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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

韓国との課題解決のために

2019年07月08日 22時56分48秒 | 思考試行

 これだけこじれて、しかしながら、隣国として、このままでいいわけはない。韓国と、どうすればいい関係になれるのか。それには時間がかかるだろうし,かけなくてはならない。

 話し合おうといえば、ウンともスンともいわず、いよいよ、これはたいへんだとなったのか、ようやく大統領が口を開いた。それでも、日本の主張など一つも聞いてはいないような、ピント外れの発言であり、これでは話にもならない。

 こじれるだけ、こじれて、とことん行くところまで行って、そこから再スタートするのもいいが、その前に、そもそも、お互いの言い分を十分にいいつくしているのか。それをはっきりと、すべてをあきらかにする討論をやればどうだろうか。

 無制限にに時間をかける。ごまかしはなしにするため、小出しに言い分をいうのではなく、それこそ秀吉時代からでも、歴史観を出し合えばどうか。世界の当時の考え方、力関係のなかで、どのように国家間の出来事があったのか、第二次世界大戦の前後、韓国を日本が併合した事実があったこと、その間どんなことが起こったのか。

 戦後、日本との関係、日韓基本条約のこと。すべては解決されたのか、それとも積み残したものがあったのか、徹底的に論議する。つつみかくさず、論点を明らかにしていく。

 韓国は、反日教育をしているといわれている。その中身はどうなっているのか。それにたいする日本の反論はあるのだろうか。韓国の大統領が辞めた後、なぜ、犯罪者の汚名を着せられることとなるのか。この国情はどこからくるのだろうか。

 隣国でありながら、わからないことばかりである。その辺を徹底的に討論するとどうなるのだろうか。すべては行き違いで、話にもならないことになるのであろうか。誤解や、曲解はないのであろうか。

 事実や、前提がちがっていれば、議論は平行線をたどる。それでも同時代を生きているのである。放置して、平行線のままでいいわけはない。

 韓国と日本は、隣国として、地理的にも近い。徹底的な論議を「はじめから」したらどうだろうか。あまりにも、事実認識の違いがあり、論理的な話し合いができないまでに、世論の常識が違い、国民の意識にも、違いがありすぎる。

 どこにその原因があるのか。そこをあきらかにしていく。まずは、学者からでもいいし、それぞれの論客をだしあって、それを公開する。いろんな意見をだしあう。それぞれの国家を代表する意見でなくてもいい。多様な意見を出し合う。

 隠されていた情報があるのなら、それを明らかにする。それをどのように整理していくのか。まとまらなくてもいい。それが実体なのだから。だが、そのなかで、取りうる方策が、あきらかになるのではないか。

 話にならないような、低レベルでのやり取りは、無用である。世論を情報を歪めて、誘導したり、しないで、ありままの、状況を出し合い、徹底的な討論をすべきである。


韓国は不思議な国だ

2019年07月07日 22時05分11秒 | 思考試行

 国と国との関係は、協定を結べば、それでいくというのが自然だと思うのだが、韓国は平気で、それを反故にしてくる。これは、理解に苦しむ。

 なんで、国と国との約束を平気で破ってくるのか。それでは、なんの約束もできないし、相談もできない。日本政府が怒るのも無理はない。

 韓国は、前政権と現政権は、なんの関係もないという考え方のようだ。そもそも、韓国で大統領をやって、やめるとなると、タダではすまない。

 犯罪者として弾劾されたり、自殺したり、こんな状態をいつまで続けるつもりなのだろうか。こうしてみると、無茶苦茶な理屈をつけてくる韓国は、連綿と続く、同一国ではないのだろうか。政権が変われば、別の国となって、また新たに話をしなければならないのか。

 国民にたいする教育についても、反日教育をつづけ、その意味はどこにあるというのだろうか。正しい歴史教育をするべきだ。無用の対立をあおり、敵愾心を育てて、どうするつもりなのか。理解に苦しむ。

 話が分かる相手であれば、話し合えばいいが、理屈のとおらないことを言い募る相手は、敬遠するほかない。おたがいが助け合って生きていけるならいいのであるが、そうではない相手とは、きっぱりとそれなりの対処をせざるを得ない。

 日本が、敗戦後、韓国に何をしてきたのか、いつまでも戦前の、今は、生存者もいないような時代のことを繰り返し、恨みつらみの対象にしている。話をつけて、国家間の協定を結んでも、それは無効だなんて言い出す国はまともではない。

 韓国政府は、どういう考え方をしているのか、今の今、自分たちはこう考えると、だから、過去の政権がやったことは全部無効だという。政権が変わるたびに、取り決めをやりなおさないといけないことになる。それが正しいという考え方だというのなら、もはや、つきあうことはできない。

