空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

初対面の医師

2008年04月24日 22時06分48秒 | 思考試行
 今日は雨で、保険の仕事を終えて、いったん帰宅、かさをさして、電車で病院へ行く。11年前に心筋梗塞で、病院に担ぎ込まれ、一命を取り留めた。以来、病院へ定期的に通う羽目となっている。

 今日は、その予約の日である。さきの医師が退職し、今回の医師は初対面で、どんな医師かなと思っていたら、相当低姿勢をとる笑顔を絶やさない若い医師であった。あまりに、対応がよすぎると、これも自然でなく、無理があるなあと思ってしまう。まあ、不必要に高飛車なのも気分が悪いが、低姿勢であると、患者サイドからの文句はないだろうから、医師のとる態度としての、方法としては、汎用性があるといえる。

 表情も、笑顔を絶やさないので、矛盾はなく、ときどき最近の若い先生にみるタイプである。考えてみれば、人間いつかは死ぬのであり、いつどこで死んでも仕方のない存在であることを考えれば、もう少し自然な、自由な感じでいいのであるが、不当に、生命を大事に考えすぎなのかもしれない。

 しかし、相手もこちらの真意がわかると見えて、それほど無駄な言説はなく、基本的には淡々と診察し、総体として、違和感はなかったといえる。声だけ聞いているとしかしながら、普通ではないことは確かで、丁寧すぎるとはいえると思う。どういう機会にそのことを言えるだろうかと、考えてしまう。

 丁寧にするということは、入り込ませないという姿勢でもあるようにもみえ、一種の防御姿勢ともいえる。患者の悩みに入り込む姿勢としては、防御が勝ちすぎともいえる。高飛車も防御の一種とみえるけれども、患者サイドの立場に立ちきることは、なかなか大変なことである。しかし、案外、患者サイドにたちきることが自然で、しかも、医師本人も楽なのではないだろうか。

空っぽの力

2008年04月24日 09時04分15秒 | 思考試行
空っぽになることが、どうも豊かになる秘訣のようだ。満々と満たされた水がはいった容器には、それ以上、水は入らない。あまり水質の善くないものでも、そのままである。いったん空っぽにすれば、新鮮な水をいれることができる。

中村天風氏の本にも、そういう記述があったし、また、求めない、をキーワードにした本が売れている。執着することで、かえって、うまくいかなくて、捨ててかかると、望外の成果が得られた、ということも体験するところである。

そもそも、世の中、流動的であり、何一つ不変のものはない、そんなものに執着するほうがどうかしているということだろう。でありながら、何もしなくていいということでもない。然るべく努力をしながら、根本のところでは、執着せず、どのような変化もあり得るということを、知っているということであろう。

「望郷の道」が佳境にはいってきた。上記と逆に、懸命に生きる豪胆な夫婦の生き様がすがすがしい。執念が生きている。魅力的である。これが、できるのなら、捨てるというのは、チョット待ってということであるけれども、その執念のなかに、捨て身という覚悟がある。それが、迫力の根源ではないだろうか。