本当は、何が欲しいのか。正直に言って、それは、安定であったり、優越であったり、生物としての本能が優位をしめるのだろう。人間の歴史は、覇権を求めるものから始ったようにみえる。戦わなければ、隷属するしかなく、利用されるだけの人生になってしまう。といって、勝つ見込みがなければ、臣従するしかない。そういう世の中が、長く続いている。
その中で、権謀術数の限りが尽くされる。こういう争いの中では、なかなか本当の幸福というものは、得られない。
まともに、考え、行動する、それができれば、良しとする。シンプルで解りやすく生きることは、結局は精神衛生上もよく、いい人生につながるように思う。あまり、策を弄しては、道を踏み外すもとになる。
といって、道を踏み外した経験から、立て直して、正道に戻ったとき、恐れに恐れて、事なかれできた者とは違うことも明らかである。そこらあたりに、人生の、ゴマカシかホンモノかの、区分けの分水嶺があるのではないか。
その意味では、道を踏み外した経験は、無駄ではない。人生には、何事によらず、無駄なものはないといえるのではないか。
その中で、権謀術数の限りが尽くされる。こういう争いの中では、なかなか本当の幸福というものは、得られない。
まともに、考え、行動する、それができれば、良しとする。シンプルで解りやすく生きることは、結局は精神衛生上もよく、いい人生につながるように思う。あまり、策を弄しては、道を踏み外すもとになる。
といって、道を踏み外した経験から、立て直して、正道に戻ったとき、恐れに恐れて、事なかれできた者とは違うことも明らかである。そこらあたりに、人生の、ゴマカシかホンモノかの、区分けの分水嶺があるのではないか。
その意味では、道を踏み外した経験は、無駄ではない。人生には、何事によらず、無駄なものはないといえるのではないか。
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