空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

何を隠すことがあろうか

2021年09月05日 16時40分39秒 | 思考試行

 いろんな実態があって、事情があって、ものごとが進んでいく。隠しても不都合なことがあれば、なんとなく、その影響がでてくる。隠さなければならないような事情があれば、不可解なことが原因となって、徐々に、不都合なことが、表沙汰になってくる。

 「コロナ対策に専念したい」と言って、菅首相は総裁選に不出馬を決めたという。実際はそんなことではないだろう。出馬する気でいたことは明らかであり、党内の支持がどうやら得られないとみて、出馬を諦めたのが本当ではないのか。かっこうをつけているだけだ。

 自民党の総裁選挙が行われるとなって、安倍元総理のことが、また問題になりかけているようだ。それはあたり前のことである。いいかげんな解決などあり得ない。官僚の忖度は、彼の官僚に対する人事権の掌握の結果始まった。生殺与奪を握られて、官僚はすっかりおとなしくなってしまった。政治の顔色を伺うばかりとなった。

 権力には適わないことを、もっともよく知っている連中だから、それは仕方のないことかもしれないが、彼らが「主導権」を持っていた時代には、総理大臣が答弁しているときに、国会に詰めている官僚から、「そんなことは主計は聞いていないぞ」と野次がとんだという。

 役人が自信をもっており、政治をコントロールしていた時代もあったということだ。役人であろうと、政治家であろうと、権力を持っているものが強いという時代は、もう終わらせなくてはなるまい。どちらが権力を握ってもその本音が、健全でなければロクなことはない。

 国民、社会を、すべてのことを「良くするために」どうするか、の視点で政治家は動かなければならない。権力闘争にあけくれ、関心がそれだけという連中が誰なのか、はっきり見抜かなければならない。

 自民党のなかに、そういう健全な層があるのかどうかである。安倍氏の問題の再調査を言い出している候補者もいるようだが、はたして、立候補できるかどうか、そして、この国が、本当の民主主義を実現できるかどうか、は今度の総裁選挙でその方向性がでてくるような気がしている。

 議論をはぐらかし、まともに質問に答える気がない、そんな手法を自民党は長期政権のなかで、国会に、それ以外にも、持ち込んできた。議席の多数さえとりさえすれば、好き勝手にできる、と思いこんでいる風である。

 正体が明らかになった以上、あとは有権者たる国民の出番である。無関心であったり、よくわからないままに、平気でいるのは、民主主義の敵である。借り物ではない、自身の意見をもち、実態をよくみなければならない。政治が隠し事をしたり、インチキをすれば、ただちに、見抜く眼力をもたなければならない。その中でこそ、世の中がよくなる方向性がでてくる。

 


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