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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

意思疎通のためにどうすればいいのか

2019年10月17日 22時38分13秒 | 思考試行

 認識が違う相手とどうやって意思疎通を図ることができるかどうかであるが、真剣に意思疎通を図りたいというお互いの意思があればともかく、まったくその気のない相手とは不可能と思われる。

 絶対に、同じ土俵にはたたないという決意のもと、とことん水掛け論にしようと当事者の一方、がそう決意すれば、おそらく合意することは、不可能であろう。

 ところが、証拠があって、一方が、どうにも逃げ切れなくなった場合は、決着がつきそうなものだが、それでも、頑張って、証拠さえ認めない相手の場合は、これは交渉相手ではない。こんな相手とは、話し合うこと自体が無駄というものだ。

 今の日韓関係は、そんな風にみえる。

 今後どのように展開していくのか、先のことはわからないけれども、正しいと思うところを実行していくほかあるまい。相手が、困る状況を作り出すことに力を出そうとする様子さえみえて、これは、とうてい理性的な相手とは思えない。どう関係を良くしていこうかという気がない。

 それどころか、ウソや捻じ曲げや事実の隠ぺいや、情報の改変など、ありとあらゆる陰謀をしかけてくる。こちらは、相手の変なところ、ごまかしているところをキチンと証拠に基づいて反論するほかない。感情的ではなく、あくまで理路整然と解明すべきである。

 歴史問題だから、歴史問題を洗いなおしてみたらどうか。当方の都合の悪いところも、相手に損害をどう与えたかも、なぜそうなっていったかの分析とともに、堂々と明らかにすべきである。

 韓国の歴史そのものも、明らかにすべきであろう。日本の歴史も同様である。国際情勢との関連において全体をみなおし、明らかにし、どんな悲劇があったのか、そこから、今後どうしていけばよいのか、双方が、将来を見通していくことである。

 そのためには、相当なエネルギーが必要だろう。簡単にはいかない。すぐに、相手を否定し、その言い分にまったく耳をかさないというのではなく、論点を整理して、徹底的に分析論議すべきである。

 日本の国会の論議のような、意図的なすりかえや、問われたことには答えず、ずらしていたずらに時間稼ぎばかりをして、最後は議席数で決まりというようなやり方では、とても無理な相談である。その意味では、現政権には信頼がおけない気分も否定しえない。本当に誠実であってほしいものだ。


人は人、吾は吾、でいいだろうか

2019年10月12日 21時38分57秒 | 思考試行

 他人に左右されるようでは、いけないのだが、社会のなかで、個人は概ね,他人に影響されていて、個人は、自主的に、そんな風に動いている。

 人事権を握った政権は、官僚組織ばかりか、検察、裁判所、マスコミにまでその影響を広げている。

 安倍政権のように長期化すると、その傾向は、ますます顕著となり、少々の不具合があっても、政権の意向どおりに動くと、個人は心を決め、周辺の動きにそって、流れていこうとする傾向が強くなる。

 それぞれの人が、自分と家族とのことを考えた場合、政権の意向に反するような行動は自ら自制し、政権が望むであろう方向を選択するのである。あたかも、自分の意見がそうであるようにして。

 安部首相の意向を忖度するようになる傾向が普通になると、安倍首相は、論理はどうでもよくて、野党の言うことなどまともにとりあげようともしない。

 論点を、すりかえたり、外したり、国会議論をみても、論理的でなくてもいいから、余裕があるような態度を貫き、議論らしいカッコウをすることで乗り切ろうとする。論議にならないようにするのが、彼の作戦である。

 野党は、国会論議でどのように攻勢をかけるか、であるが、本当に弱者の側に向いているかどうかは、実は定かではない。姿勢がもう一つピリッとしないからである。野党は、ピシッと弱者の側に立つべきだと思うのだが。