 福沢諭吉も韓国は信頼できないと言っていたらしい。明治の時代から、韓国はそうだったのだろうか。約束はまもらない国だったのか。そういう国民性なのか。


これからが問題

2019年07月05日 10時47分42秒 | 思考試行

 日本の政治がどうなっていくのか。論理だてて、国民の暮らしをよくする方向へ、うごいているのだろうか。

 議論をしても、いっこうにかみ合わせない風潮があって、テレビは、時間を区切るものだから、尻切れトンボの内容になる。初めからそうなることを計算しているのかもしれない。

 自由に討論させると、何時間でもしゃべるから、真に討論するという形になりにくいのだろうが、そもそも、本当に論議をかみ合わせるための工夫があるのだろうか。

 反論といいながら、過去の実績を誇ってみたり、論点がすれちがう。これからの方策についての意見のくいちがいにメスをあてていない。発言から深めていくことはしないから、その場その場を言いつくろうような形で、政権側は、議論にしない技をくりだしている。

 議論を深めるために、どんな工夫をするのかが、テレビサイドの仕事だと思うが、そこに、力をいれてはいないから、番組がもう一つ盛り上がらない。

 これでは、選挙への関心があがらないし、そういう意味では、政権側の意向をうけての演出かもしれない。おもしろくないように作っているようにさえ見える。

 政治に関心を持たなければ、どういうことになるか。ヒットラーがどんな具合にして、独裁化していったか。国民はどんな風に誘導されていったのか。

 民主主義は、一部富裕層の繁栄のための舞台ではない。人類が助け合って生きていくための考え方だと思う。機械的な多数決で物事を決めてよし、とする安倍政権は、多くの意見を組み入れることはしない。むしろ、重要問題を矮小化して大事なことを、議席の数を背景に、討論もせずに、次々と重大な採決をしてきた。

 知らないうちに、戦争のできる国への準備が、憲法を除いて、ほとんど完成しつつある。あとは、自衛隊の合憲さえいれてしまえば、自衛権のもと、なんだってできてしまう体制になってしまっている。

 戦争が嫌なら、自民党には、はっきりとノーと意思表示をしないと、戦争賛成票を投じたこととなる。

 戦争しなければ食ってはいけない人達がいる。軍需産業である。かれらは、新しい兵器を開発し、売りつけてくる。

 人類はここからどのようにして、彼らの狙いを見破り、平和を世界のあたりまえにできるだろうか。


安定?小さい声?

2019年07月04日 00時05分51秒 | 思考試行

 自民党は「安定した政治」という。公明党は「小さい声」を聞く力といっている。政治が安定するということは、国民に不満が少なく、その暮らしぶりが、いい、という意味になるだろうか。

 それならそういうべきであって、いかに苦しくとも、政治的に安定していればいいというのは、自民党の本音であって、国民は、現状肯定で静かにしていてほしいということだろう。暮らし向きを「良くしようという」意欲はない、ということだ。

 事実、自民党は年金を減らす案を出してきているが、それは、大きな問題としては扱わない。

 年金資産の運用に、株式運用をとりいれており、株価を支えるという手法をとっており、いかにも危なっかしい。運用益が出ている、と喧伝するが、損もでる可能性があり、事実そういう時期もあった。将来的に安定しているわけではない。

 アメリカに追随し、アメリカとともに、戦争ができる国の体制を作るべく、憲法9条改憲をいっている。これは、庶民にとって、どういう意味を持つか。兵隊として命をかける悲劇の道をたどるのか。

 アメリカは、日本全国に無差別爆撃をおこなった。広島、長崎に原爆投下もした。戦争をするということは、庶民はとんでもない悲劇にあうということだ。戦争は絶対にするべきではない。

 改憲論を言うものは、しばしば、戦争に反対する人を「平和ボケ」などという。

 どうすれば、戦争に巻き込まれないようにするか。ボケてなどいられない。うかうかと戦争への道を歩む傾向を無視してはならない。あの先の大戦の大きな犠牲をどう考えるかである。

 「小さい声」をと公明党はいう。国民の願い、暮らしの実態、戦争への道に、うかうか乗らないように、しっかりしなければならない。小さい声ではない。切実な声をキチンと聞かなければならない。公明党は、池田大作氏のことをとりあげられると、腰くだけとなってきた。そして、司令部が右と言えば右、左といえば左の体質をもったままである。

 今は、とんでもない勢力が政権をもっているのだ。

 


