空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

病院で相談

2008年04月08日 22時02分04秒 | 思考試行
 病院へ行き、相談する。今は、国も、在宅介護を勧めているとして、地域医療との連携のシステムが、できてきているという。家族が、在宅で介護し、日常的には、医師、看護師の派遣を、いざという時にしてくれるというシステムである。

 住所地において、手をあげている医師のリストを病院が示してくれた。入手できた情報には、近所の医師もあげられており、現実的に可能な態勢がとれそうである。意外に近所にそういう態勢があったことは、これは、心強い。夕方には、病院から、医師に電話連絡がいき、医師の了承をとってくれた。こういうシステムも有り難い。

 あとは、病院からの紹介状を持参して、当該近所の医師に、当方からの正式な依頼をすることで、完結する。安心して、在宅介護が可能であることがわかった。これは、我々夫婦の将来の姿でもあって、こういう制度がそのころまであるのかどうか、不明ではあるが、高齢化社会の中で、また、限られた医療の力量のなかで、現実的な方策がとられてきていることはいいことである。

 ひとまず、安心した。これから、介護をめぐって、いろいろあるだろうが、これをキチントやりとげることは、大いなる意味のある仕事であって、しっかり覚悟を決めて、ことにあたっていかなければと思っている。

 それにしても、具体的に行動を移さなければ、情報は得られないものだな、と痛感した。昼前10時40分ぐらいに病院に到着して、今までかかったきた医師のレントゲン写真など提示し、地域との連携の情報を得て、病院をでたのが、3時を過ぎていた。空腹で妻は、何か食べて行こうか、というが、家で、義母が待っているのだからと帰宅、遅い昼食を食べる。

 いろんな思いが交錯しつつ、事態は進行する。無理はする必要はない。あくまで自然体でいいのである。したたかに、柔軟に、楽しみながら人生をすごしていくことにしよう。

お世話できること

2008年04月08日 09時45分34秒 | 思考試行
 今、家内の母と、小生の母と、4人で暮らしている。日増しに、家内の母は、老化の具合がすすんでいて、日中はほとんど寝ているようになった。ネコと同じようになってきたね、と相互に言い交わしている。それでも、ボケ症状はなく、しっかりした受け答えができる。「なんで、こんなに眠たいのやろ。」と笑う。こんなんではあかん、煮炊きもせなあかんねんから、とこれは、ここ数年していないのだが、長い間やってきた実績が言わせているようである。

 家内の考え方も、変化する。小生に対するキガネもあるだろう、姑にたいする配慮もある、精神的なサポートが、小生の任務だろうが、おそらく不足していることには間違いない。それでも、徐々に覚悟のようなものも芽生えて、意思疎通もつきやすくなったようにも思う。

 小生は、自分の力でこの家を建てたわけではない。先達が建ててくれた家で暮らしているわけだが、このことのありがたさ、みたいなことを家内に言ったことがあった。そのときには、あまりいい返事はなかったのだが、今や、それを、はっきり肯定している。

 年取った人の、お世話をできるということは、それだけの環境にいるということであり、そういう立場にいるということの有り難さを、感謝しなければならないと思う。

 勿論、事情で人の、お世話にならなければ、ならないとき、その立場を嘆かなくてはならないのかといえば、それは、若干あるとしても、お世話をできる人がうまれるというわけで、それはそれで、ある役割をはたしているのである。

 いずれにしても、人は一人では生きてはいけない。お互い、世話をしあいながら生きているのであるということを、認識しておくことが大事だろう。