 政権側は、支配層の意向によりそい、富裕層を優遇し続ける。どうとでも、言い抜け、国会の議論を切り抜ける。

 そして基本方向は、弱者を食いものとし、どうしょうもない、馬鹿どもとして扱う。本音のところ、弱者を救うのだという姿勢は、毛頭ない。

 弱者の側は、自分が悪いと思い込み、落ち込み、静かに自身の小さな幸せを見つけて、自分をごまかし、収奪を許し、この世を去っていく。健康を害せば、離婚し家族バラバラとなり、孤独に生を終えるしかない。

 弱者が寄り添い、助け合って、楽しく生涯を終えることができないものであろうか。それには、為政者の政策が必要である。意図的な配慮があればそれは可能であると思う。そんな社会を構築できるかどうかは、為政者がそうするかどうかを考えているかどうかで決まる。

 考えもしないことは、実現なんてするわけもない。

 


ラグビーと韓国と

2019年10月08日 11時20分27秒 | 思考試行

 ラグビーの俄かファンになってしまった。今や、日本国民は、熱狂といっていいほどの状況である。いろいろルールが変わっているらしいが、審判の判定が明確で、選手同士も潔く判定に従うので、みていて気持ちがいい。そして、ゲームがおわれば、ノーサイドで選手同士の交歓風景もすばらしい。

 世界のトップクラスの激闘に、観客もすっかり魅了させられて、ものすごい人気である。そして、日本が3連勝とこれ以上ない好成績で、いうとこなしである。

 それぞれの選手が何故、日本代表に加わったかの事情など報道されていて、かれらの日本に対する思いが伝わってくると、たまらないほど、国際交流のすばらしさを感じる。

 各国の選手の特徴、国情などなど、ラグビーの世界大会は、多くの新しい情報をもたらしている。直接、体と体をぶつけるゲームだけに、うそのない真実を感じるのだろう。

 いま、日本と韓国の関係が、険悪で、どうにもこうにも収拾がつかない。どこへ落ち着くのかはわからないが、ラグビーのような戦いにならないのが、歯がゆい。ルールがはっきりせず、これでは、どうにもこうにも解決のしようがない。

 そういえば、韓国はラグビーをやらないのだろうか。ラグビー精神のような共通のものがあれば、もう少し、うまく両国の関係もほぐれるのではないかと思うのだが、「一度ぐらいの合意では・・・」などと公言する国の元首だから、これはとても簡単な話ではない。

 

 


若者よ、大丈夫かい?

2019年10月05日 22時56分12秒 | 思考試行

 人類は、ひょっとしたら滅亡するのではないか。このところの、世界情勢を眺めれば、だれしもそう感じるのではなかろうか。世界全体を考えて、国の政策を論じたり、地球環境について、真摯に話し合うという様子が、為政者にみられないから、その考え方は、至極当然であると思う。

 特にトランプ大統領の登場、および中国の指導者の様子、さらに、トランプ大統領の「家来」のような安倍首相などみていると、そう思わざるをえない。世界の指導者がこんなに視野狭く、考えが浅く、こんな連中が、世界のリーダーだということが、大きな要因である。

 ここから、世界が生き延びる展望を見出せるのだろうか。

 日本の場合、安部一強政治が展開され、今や、司法、立法、行政を事実上、安倍首相が支配した感じがある。みんな忖度している。安倍政権が官僚の人事権を一手に握ったことにより、すべては、彼の手中に落ちた。彼の意向に沿わないと、どんな人事的な報復をうけるかという恐怖に震えているのである。

 あとの手立ては、選挙で彼の勢力を削ぐほかないであるが、若者達が、安倍政権を支持しているというのだから、もはや、それも難しいように見られる。彼は、宿願の憲法9条を空文化して、いつでも、戦争のできる体制を作り、日本を「一人前の国とする」決意を固めている。

 世界はいよいよ混沌の世界に突入し、地球環境は、ますます恐るべき状態となる可能性が高くなってきた。台風の大型化、異常気象の連発、インフラは破壊され、ひとたび災害が勃発すれば、あとは、基本個人まかせであり、国や公共団体の対策は全くお粗末であり、無策に近い。災害が起きたときの、きめ細かな対策ができていない。