日本を戦争しない国から戦争ができる国にしたいのか

2019年07月03日 11時57分52秒 | 思考試行

 安保条約を廃棄すれば、アメリカのくびきを離れて、いけるかどうかであるが、アメリカは日本を、目下の同盟国として、事実上、なんでもいうことを聞いてくれる、なんでも思い通りに動かせる手下ぐらいに思っているに違いない。

 首都圏には、日本が立ち入れない、アメリカの自由に使える広大な空域があり、全国にアメリカの基地があり、これらがみんな撤退すれば、日本は形のうえで、アメリカのくびきを離れたことになるか、といえば、そういう風にはいかないだろう。

 中国やロシアの圧力にどう対抗するかと考えるだろうし、少しでも弱いとみれば、今の世界は領土拡張意欲があって、日本の場合、沖縄も取られかねないという報道もある。

 にわかに信じられないが、かつて、アジアは植民地化された経験があり、日本が侵略した経験があったように、今度は、かつてやられた国が、やりかえすことになっても不思議ではない。

 そのために、日本は、憲法改悪をなしとげ、自前の軍隊をもち、核武装だってやりかねない。平和国家といっても、そんなものはいつでもかなぐり捨てるだろう。

 人類の歴史は、争いの連続である。アメリカの意向のもと、日本は、憲法9条をもって、法律の文言から、どうやっても戦争できない国として生きてきたのだが、また、これを言い訳にしてきたのだが、トランプ大統領の発言により、アメリカから指示されれば、戦争もやむをえない、という雰囲気である。

 憲法解釈を勝手に変えて、集団的自衛権の名のもと、事実上、戦争できる国となっていると、安倍政権は主張するだろう。法律も強行採決で準備済みである。

 そうなると、あとは自衛隊の文言上の合憲を獲得することだ。それさえあれば、もはや、アメリカにくっついて、どこでも、戦争できるということになる。

 今度の参議院選挙は、これは本当にたいへんな選挙だと思う。このまま、すんなりと、そんな国になっていいのだろうか。いいはずがない。

 文部省の元事務次官の前川氏も、共産党の機関紙赤旗に登場して、共産党の政策に賛意を表明しておられる。 知っている人は知っている。事態がたいへんな状況にあることを。

 だまされている国民が、まだまだ多い。そんなにさしせまってはいないと思っているのだろう。だが、安部氏は、危険千万である。昔の日本を取り戻そうとしているのである。


安保条約を廃棄?

2019年07月02日 22時56分48秒 | 思考試行

 日本は、先の大戦で、完全に敗北し、ボロボロになった。価値観を大逆転して、昨日までの価値観をすべてすて、アメリカ流の民主主義を受け入れることとなった。

 果たして、その民主主義がキチンと日本に、根付いているかどうかであるが、江戸時代から明治、大正、昭和ときて、この間、民主主義とはいえず、民主主義は、日本自らの手で得たものではないから、いまだに、民主主義がわかってはいないのではないかと思われるふしがある。

 このところ、安倍政権になって以来、ロクな論議もなしに、どんな法案も多数決で強引に決めてしまうことばかりだ。議席があれば、論議など必要なしという姿勢である。公務員の人事権を持ち、高級公務員は、政権の顔色をうかがい、忖度をはじめ、司法も国の意向にしたがう判決を出し始めている。

 こうなると、安部政権の思うままであり、選挙だけが民主主義の表現の場となるべきところ、なんと非正規雇用の人達が、自民党政権であれば、これ以上落ちないだろうと支持する傾向があるというのだ。自分たちの境遇は、自分自身に責任があると思っているという。自民党にとっては、実にありがたい考え方をしてくれているというほかない。

 規制緩和で、非正規雇用を作り出し、賃金の猛烈な低下を招き、労働基準法さえ形骸化していており、この状況を資本は大歓迎し、今や、企業の内部留保は膨らみ切っている。これらは、労働者に当然分配されるべきものだ。労働者に配分せず、内部留保として儲けを蓄えている。そこに不満がないのだろうか。 

 安保条約は、日本を再び軍事国家にさせないように、日本の手をしばりあげ、そして、アメリカの世界支配のために日本に基地を提供させ、金も支払わせてきた。

 日本が本当に自前の軍隊をもち、気兼ねなく主張を始めることを、アメリカは認めたくないので、今の状況が一番だと思っていたはずであった。

 ところが、トランプ大統領は、安保条約の片務性に文句ありと、はっきり言いだした。以前からの彼の主張らしいが、あまり表面化しないように、抑えてきた事情もあるのかもしれない。

 主張の中身は、アメリカが問題にしているのは、片務性だけであり、日本がアメリカについていくといえば、アメリカとしては何の文句もないのかもしれない。アメリカの子分として日本の自衛隊を使い放題できる。

