空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

日本共産党に期待する。

2007年04月15日 07時55分32秒 | 思考試行
 十人十色という。政治の世界にしても、各会派が存在し、それぞれ、曰く因縁があって、現在の構成となっている。事情が変わると、離合集散が起こる。どんどん経過は複雑となって、正確にその経緯をたどることは、余程の政治通でなければできないことだ。

 そのなかで、日本共産党は、名前はまったく、変わっていない。政党助成金も受け取っていない。組織として、真面目で、清潔な感じがある。今度の都知事選も、石原票と比較しても、無視できる数ではない支持をうけている。確実に一定数を獲得している。

 その姿勢、主張は、若干の変化はあるようだが、ほぼ一貫している。真面目な印象を受ける。悪ぶったり、ヒョウキンであったりしない。冗談は通じないというイメージがある。融通性がない。しかし、信用できる。言い逃れをしたり、格好をつけたりしないので、ケムタイ感じもある。

 全体として、いま、憲法を変えようとする動きが、活発化するなかで、日本共産党は、安定的にこの動きに反対している。旧社会党グループは、本音と建前があるのか、突如その主張を変えたり、オチョケたりするので、それがいいとする人がいるのも解るが、頼りないのも事実である。威勢が良かったかと思うと、落ち込んだり、変節して平気だったりする。

 庶民としては、あまり、政治には関わらないほうが、賢明かもしれない。共産党の下部活動家は、恐らく自分の生活を心から楽しめる環境にはないのではないか。仕事をもち、それをこなしながら、休みの日を使って、活動することになる。ビラまきをしたり、政策を作ったり(それは、一部有能な幹部の仕事だろうか。多分個々の活動家、一人ひとりが取り組んで作っているようには見えない。個性がですぎると、嫌う傾向がみられるし、そうすると、全体としての調和もとりにくい事情もある。)

 休みがなく、あまり、楽しいとも思えないことをしていると、ストレスも溜まるし、生きるという実感が持てないのでないか、と思う。一人ひとりが、個性をのばし、楽しみを持ち、生きがいを持ち、なおかつ、活動する、という具合であってほしい。そういう配慮が、組織の中にあるだろうか。それどころではない、という声が聞こえそうだが、人間というものは、そういう動物ではないだろうか。バランスということも考えにいれないと、壊れてしまう。

 結局、お酒を飲んで、お尻に触ったと、告発されて、共産党を辞めさせられると、始めて、個性をだしてくることになる。筆坂さんのように。そこに、組織としての、人間観の深みが足りないというか、広がり、コクといったものに不満感をもつ。

 人が集まって、お互い協力しないと、事は成らないのは事実であって、権力を握り、全体として、誤りなき政策を打ち出すことが必要なのであるが、中央集権的な方法というのは、確かにブレは、少なく、外からみて、安定感はあるが、ありすぎると、それは、まさに、魅力的でなくなるのである。自由に個性を発揮しながら、人間的に深いものをもちつつ、集団としての新しい魅力を作り出して欲しいと思う。

 人生を楽しみつつ、その本音を踏まえ、必要な協力共同の新しい価値観を、打ちたて、新しい活動スタイルを、実現して欲しいと思う。すばらしい姿を自ら実現して見せて欲しいのである。不眠不休とか、できないことを口にしたり、真面目にすぎて、無理があったりするのではなく、科学的であって欲しいし、個性の尊重であったり、組織としてのあり方も、縛るのではなく、自由意志での深め合いが可能な、価値創造集団であって、現実生活の中でも、アイデアをドンドンだして、そこにも力を発揮できるようであってほしいと思う。

 新聞や雑誌などの媒体をもっているのだから、(小生も読者です。)その中身で人をひきつけ、世の中の仕組みを変えていこうとする、意欲と成果を生み出す努力が必要である。選挙の時に、票さえ獲得できれば、権力をもてる、権力をもてれば、いい政策も実現できる、と考えているかもしれないが、それは、違うと思う。

 現実の生活実態の中で、着実に具体的な改善の事業に取り組み、生活の中で、真にオピニオンリーダーらしく、魅力的で、役に立つ集団であって欲しいと思う。どのように成長し、力をつけていくのか、注目している。

 平和を守るために、一番真面目に、取り組んでいる政党である、と思うからである。だからといって、ではオマエもはいって活動せよ、などと、簡単に言うなかれ、ともいいたい。客観的に外から、応援したいという人間がいてこそ、広がりがあるのであって、みんな同調するものは、入党するべきだ、などというのは、了見が狭いといわざるを得ないし、入らないなら、それは、「意識」がまだ、そこまできていない、などと思ったりしないでほしい。上から、みてはいけない。

 本物の底力を蓄えて欲しいものだ。具体的なとりくみのなかにこそ、そのヒントがある。困っている人々のこと、制度のこと、生活のこと、日本共産党の集団として、本気で力を出して欲しいのである。活動は選挙のときだけではないのである。