 それはそうだろう。もともと、「シモジモのこと」に関しては、よくしようという意欲、意識はないのであって、為政者の関心は、富裕層であり、支配層であり、かれらの階級の人々のためのものであって、シモジモは、そのおこぼれをやればいいのであって、適当に扱えばいいのである。シモジモには、最低限のものにしておけばいいという感覚なのである。

 要するにカッコウをつけておけばいいのである。そんな奴らに、若者たちはだまされてしまった。そして、アニメの世界の恋人に夢中なのである。

 


後期高齢者の決意

2019年10月02日 22時49分43秒 | 思考試行

  このところ、体調が不安定である。四六時中頭が、なんとなくはっきりしない。血流が悪いのか、突然に脳貧血の状態が起こる。そうなると、目の前が白くなり、気分が悪くなって、とても立ってはいられない。

 座り込んで、昼食に食べたものをもどす。

 こんなことが今年の一月、八月、そして九月とおきて、九月にはその前兆が三回ほどあった。

 そこで受診したところ、待ちに待たされ、予約の患者の最後の最後だろうか、ようやく順番がまわってきたものの、思いもかけぬ、違う展開となった。かつて何回もやった心臓の冠動脈がまた詰まってきたのではないかという推測だったのだが、当該医師は、それではないだろうという。

 そこで聞いたことのない検査をすることとなった。あえて、その「気分の悪かった状態を再現して」みる検査のようだ。検査自体に条件があって、医師の条件とか、スタッフの条件とか、ネットでみるとあまり気持ちのいい検査ではなさそうだ。

 それでも、この検査で、バランスが悪い状態の原因がわかるとなれば、これはありがたいことである。ずっと、薬の副作用と思ってきたのだが、症状の真相に近づけそうで、ある種の期待もある。

 いつの間にか、後期高齢者とよばれる年齢になり、これからさまざまな「病気」に襲われることとなる。絶対に、逆方向はないのであるからここは覚悟をきめて、流れるままに、身を任せていくほかない。

 考えれば、今更、なにをしなければならぬとか、心残りがあるわけでもない。生涯をおえるまでに、少しでも、あとに続く人々のためになる仕事が、できたならと思うだけである。思うようには、仕事ができない現状があるが、隙をみつけて、とにかく、平然と生きていく人々が増えることを期待して、なにごとかの仕事をしていきたい。

 今日、放送大学の修士選科生の授業料等を送金してきた。新しい、なにごとかの認識、世界観が自分にわきあがってくることを期待している。こんなことを考え、実行している間は、まだまだ、「若いのう」と自覚できる。

 生きていくということは、なにやかやあって、それが、予想とは少しずつ違って進む。だが、大きな方向としては、それほど突飛な出来事ではない。とはいいつつ、いつ何時大団円となるやもしれぬ。そういう実感が背景にある。


「契約」のこと

2019年09月28日 23時07分28秒 | 思考試行

 もう何年前になるか、甥がなにかの菌が脳に入り込んだということで、かなり危険だということがあった。連絡があって、母親と我ら夫婦が病院へ赴き、見舞ったことがある。

 まだ、小学生だった甥の様子に、一同愕然としたのであった。その時、小生は、自分の寿命を80歳として、それでいいから、甥を生かしてほしいと「神」に依頼した。

 甥は、無事生還した。以後、小生のなかで、「80歳の契約」が生き続けてきた。もし、神がいるなら、小生の寿命は、80歳ということになる。

 当時、本気であったから、契約は、今も有効であると思っている。もちろん、神はいないかもしれない、という考えもあって、実際どうなるかは、80歳にならないとわからない。

 件の甥は、当然ながら、そんなことは、気にもしていないし、こちらの存在など、まったく眼中にない。そんな「契約」があることもしらないだろう。ただ一度、法事かなんかの席で、そのことを一度だけ、言ったことがある。

 当時、父親の弟にあたる叔父が、笑いながら、「うまいこと言うなあ」と反応してくれたことを思い出す。その叔父は、もう何十年も前に、他界している。

 この叔父は、温厚でシベリアに抑留された経験があり、復員後、銀行員として定年退職、二度目の職場も勤め上げた。のち脳卒中となり、父親よりも先になくなった。

 善良そのものの人であり、人間として何らかの罰を受けなければならない人ではなかった。どこまでも、控えめであり、怒ったり、感情を激しく動かすということもなかった。

 その叔父がはっきりと小生の発言を聞いており、小生の「契約」は公のものとなっていると、小生は認識している。だが、そのことがあって以来、誰にも、そのことを話したことがない。話題になったこともない。