 そのための法的条件は、憲法解釈をかえて、立法処置も多数決のごり押しで決定済みである。あとは、目の上のタンコブの憲法9条さえかえれば、合憲自衛隊は、世界どこでも、アメリカの言う通りに出かけることになる。ことわる術はない。いよいよ憲法9条で、最後の仕上げが完成すれば、世の中変わってしまう。そんなことをさせていいのか。

 


トランプ氏と北朝鮮

2019年07月01日 00時05分04秒 | 思考試行

 「ゆっくりでいい」とは、まあ正直なこと。まだ、再選選挙までには時間があるから急ぐことはないということらしい。コメントも、大統領選挙のことが念頭にあるのだなということが丸わかりである。

 日本との同盟関係も、大分様子が変わってきた。日本は、もう二度と立ち上がれないように、雁字搦めにしてきたのだが、もういいだろう、ということだろうか。

 完全な独立国にして、軍隊も自前のものを持ち、あっという間に、核武装などしようものなら、日本の立ち位置は相当変化する、と安部さんたちは考えているかもしれない。同意したとの報道もあるようだ。

 あれこれと、外から言われることはないと、どうしてもぶつかるようなら、武力の行使もやむを得ない、そのための軍備であると、愛国心をうえつけ、非国民には弾圧を加える、そんな動きが始まるのかもしれない。

 トランプ氏は、大統領選挙のことが頭にあり、北朝鮮は、核を手放すことは、決してないだろう。福沢諭吉が言ったように、必ず、彼らは裏切るのではないだろうか。素直に核武装を解くことはない。

 核武装をやめたときには、体制維持は不可能だと思っているだろう。身内を殺し、粛清をやりまくってきた国である。存続させるわけにはいかないと考える勢力に、まわりは、取り囲まれている。

 なんど話会おうと、変わることなどない。ロシアもそうだ。武力で獲得したものは、交渉でかえしたりしない。力関係が変わらなければ、返す必要などない。

 国内政治は、選挙というルールで、トランプ氏は政権をいつまでも持つことはできない。だが、金正恩は、選挙などない。革命でも起こされな限り、弾圧と監視社会をつづけておれば、政権は安泰である。

 無法千万の国が、まともなことを言っても、信用することなどできない。裏切るとみてほぼまちがいがない。いままで、何度も、アメリカは騙されてきた。

 おかしい国は、やはり変わって貰わなくてはならない。変えようとしないならば、変わらざるをえない状況を作り出さなければならないのだろう。それが人道主義ということだろう。

 選挙さえすればいいのかといえば、そうではない実例を人類は経験している。選挙の結果、監視社会を作り、とんでもない国家を作ってきた経験もある。

 さて、これから、どんな風に世の中が変化していくのか。よくよく注視していかなければならず、また、できる行動をしていかなくてはならない。


G20が終わった

2019年06月30日 01時02分42秒 | 思考試行

 地球上の有力国が集まって、話し合う。やはり、なかなかの行事であるなあという感想が素直なところである。報道陣、記者らも多く来ていて、国際交流が活発にされていた。

 結局、何かドラマチックなことが決まった、ということではないが、それでも、各首脳の姿が一堂に会して話し合うということは、意味があると思う。いいものだ。

 一応、にこやかに挨拶をかわし、個人的に、みるからに悪人というような人物はいないようにみえる。表面上はそうであっても、実際の人物はどうなのかそれはわからないけれども。

 だが、トランプ氏のばあい、イランが無人飛行機を撃墜したことで、攻撃を決定し、その10分前に中止したという。その感覚は、常人ではない。恐ろしい人物のようにみえる。

 国を背負った場合、戦争もやむを得ないと考えている人びとだとすれば、あの笑顔はなんだろうか。恐るべきことである。会議の内容は、冒頭だけで、公開されないが、実際にどのように議論しているのか知りたいとおもった。人物の人となりがわかるのではないか。

 特別な人達だということで、大阪の日常生活は、完全に止まった感じがあった。小生の場合も、完全に動きをとめた。

 やはり非日常だったのだといえる。それでも首脳の夫人たちが、観光している姿をみれば、なごやかで、楽しそうで、なんで戦争なんか起こるのかと、思う。

 大阪でのこんな大きな会議は初めてで、記者たちのために、たこ焼きなどがふるまわれたり、大阪らしいおもてなしがあったようだが、こういう会議とは別の、庶民の暮らしぶりが、世界に知られるということは、よかったと思う。ナイスアイデアだ。

