治安維持法の時代、思想犯容疑者に対する強引な取り調べ、拷問があった。この敗戦前の検察のやり方は、戦後民主主義社会となっても、なお、生き残っているのではないか。
先進民主主義国との、大幅な捜査手法の違いは、上記の事情があるのではないかと強く疑われる。この際抜本的な検討を加えるべきである。
それにしても、世界全般が、実は改善すべきところが満載で、どこもかしこも、意外にレベルが低いのではないか。人道主義が行き渡っておらず、恐るべき低レベルの社会生活ぶりではないか。
人類は、考える以上に「おばかさん」の状態ではないのだろうか。基本的な価値観が、相当に偏っており、普遍化できる価値観がまだ無いかのようにみえる。
悲劇が後を立たず、容易に予想される混乱に対処する知恵もないかのようにみえる。あるのは、直近の自国主義であり、地球全体への視野が広くなく、思いやりなど、ないかのようにみえる。
富裕層は、なおも自己利益を追求し、その欲望は際限なく、醜く、恥を知らない。かれらこそ、自らをふりかえり、あるべき人間社会について思いを致さなければならない。第一の仕事である。
検察は支配側に奉仕する機関としての役割を、遂行してきた。そこでは、非人間的な手法は必須であっただろうと推測される。そこにいつまでもとどまっていてはならない。理詰めの捜査を期待する。
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