 こうして、文字にすることも初めてである。もう「契約」から月日が経過して、その期日が迫ってきている。いままで、心臓関係の病気を幾つも体験してきており、今や、時折、突然の脳貧血の症状がでたりして、妻に心配させたりしている。

 いつ、なにがあってもおかしくない「爆弾」をかかえている人物としての周囲の認識はある。

 ただ、本人の認識としては、それでも、そんなに期限が迫っているという認識はない。

 余命何年という具合のはっきりした身体的、物理的兆候はないのであるが、「契約」の存在が自分のなかでは、徐々に大きくなってきつつある。「残された期間」を悔いなく過ごすための、準備にかかりたいとおもっている。


マスコミ・政治家にひとこと

2019年09月27日 00時01分56秒 | 思考試行

  放送局の比較をするほど、全体をウオッチしているわけではないが、それでも、韓国との問題がとりあげられて、耳目を集めているときに、ある局は、料理であったり、健康問題であったり、問題にまっすぐ向かわない姿勢を見せているのをみると、これはどうなっているのかと思わざるをえない。

 こんな放送局には、視聴料なんて払いたくない。取材力を見せてほしいものだが、一貫して、この種の問題には関わりたくないという姿勢なのか、おおむね、問題になりそうなことにはふれないで、事なかれ主義を決め込んでいるふしがある。

 これでは、報道機関とは言えない。政権の顔色をみて、問題にならないこと、そういう姿勢に徹している風である。そこには、世の中をいかにして、良くするかとか、人々に有益な情報を、という気概がみられない。

 こんな報道機関で働いている、心ある人びとは、いつまでもつきあう気持ちにならないのではないか。たんにメシの種としての職として考えているのであれば、そのままでは、それすらも守り切れないのではないか。

 本当に、有益でなければ、そんなマスコミは、排除される運命になるだろうし、またそうでなければ、世の中の有益な存在とはなりえないのではないか。

 総務大臣は、かつて、放送業界に「恐喝」まがいの電波停止の権限をちらつかせたりした。今回の入閣にあたって、またぞろ、そんな雰囲気を漂わせている。

 かつては、なかなかの美人さんだったが、今や、その「笑顔」には、恐るべき魂胆が隠されているようで、何を言い出すかわからない不気味さを感じさせる。

 本当に世界の人々のため、弱者のためという考えがない人々の「政権」は、いろんな分野で、その本音がにじみだしてくる。

 その中で、注目の小泉進次郎氏は、アメリカでのパフォーマンスをみると、英語を使いこなし、従来の日本の政治家の枠をこえた可能性を見せているが、まだ、本当の自分の意見なり、方向性を示してはいない。これからだと思うが、ドラスティックな活躍をみせてくれるかどうか、いま少し、見ていきたい。

 言語明瞭、意味不明にならないようにしていただきたい。

 れいわ新選組の山本氏は、これからどう勢力をのばしていくか。かれの政治勢力がグンと伸びるようであれば、世の中捨てたものではないと思う。彼が、全国をまわり、着実に仲間を作り、「同志」集めることができるならば、それは素晴らしいことだと思う。

 かれこそ、政治家の良心であり、政治を志す人々の、まさに原点であると思える。次の衆議院選挙で、おおいに飛躍してほしい勢力である。

 


新しい一歩を踏み出すささやかな決心

2019年09月23日 00時05分51秒 | 思考試行

  迷ったが、結局、放送大学の修士課程の選科に登録した。まだ、学費は納めてないから、審査があって、通知がこないと正式決定ではないが、入試はないので、決定と言っていいのだろう。