 韓国の大統領との話し合いは、結局なかったが、経緯からみて、日本としてはそうせざるを得なかったと思う。韓国は、あまりに非常識であり、明白な事実も認めようとしない頑迷な姿勢は、どうしても、受け入れられない。それは、非難されて当然のことだと思う。反省がないところが致命的である。

 なんでそうなったのか、経緯の報道がキチンとなされて、真実が知らされなければならない。隠ぺいだとか、事実を否定するとかは、見ておれないぐらいの低レベルである。

 日本のばあいも、最近は、忖度がはびこったり、平気でうそをつくような傾向がでてきている。ゆゆしきことである。正しいことは正しいと指導者がちゃんとしないと、世界はへんな方向へと向かうことになる。

 さすが、外交の安部首相だ。議長ぶりは堂々としていて、いい人にみえていた。それが危ないのだが、安保廃棄が日程に上がってきたりすれば、憲法改悪が現実のものになりかねない。だんだん世の中変な方向へ向かわないように監視しなければならない。


韓国だけが日本とバイの首脳会談なしのこと

2019年06月29日 00時02分25秒 | 思考試行

 二国間で、決着済であると思っていた、徴用工問題を、むしかえし、攻撃寸前のレーダー照射事件があり、朝日新聞も誤報と認めた慰安婦問題を世界各国に宣伝し、天皇に謝罪を要求するなど、このところの韓国のやり方は、普通に考えてどう取り扱っていいかわからないほど異常とみるほかない。

 文政権は、北朝鮮との統一を目指し、日本はともかく大嫌いのようで、にこやかな顔とは裏腹に、日本としてもどう取り扱っていいかわからない存在となっている。

 韓国国民は、反日の気運が強く、日本を嫌う傾向が強いと言われている。その割に、訪日観光客は多いようであるが、反日の傾向が続くこの状態はいかにもまずいと思われる。

 感覚的に、韓国のやり方は、どうみてもおかしいとしか思えない。こんなことで、もめる国ならば、付き合いようもないので、今回のG20サミットでの首脳会談を見送りにしているのは、仕方がないことのようにみえる。

 韓国関係のニュースをみると、秀吉のこと、朝鮮併合のこと、慰安婦、徴用工のこと、竹島のこと、などが反日のおもな理由となっているようだが、第二次世界大戦後のことについては、すでに国家間で法的手続きが済んでいるが、それは以前の政権の話だから無効だというのは、いかにも無理筋だ。

 それでは、国家間の取り決めが、なんの意味もないことになってしまう。取り決めをしてもひっくり返すのであれば、何のための取り決めなのか。

 それらの記事のなかで出ていたが、1945年以降、日本がなにか韓国に「悪いこと」をしたのかと質問すればいいというのがあった。そのように問われば、何もないはずだ。韓国は、74年前のことを、それも決着済みのことを、蒸し返して、それを理由に今現在の反日教育の理由としているのである。

 韓国サイドの考え方は、どうみても、無理があるといわざるを得ない。今の日本の状況から、反日教育をするというならわかるけれども、過去の決着済みのことを蒸し返して、反日教育をするのだから、これは異常としかいえない。

 日本は、冷静に、今の韓国は、相手にしてはならないこととするほかない。歴代大統領が、任期を終えると、必ず犯罪者になるような国情では、とても、国の体をなしているとはいえない。

 大統領権限が強く、現役時代はいいのだが、大統領をやめるとなると、任期中の権限の元、周囲の者が、大統領権限を悪用したり、乱用したことなどが暴かれることとなるのだろう。

 徴用工の判決も、文大統領が裁判官を差し替えて、その裁判官が出したものである。自分の思うような判決をださせるために、こんな人事をするのである。そして、判決がでれば、司法の尊重という。

 何が司法の尊重か。自分で作った判決ではないか。まさに無茶苦茶である。

 日本も安倍政権の長期化によって、忖度がはびこり、司法にもそんな傾向がみられはじめているが、韓国ほどではないとしておこう。

 韓国が、話のできる相手ではないことがはっきりした以上、しばらくは、そっとしておくほかない。これは個人間でもいえることである。つきあってはいけない人はいる。しばらくは、監獄に入ってもらわなくてはならない人もいる。

 


お笑い芸人のこれから

2019年06月28日 15時30分50秒 | 思考試行

 もちろん強くならなければならない。とても食べることができないような報酬であったり、売れるか売れないかは、本人しだいであって、売れたとしても、なかなか報酬をあげない芸能事務所のように、好き放題にやられっぱなしではいけない。

