かつて日本は、大東亜戦争に突入したときの経緯を、統制のきかない軍隊、指令系統が明確でなく、一部はね上がりの者の影響もあって、ズルズルと、戦争に入っていったように言う人もいる。
絶対的な権力者がいて、一糸乱れずに、戦争へと突入したのではないようなのである。状況は、徐々に厳しくなり、日本の存立基盤がなくなるとして、闘うほかないと、一線を越えた。
庶民は、モヤモヤしていたから、開戦でスッキリしたと思った人が存外多かったようである。そして、敗戦、これは、アッサリと受け入れられた。一億玉砕の声もあったが、この声に庶民がのることはなかったし、天皇を責める声もあがらない。
占領軍への抵抗もない。そして、アメリカに追従していきながら、子分として、適当な付き合い方をしてきた。朝鮮戦争や、ベトナム戦争に、兵力をつぎ込むことをせず、経済的繁栄に、これを利用してきた。
その雲行きが、徐々にややこしくなってきている。集団的自衛権を言い出し、自衛隊を簡単に動かせる道を探っている。安倍政権は、本音を小出しにしながら、ゆくゆく一人前の国となるべく、準備をチャクチャクとすすめてきている。
そこで、庶民はどうすべきか。戦争になって、誰が辛い目にあうのか。誰が利益をうるのか。自らの目で、見、判断し、政治の動きを監視しなければならない。かれらに安易に投票してはならない。
アメリカは、オバマケアを活かせないでいる。制度ができても、これを助け合いではなく、儲けの手段にする連中がいて、その術中にはまったようだ。
国民が、暮らしやすい世の中をつくるためには、これらの害悪をもたらす連中を、はっきり見出し、かれらを駆逐する手段を発見しなければならない。「天は自ら助く者を助く」である。
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