日本の政治がどうなっていくのか。論理だてて、国民の暮らしをよくする方向へ、うごいているのだろうか。
議論をしても、いっこうにかみ合わせない風潮があって、テレビは、時間を区切るものだから、尻切れトンボの内容になる。初めからそうなることを計算しているのかもしれない。
自由に討論させると、何時間でもしゃべるから、真に討論するという形になりにくいのだろうが、そもそも、本当に論議をかみ合わせるための工夫があるのだろうか。
反論といいながら、過去の実績を誇ってみたり、論点がすれちがう。これからの方策についての意見のくいちがいにメスをあてていない。発言から深めていくことはしないから、その場その場を言いつくろうような形で、政権側は、議論にしない技をくりだしている。
議論を深めるために、どんな工夫をするのかが、テレビサイドの仕事だと思うが、そこに、力をいれてはいないから、番組がもう一つ盛り上がらない。
これでは、選挙への関心があがらないし、そういう意味では、政権側の意向をうけての演出かもしれない。おもしろくないように作っているようにさえ見える。
政治に関心を持たなければ、どういうことになるか。ヒットラーがどんな具合にして、独裁化していったか。国民はどんな風に誘導されていったのか。
民主主義は、一部富裕層の繁栄のための舞台ではない。人類が助け合って生きていくための考え方だと思う。機械的な多数決で物事を決めてよし、とする安倍政権は、多くの意見を組み入れることはしない。むしろ、重要問題を矮小化して大事なことを、議席の数を背景に、討論もせずに、次々と重大な採決をしてきた。
知らないうちに、戦争のできる国への準備が、憲法を除いて、ほとんど完成しつつある。あとは、自衛隊の合憲さえいれてしまえば、自衛権のもと、なんだってできてしまう体制になってしまっている。
戦争が嫌なら、自民党には、はっきりとノーと意思表示をしないと、戦争賛成票を投じたこととなる。
戦争しなければ食ってはいけない人達がいる。軍需産業である。かれらは、新しい兵器を開発し、売りつけてくる。
人類はここからどのようにして、彼らの狙いを見破り、平和を世界のあたりまえにできるだろうか。
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