 そんな芸能事務所では、タレントの生活をどのように考えているのだろうか。芸人のことなど、そんな心配はしていないのだろう。売れなければ、淘汰されて、消えゆくのみとして、なんの心配もする必要はないと考えているのではないか。

 それで、お笑い芸人が真っ当に育つことができるだろうか。先輩が後輩の面倒をみてやる、といっても、それは先輩芸人の気の向くままであって、系統的なものではないだろう。

 そうしたなかで、反社会的集団の催しに参加したからと、芸能事務所から、無期限謹慎などの処分をうけている。彼らの生活をどのように考えているのだろうか。問題になったから、切り捨てでいいとしているのだろうか。

 芸能人は、個別に、収入に相当の格差があるのだろう。収入のある連中は、その財力を提供して、たとえば、互助会を作って、売れない芸人の援助活動をしたらどうだろうか。

 芸能事務所を上回るような理念をもって、芸能人の養成から、タレントの仕事の差配、営業活動もすべきである。既存の芸能事務所に対抗できる組織を作って、芸能人による芸能人のための組織が必要である。

 人々を感動させたり、生きがいを見出す機会をあたえたり、お笑いの世界には、大きな可能性がある。収入の確保と、現実の世界の分析、改革、政治的信条も磨くべきである。人前にたちパフォーマンスをするということは、単純に一時の慰めや、気晴らしだけではない。

 そこには、人間が人間にはたらきかける直接的な芸術であり、明らかに、普通の人びとにとって、リーダーたるべき人である。

 卓越した技をもって、人を慰め、高め、笑わせ、カタルシスを与え、もって、世の中に貢献し、変革していく強力な戦力を持つ人々である。

 そのために、芸能人は、哲学者であり、科学者であり、政治家であり。経済の専門家でなければならない。お笑いはすべての分野に関連する。徹底的な勉強が必要である。


政治はどこへ向かっているか

2019年06月27日 00時19分24秒 | 思考試行

 参議院選挙が7月4日公示、7月21日投票と決まった。そして、安倍首相の記者会見をみたが、彼は、下野した時代のことが脳裏から離れないようだ。

 何年も前の、民主党政権時代がひどくて、暗黒の時代であったと、あの時代に戻らないようにと、政治の安定をと述べた。彼は、一強時代と言われて、今や、自信満々なのかと思っていたが、どうもそうではなく、下野経験がトラウマになっているようだ。

 何年も前になる民主党政権時代をふりかえり、今まさに、選挙をしようというときに持ち出す話題だろうか。いわば、もう済んでしまった話である。問題は、これからどうするかということだ。

 世界を平和にとか、環境問題とか、少子高齢化のなかでどうするかということだ。経済が大事といいながら、貧富の格差を広げ、若者たちの結婚意欲さえうばうような劣悪な労働環境、異性さえ求めない男子青年など、世の中、富裕層優遇の、まったくおかしい状態になっている、ここをどうするかをいうべきだろうが。

 民主党政権時代に、自民党時代の作った原発、不完全な安全対策、そのために起きた原発事故のために民主党は必死で対処した。自民党はなにをしたか、あろうことか、意地悪く、足を引っ張りまくった。あの時代、「決められない民主党」と悪罵をなげつけ、それを記者会見でも言っていた。事実は、自民党がことごとく邪魔をしまくり、当然協力すべきことも、一切やらない。「決めさせなかった」のである。ねじれ現象のなかで、徹底的に意地悪をした。当時の石原幹事長だったか。彼の汚さにはおどろいた。こんな人が政治家なのかと思った。

 トランプ大統領は、安保条約の廃棄を口にしたと報じられている。経済問題の取引材料にしてくるらしいことが予想されるといわれている。彼の感覚は、通常の政治家とは思えない。イランへの攻撃をするつもりだったが、10分前に、取りやめた、などという人物である。このトランプ氏に安部氏はウマがあうらしい。彼に、どこまでもついていくつもりだろう。

 安部氏の記者会見は、幹事社と、計4名の質問のみであった。質問はありきたりのもので、面白くもなんともない。出来レース、低レベルである。そして、自分の用意してきた、何年も前の民主党政権当時の悪口をいい、安定した政治をいい、しかも、戦争のできる国へと導く、憲法改悪を主張してみせた。

 マスコミは、野党がだらしない、の空気をまき散らし、戦争のできる国にしようとしている動きをちゃんと伝えない。記者会見でも記者の発言を制限している風がありありであり、新聞記者をおとしめ、まともな取材さえさせない空気を感ずる。

