回もいわれたうつ病の人が、その言葉をきっかけに、自分も役に立つ人間だと思ったという。それが、立ち直りの始まりとなった。

人は、どうしても人の世話になるほかなく、また、どんな人も必ず、人の役に立っている。であれば、生まれた限りは、役に立たないなどといわずに、あるがままに、寿命のままに生き抜くほかない。

生きているだけで、役に立っている。自らの手で、死を迎えるというのは、まことに不幸なことであると思う。そうできる環境づくり、社会を構築しなければならない。