空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

生きがいの発見へ2

2008年05月15日 09時19分11秒 | 思考試行
 弱者に対して、あまりにも冷たい政策は、どこで立案されているのだろうか。本当に、一人ひとりの国民、市民、町民、村民のことを考えて、為政者が立案しているのだろうか。

 日本では、官僚群が、立案し、現実の行政を運営し、その中心に君臨している。それは、明治以降、外国に対抗するにあたって、位にかかわらず、その能力に注目をして、人材を、幹部を育ててきた効果である。積み重ねがあって、ノウハウがある。これを、使いこなすのは、官僚だけとなってしまった感がある。

 そして、今や強大な権力を手にして、官僚は、自分達の城を、築き、外部に対して、対抗する存在と化している。彼ら同士は、試験にパスした後も、権謀術数を駆使して、ポスト争いをし、権益の確保、拡大をねらって、切磋琢磨しながら、総体としては、自分達のことを最優先にして、言いぬけといい訳を繰り返してきたのである。

 政治家は、これら、官僚群に対する陳情団となり、選挙区の有力者の要請をうけ、また、財界、富裕層の支配者層の意を受けて、行動してきた。勿論全員ということではないが、弱者や、一人ひとりに注目した者は、弾圧されてきた。

 戦後アメリカ民主主義の登場で、日本政治は変わった。しかし、その本質においては、古い価値観、慣習もあり、もちろん、完成品ではありえない。これからも、ますます、変化していくことだろう。アメリカ民主主義も、完成品ではない。貧富の格差や、軍需産業、資本の動きなど、問題は多い。

 こうした中で、政治が、個々人に与える影響は大きい。生きがいを奪うことも多い。しかし、これに負けてはいられない、政治家のアレコレ、富裕層のアレコレ、弱者の実態、意欲の有無、その成り立ち、を知ることは大事である。実態を知らずして、対抗できない。注目して、これらをよく知らなければならない。

 生きがいは、最後は自分だけのものである。どのように、自分の人生と価値観が、一致できるのか、どう生きるのかが問われている。

 競争で勝てば、嬉しいという。少しでも、前へでて、一位を目指す。何が、欲しいというのだろうか。トップのウマミをしっているからだろうか。それは、一時のことであって、そんなものは、本質とはいえない。苦労して、世界一になる。それは、そのときの大会においてと言うことであって、未来永劫でもないし、変化するものでもある。

 変化しないものは、この世にはない。すべては、変化するのである。そういうものに、こだわったところで、それは、空しい、変化するものとして、それは、とらえられてなければ、間違った認識といえる。

 では、そんななかで、生きがいというのは、ありうるのだろうか。それは、生理的、物理的な要素の中にある。そして、「関係」のなかにあって、相手からの賞賛、感謝などではなく、自身のなかから出てくるもの、そのなかに、生きがいの根源が、存在しているように思うのである。