 安部氏は、議論がかみあわないようにして、あたかも議論しているかの風をする手法をマスターしたようで、こんな人物がはびこるようでは、民主主義を機能しなくなる。

 最高裁もへんな判決をだした。国側(検察)によりそってみせた。地裁、高裁の判断を覆して見せた。

 これでは、国民がよほどしっかりしないと、大変なことになる。その意味で、今度の参議院選挙は、重要だ。国民がしっかりしないと、権力層は、みんなおかしくなって、反省することもできないだろう。反省させないとエライことになりかねない。国民はしっかりしなければならない。正しいことは正しい。おかしいことはおかしいと判断しなければならない。それを選挙で表現することだ。


価値観が、どんどん変化している

2019年06月26日 00時05分01秒 | 思考試行

 敗戦時、小中学生は、昨日までの価値観が全く変わり、教科書を墨で塗りつぶす経験をした。小生は、それよりあとだから、そんな経験はない。だが、民主主義なんて言葉を聞いたのはずっとあとのことだ。

 小学生時点でも、軍隊上がりの教師がいて、運動会の隊列の練習などは、かなりの緊張を強いられた。体罰が横行していたというわけではないが、朝礼台の上で、号令をかける教師がまさに軍隊式であった。

 前の人間の後頭部を見ろ、といわれて、じっと見続ける。と、その教師が列の後ろのほうで、キョロキョロする者がいたのか、ものすごい勢いで、台を飛び降りて後ろに走る。

 なにがあったか、わからない。全体をとにかく緊張させる一瞬であった。その教師は、中年の丸刈りで、「わかれ!集まれ!」と号令をかけ、90度隊列を変える。

 急ぎ足で、新しい隊列を組む。これが、軍隊のやり方かと思った。その教師のことは、この場面しか覚えていない。そのやり方に、他の教師から、異論がでたのかもしれない。

 中学校も、民主主義がどうのこうのという話はなかった。ただ、エコひいきは、明らかにあった。教師にも、生徒の目からみても、異常な教師もいた。世の中、貧しかった。

 ませた生徒は、越境を考え、中学生の時から、出世を考えているものがいた。深く考えたことはなかったが、出世などに関心はなく、叔父の職業などをみて、漠然と将来を考えていた。

 いい高校へはいって、いい大学へいって、・・・という考え方はなかった。

 親をみていて、とにかく食えさえすればいい、としか考えてなかった。

 就職して、上下関係ということ、職務職階性が、徹底されていた。そのうちに労働運動が活発になってきた。職場の雰囲気が変わり始めた。世の中が変わるかもしれないという雰囲気さえ生まれた。

 だが、その後ソ連が倒れ、社会主義国の実態が知られるにつれ、労働運動は壊滅的になった。

 今や、男の若者は、「3次元には、興味は惹かれない。2次元の女性に惹かれる」などという時代となった。

 生物としての生命力が、相当落ちているとしか見えない。人口がどんどん減り続ける。人間の質が、どんどん変化してきている。

 人類の将来は、どうなっていくか。いよいよ末期的症状を呈し始めているのかもしれない。


何を大事にするか

2019年06月25日 00時05分57秒 | 思考試行

 金儲けをなにより大事だと考えるか、地位か名誉か、それとも家族なかよく暮らすことか、友人か、自分自身なのか、夫婦なのか、恋人なのか、親兄弟なのか。

 あるいは、もっと広く、国民、民族、人類、生きとし生けるもの、どれを大事だと考えても、どこか無理があるようで、すべてではないようで、具体的に考えると、途方に暮れる。

 結局は、結論の出ぬまま、なんとなく、近くにいる人間が大事として、何とか生きているような気がする。

 その場その場では、おそらく、人間は自己の生命を守るために自動的に、反射的に反応するのではないかと思う。小生の貧しい体験から、そういう風に動く自分自身を自覚することがある。理屈でいくらきれいごとを言っていても、犠牲的なふるまいをする貫徹することに確信はもてなかった。

 突発的には、間違いなく、利己主義的な、そういう行動をとるに違いない。それほどなきれいな人間ではないのだ。では、ゆっくりと考えたときに、利他的な行動がとれるだろうか、それも、恥ずかしながら、怪しいと言わざるをえない。

 さんざんええカッコしてきたのに、自分自身を考えたときに、そんなにきれいごとではすまないような自身の本質に気付いている。気付いているにもかかわらず、大きな口をたたいてきた。

 そんな、小汚い自分だから、では、どうするのかと言えば、開き直って本当に利己主義で行くのかと言えば、そういうわけにもいかない。それほど、度胸がないというか、そこまでの覚悟もない。世間の目が怖く、また、自身も、教育の影響か、何かに呪縛されて、そう簡単に、そんなことはできない精神構造もある。

