今日は雨で、保険の仕事を終えて、いったん帰宅、かさをさして、電車で病院へ行く。11年前に心筋梗塞で、病院に担ぎ込まれ、一命を取り留めた。以来、病院へ定期的に通う羽目となっている。
今日は、その予約の日である。さきの医師が退職し、今回の医師は初対面で、どんな医師かなと思っていたら、相当低姿勢をとる笑顔を絶やさない若い医師であった。あまりに、対応がよすぎると、これも自然でなく、無理があるなあと思ってしまう。まあ、不必要に高飛車なのも気分が悪いが、低姿勢であると、患者サイドからの文句はないだろうから、医師のとる態度としての、方法としては、汎用性があるといえる。
表情も、笑顔を絶やさないので、矛盾はなく、ときどき最近の若い先生にみるタイプである。考えてみれば、人間いつかは死ぬのであり、いつどこで死んでも仕方のない存在であることを考えれば、もう少し自然な、自由な感じでいいのであるが、不当に、生命を大事に考えすぎなのかもしれない。
しかし、相手もこちらの真意がわかると見えて、それほど無駄な言説はなく、基本的には淡々と診察し、総体として、違和感はなかったといえる。声だけ聞いているとしかしながら、普通ではないことは確かで、丁寧すぎるとはいえると思う。どういう機会にそのことを言えるだろうかと、考えてしまう。
丁寧にするということは、入り込ませないという姿勢でもあるようにもみえ、一種の防御姿勢ともいえる。患者の悩みに入り込む姿勢としては、防御が勝ちすぎともいえる。高飛車も防御の一種とみえるけれども、患者サイドの立場に立ちきることは、なかなか大変なことである。しかし、案外、患者サイドにたちきることが自然で、しかも、医師本人も楽なのではないだろうか。
今日は、その予約の日である。さきの医師が退職し、今回の医師は初対面で、どんな医師かなと思っていたら、相当低姿勢をとる笑顔を絶やさない若い医師であった。あまりに、対応がよすぎると、これも自然でなく、無理があるなあと思ってしまう。まあ、不必要に高飛車なのも気分が悪いが、低姿勢であると、患者サイドからの文句はないだろうから、医師のとる態度としての、方法としては、汎用性があるといえる。
表情も、笑顔を絶やさないので、矛盾はなく、ときどき最近の若い先生にみるタイプである。考えてみれば、人間いつかは死ぬのであり、いつどこで死んでも仕方のない存在であることを考えれば、もう少し自然な、自由な感じでいいのであるが、不当に、生命を大事に考えすぎなのかもしれない。
しかし、相手もこちらの真意がわかると見えて、それほど無駄な言説はなく、基本的には淡々と診察し、総体として、違和感はなかったといえる。声だけ聞いているとしかしながら、普通ではないことは確かで、丁寧すぎるとはいえると思う。どういう機会にそのことを言えるだろうかと、考えてしまう。
丁寧にするということは、入り込ませないという姿勢でもあるようにもみえ、一種の防御姿勢ともいえる。患者の悩みに入り込む姿勢としては、防御が勝ちすぎともいえる。高飛車も防御の一種とみえるけれども、患者サイドの立場に立ちきることは、なかなか大変なことである。しかし、案外、患者サイドにたちきることが自然で、しかも、医師本人も楽なのではないだろうか。