今より、少しでもよくなりたい、前進したい。状況の改善がどうしてものぞまれる。なんとかしたい、とやってきたが、それをいつまで続けるのか、となれば、世代の考え方の違いもでてくる。若者たちには、いきいきと生きてほしい。老人は、静謐を求めるのもいいと思う。
老人がいつまでも、若者たちの足を引っ張るようではいけないし、その芽を摘むようなことをしては、とか、思っていても、事態はどんどん進み、若者たちのエネルギーを削ぎまくる仕組みが出来上がり、どうやら、若者たちは、イケイケどんどんではない生き方を選択し始めたようである。
主張もしないし、デモもしない。雇用は、非正規だし、結婚もままならない、大望を抱くなんてことも無駄だ。儲け口は一部の者が独占し、その仕組みは、とても壊せない。となれば、あきらめて、そのなかで生きていくしかない。
状況のなかで、息をひそめるようにして生きている。ここまで、教育で、管理で、若者たちを追い込んできた大人たちの責任が問われなければならない。昔を振り返って、若者たちを激励してもそれは、彼らの心にははいらない。条件が違いすぎる。
真剣に、若者たちをどう導くかは、大人の責任である。援助も必要である。かれらの生きる道を、踏み出す余地をうばうことで、効率経営などと思っている連中を、あぶり出し、退場させなければならない。
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