 今は、そういう場面になったときに、ウジウジしながらも、なんとか人間らしい行動ができるように心がけるしかない。

 明るく堂々と、そんなときがあれば、自らの利益を考えることなく、行動すると覚悟しなければ、この世では、そんなに大きな顔をして生きてはいけない。もう少し、謙虚でなければ、いざというときに逃げ出すかもしれない自分であることを知っている者の、態度とはいえないだろう。だから、謙虚にしているかといえば、それも卑屈に過ぎる。だが、そうせざるを得ないのかもしれない。

 だから、謙虚であって、なおかつ、腹ができている人こそ、すばらしいのであってその人のカッコウだけ真似たとしても、見る人が見たらわかることなのかもしれない。

 というのは、建前の話であって、実は、もう何も守るべきものもないし、思ったとおりの行動ができるのだと思っているとしたらどうする。


世の中とどまっているものは何もない

2019年06月24日 10時47分49秒 | 思考試行

 すべては変化し続けて、とどまることはない。一見、何も変わらぬような日常生活だけど、やはり変化している。

 近所の犬が、いつものように、意味もなく吠え続けている。いつもの日常のbgmである。

 そのなかで、家がとりこわされたり、なにかのモノを撤去するというのは、明らかに日常とは違っているはずなのに、それほどの変化とは思わない。

 モノとして考えるならば、それは、大変化であり、景観が変わり、存在そのものがなくなるのだから、大事件であるはずなのだが、周囲の全部が変わるわけではないので、全体としては、大きな変化はない、と感じている。

 100年とか、150年とかの時代を過ごしてきたモノがあっけなく取り壊されていく。いろんな時代を潜り抜けてきたが、昨年の台風で、一部が損壊して、周囲の影響を与えるとして、このモノはとりこわされることになった。

 これは、モノに限らず、人間もまた、もっと短い時間で変化を受け入れることとなる。人間の一生も長いようで、短く、もはや、小生も、日暮れ時をむかえようとしている。

 終わりよければすべてよし、とはよく言ったものだ。どんなに、大変な人生であったにしても、その最後が、本人にとって、よければ、すべては、この日のための試練であり、この日を迎えるための、条件であるとみることができる。そう考えると、すべてに、満足できるのではないだろうか。

 最後をつつがなく終えるための準備が、超高齢化社会のなかで、活発なようである。いわば、自然の流れであるが、対象者が多ければ当然に起こる現象であり、みんな似たようなことを考えるのだなあという感慨を覚える。

 当方も、ぼちぼちと具体的なことを考えていこうと思う。どんなプランになるのか、いまのところは白紙であるが、これこそ、生涯の総決算として、大事な仕事を位置付けたい。


ユニバーサルデザイン

2019年06月23日 22時50分59秒 | 思考試行

 放送大学の科目に「情報社会のユニバーサルデザイン」という科目がある。

 この科目のまえがきから、引用したい。

「ユニバーサルデザインとは、年齢や性別、能力や背景にかかわらず、できるだけ多くの人が使えるよう、最初から考慮して、まちやもの、情報やサービスを作るという考え方であり、そのプロセスです。」

 この方向は、徐々に広がりつつあるように見える。バスの形が変わり、低床になり、車いすの人も問題なく乗れるようになっている。まだまだ十分とはいえないが、こうした動きはまだまだ続いていくだろうし、もっと徹底されなければならない。

 そして、印刷教材のなかに、2015年の国連で持続可能な開発サミットで、193の参加国により全会一致で採択された2030年アジェンダが掲載されている。

 2030年までに国際社会が持続可能な社会を実現するための重要な指針として、次の17の目標(ゴール)が設定されている。

 持続可能な開発目標(SDGs)-Sustainable Development Goals

1.貧困をなくそう

2.飢饉をゼロに

3.すべての人に健康と福祉を

4.質の高い教育をみんなに

5.ジェンダー平等を実現しよう

6.安全な水とトイレを世界中に

7.エネルギーをみんなにそしてクリーンに

8.働きがいも経済成長も

9.産業と技術革新の基礎をつくろう

10.人や国の不平等をなくそう

11.住みつ続けられるまちづくりを

12.つくる責任つかう責任

13.気候変動に具体的な対策を

14.海の豊かさを守ろう

15.陸の豊かさも守ろう

16.平和と公正をすべての人に

17.パートナーシップで目標を達成しよう

 

 為政者、官僚、富裕層、すべての人が、この理念をもって、行動するならば、世の中,本当に住みやすくなるだろう。

 国連でこんなことを採択しているとは、まったく知らなかった。これは是非実行していきたいものだ。