怒りを構成するのは、自分の価値観と相反する事象について、ガマンならないということだろう。中国の今度の騒ぎは、自分たちの領土であると、思ってきたところが、隣国が勝手に、自分の国だと言い出し、実効支配を始めた、と、これは許せんということだろう。
ところが、背景には、毛沢東の肖像画を持ち出すなどしており、反日ばかりではない怒りがあるという。ただ、形としては、まともにそれをいうことはできない事情がある。権力の出方をみているふしがある。
このままで、騒乱が長期化すれば、日本企業は撤退を余儀なくされ、そうなれば、中国自身の国情にも影響する。共産党の一党支配だって、怪しくなる。事実を知り、国際社会のなかで、調和的に生存していくためには、当然ながら、理性的であり続けることは、あたりまえのことである。
それができなければ、孤立するほかない。それが正されない限りは、誰もつきあうことはできない。犯罪者は、罰せられなければ、秩序は保てない。中国政府は、犯罪をみすごし、助長し、被害は日本自身の所為であると、そこまで踏み込んでみせた。
中国人民が、彼らの、怒りの原点を検討できない状況では、一旦は、行くところまで行って、矛盾を、膿を出し切るほかないようにみえる。共産党の腐敗、幹部の政治の私物化、海外への資産持ち出し、情報統制などなど、人民が正確に判断できるようになるには、なかなか大変である。
社会保障の制度も十分ではなく、暴れることで、つかの間の怒りのガス抜きで、問題の本質が解決するわけもない。権力のしくみについて、国民の大多数が真相を知り、判断できるのは、いつのことになるだろう。
日本だって、情報管理がある。タブーがあり、不当な差別があり、いわば、目くそ鼻くそを笑う、の状況なのだとも見える。
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