 修士課程となると、科目によっても違うけれども、相当に難しいものがあるようだ。前提がいろいろあるのか、前提というのは、適当ではないが、要するに、専門家になるつもりもないものには、登録させないというような雰囲気のある科目もあるようで、インターネットで登録できると書いてあるのに、いくらトライしても、登録できない科目もあるようで、それならそうと、案内に書けばいいではないかと思ったりした。

 それで、件の科目は諦めて、もう少し、一般的な科目にすると、案の定すんなり登録できたのである。当初は、修士については、自分自身の、研究目的、研究対象が明確でなく、それほど、関心はなかったのだが、この登録手続きにトライするなかで、徐々に、やる気がなんとなくでてきた。

 締め切り当日に、インターネットで出願手続きをしたものだから、写真をどうしてもインターネットで送らざるをえず、このために、まずはスマホで撮影したものを、pcに落とし込まなければならないことになった。それを実現するために、前日ほぼ半日かけて、登録していた相談テレホンで、この方法をゲットした。

 そのうえで、ようやく、放送大学の出願フォームに写真を貼り付けて、出願手続きが完了したのである。不思議なことに、この新しい一歩のおかげで、活力がわいてきた。有難いことである。これで、より専門的な知的好奇心を生かして、何事かの仕事をなすことができるとすれば、うれしいことである。

 それで、従来なら、なんとなく、そうなんだ、と思ってきたことも、考え直して、調べなおして、おかしなことには、反論すべきであるとおもい始めている。

 財務官僚出身の元テレビコメンテーターが、国債残高を問題にし、子供、孫への借金だといい、これを解消しなければと、言い募って、増税しなければあるいは、社会保障を切り捨てなければとならないと持論を展開していたのだが、これが、どうも怪しい。

 日本は、一方、海外資産をたっぷり持っているという。また、借金があれば、資産もあるということではないのか、議論が偏っている気がする。しかも、この借金は、ほとんどが、日本国内から借りているという。海外からのものが少ないという。

 政治は、ごまかしなく、とにかく、弱者救済、世界全体の調和を考えなくてはならないと思う。おかしな現象、方向性について、指摘し是正するまっとうな意見を表明していきたいものである。

 監視社会がいいのか、人類がどのような社会を構築していくのか、ウソや脅しや、胡散臭い手練手管をこの世から一掃したいものである。

 


恨み骨髄の人々に

2019年09月18日 00時06分57秒 | 思考試行

 高齢者に韓国が嫌いだという人が多いという。若い人はそうでもないらしい。なぜなのだろうか。筆者が子供の頃、「チョウセンチョウセンバカスルナオナジカオシテドコチガウ」という文句を聞いたことがある。

 直接には聞いたことがないのに、記憶にはっきりと、差別されていることははっきり認識していた。在日韓国人、朝鮮人の人々は、身近にいなかったが、後年具体的にどのように差別されたかの話を聞く機会があって、それは、やはり理不尽であり、相当な我慢を強いられるものであったことは理解できる。

 もちろん、個人同士では、いがみあう理由なんてない。政治の世界の事情であって、それに関知しないならば、個人同士ではなにもいがみあう理由なんてないのである。

 そこで、歴史問題という教育問題が関係してくる。どのような教育をするか、それによって、国民感情が影響されるとすれば、話は変わる。

 韓国の人々の反応は、まさに、この教育の成果がばっちりと「成功」していて、外から見ていて、これは恨みに思って、思い続けるのだろう、と容易に想像できる。

 だとすれば、近づく相手ではない。何かあったら、仕返しを企んでいるとみざるを得ない。とすれば、いくら仲良しになったとしても、いつか突如として相手の態度が変わるのではないか、という疑念がすぐに持ち上がってくる。

 はたして、どうでもいいようなことで、突如、クレームをつけてきた。どうとでも対処できることで、ミスともいえないことだし、こちらのミスともいえるかどうかの問題に、血相変えて抗議してくる。当然ながら、すみやかに問題を解決しても「一筆書け!」などと、強くせまってくる。

 こちらの一筆など、なんの不都合もないから、経緯をそのまま書いて、詫びているかっこうのものを渡してやった。金銭的に相手に損害を与えたわけでもないので、それで話はおわった。

