空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

どうも人生うそだらけでした。

2009年12月13日 07時06分00秒 | 思考試行
うらうらと、早朝に目覚めてトイレのあと、眠れぬ数時間。自分の人生をふりかえる。

どうも、地に足がついていない。何か事があれば、平常心をなくす。本質的には、そうであることを、どうやら、そういう事件、とんでもない事件に、遭遇しなかったために、何とか免れてきただけではなかったか。疑問形にするまでもなく、そうであった。

それは、個々の事件をふりかえってみれは、ごまかしようの無い事実が、示している。結婚と結婚。愛する相手ではなかった、可能性が高い。大きなゴマカシ。もちろん妻には言えない。

だが、それは、お互い解っていることかもしれない。チャント仮面夫婦という言葉がある。本当に、人を愛することを知らないできた可能性がある。

こういうことが、実人生であれば、何を書こうが、話そうが、それらはすべて空しい。いっぱしの顔をして、生きてきたことが、そのすべてが、うそ臭い。

だが、今更、正直に「真情」を吐露されては、周囲は困る。自分も困る。で、このまま続けるほかない。これが、結論なら、こんなことを書いてしまって何の意味があるのか。

相手は、いい迷惑である。うすうす感じながらも、表面に誤魔化されて、ここまでついて来てしまった。いまさら、何なのと、私の人生を、返してよと言われて、ただただ、うつむくほか無い。

何故、こうなったのか、戦うべきときに、思えば、逃げ続けたのではなかったか、そこで闘い、表現し、こっぴどくやられる過程を踏まなかったために、こんなうそ臭い人生になってしまったのではないか。

思い起こせば、思い当たることが、出てくる。堂々と、失敗し、反省し、打ちのめされなければ、ならないときには、そうしなければならなかった。それを、うまく避けて、すり抜けても、人生は甘くないということだろう。

偽りの人生を自覚しつつ、なんとか、人生を終えるその日までに、この偽り多き人生の、できることなら、手直しを計るほか無い。過ちを正すに、憚ることなかれ、という言葉もある。

堂々とは言えない。コソコソと、ヒソヒソと、行くしかない。なんせ、度胸もない、キュウキュウとして、何とか、生存してきただけにすぎないのだから。だが、この生きてきただけでも、評価してやらなければならない。それは、事実であり、それなりに、積み重ねてきたのだから。