以前にも書いたことがあるが、安部公房の「砂の女」という作品がある。文庫本にもなっているし、映画にもなった。
この作品は、昆虫採集に来た外部の人間が、アナに囚われ、村全体が砂に沈み込むのを防ぐため、アナから砂を運びだすだけの「仕事」をやらされることとなってしまう。なんども脱出を試みるがうまくいかない。
抵抗、落胆、アナの中の、不思議な女性との生活、外部との交渉、・・・
村人にとっては、捕らえた人間には、どうしても働かせなければならないし、そのための必要なものを外から差し入れる。そのなかで、水はとりわけ重要だ。働かなければ、水は与えられない。嫌でも働くしかない羽目に追い込まれるのである。
ところが、その穴のなかで、外からどうしても与えられないと生きてはいけない「水」を、男は、独力で、入手する装置を開発した。強烈な喜び、力を得る。
そのことがあってから、女性の妊娠騒ぎのなかで、逃げられる状況が、突然実現したにもかかわらず、男は、この理不尽な世界から逃げ出すことをせず、そこで生活することを決意する、といったストーリーであった。
この小説は、示唆に富む。人間の生きがいというのは、いろいろに持つことが可能だと思うが、この場合、外の人間が、アナの人間の本質的な弱点を完全に掴んでいると思い込んでいる、ところが、力を得たことで、事実は違う。そこに、生きがいが生じている。
「水」を独力で確保する状況を、掴みたいものであるが、「捨てることが得ることでもある」場合もあり、なかなか難しいものである。
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