 しかし、そのことがあって以来、彼の本音を理解したつもりになった。彼は、今までのウップンをはらしに動き、小さな自己満足を得たようであった。

 ほどなく、そことの関係は、終了した。当方は、解放された気分であった。感情的な行き違いというのは、そうは簡単に消え去ることはないのだろうことを実感した。


戦争がまじかに迫っている

2019年09月16日 00時40分03秒 | 思考試行

 いよいよ激動の時代が始まったようだ。イギリスは、EUを抜けるといい、トランプ大統領のような首相が現れている。ブラジルの大統領も、トランプ氏と似ているようだし、世界各国をどうにかしようという広い視野を持つ、国家指導者はもはや皆無のようで、目立たない。

 中国は、覇権の拡大に、熱心であるが、世界各国の人民をいかにして幸せにしていくか、などとは、考えている風はない。

 環境問題など、真剣に取り組んでいる国はいかほどあるのだろうか。小泉進次郎環境大臣がうまれて、環境問題がどのように進展していくか、まさに期待を集めている。

 若くして、演説が上手で、ルックスも良く、将来の総理候補として、その仕事ぶりがどうなるかに注目されている。

 困難な課題を、見事にさばくならば、総理の声がかかると言われている。はたして、どんな仕事ぶりをみせてくれるだろうか。

 環境問題は、徐々に深刻さの度合いを深めており、真剣な地球環境の点検が大きな課題となっている。地球全体の話でもあり、従来の比較的負担の軽い大臣というわけにはいかない。

 進次郎氏だからこそ、期待が高まっており、その仕事ぶりが注目されるのだが、簡単な話ではない。組織をどう動かすか、どう成果を上げていくか、注目したい。

 韓国は、北と一体となりたいと、その本音を出してきている。国内的には、おそらく真反対の主張があって、文政権の思惑がすっぱりと実現するかどうかは、不明であるが、韓国国内のいずれの勢力も、日本に対する態度はそれほど変わりなく、韓国、日本の関係は今や最悪と言われている。

 そうなると、日本の事情も大きな変化をしようとする政治勢力の主張がますます声高く展開されるだろう。憲法9条は、あっという間に消え去ることとなる。

 人類はいつまでたっても、戦争から免れることはできないのだろうか。恐るべき時代の到来がまじかである。

 


政治のこと

2019年09月13日 00時05分12秒 | 思考試行

 安部政権の新内閣の陣容が明らかとなった。なんだか、政権内部の事情に滅茶苦茶詳しい評論家が、怪しい3人などと言うものだから、それが誰だか、気になったが、なんと件の評論家は、名指しして示してくれた。

 新内閣の閣僚の記者会見をみていると、その3人の記者との応答ぶりをみれば、それはすぐに分かった。

 所信を表明するのは、おそらく官僚が書いたと思われるペーパーを読めばいいのだから、ここらあたりは、まったく問題がないのであるが、記者の質問に移ると、途端に様子がおかしくなる。

 「勉強してこたえられるようにしたい」、とか、とにかく質問にまとものこたえることは不可能な状態である。あらかじめ、告知することにより、ショックを和らげようとした、評論家の意図は伝わった。

 記者の質問は、あまり深追いせず、破綻しないような気遣いがあったように思った。

 やるなら、徹底的に、質問者を特定しておいて、ペーパーを用意しておけばいいのではなかったか。

 ようするに、こういう場面では、当意即妙に、自分の言葉で、破綻なく喋れることが重要なことのようだ。だが、口舌だけで、いいのか。

 政治の世界は実際に効果を示さなければならないだろう。それが簡単にできるのであれば、いままで、できているはずなのに、できないのはなぜだということになる。

 「言語明瞭意味不明」の口舌の徒は、不要である。実行しないことには、政治家の発言の意味はない。

 話のできない政治家は、官僚の言うままに動くしかなく、なんの展望ももっていないのは明らかで、こういう人は、官僚にお願いするだけで、結局は主体的に何もできない。

 喋れる政治家は、自分で、何事かをやる意思があると見たいが、本当にそれをやるのかどうか、やりたいことを、はっきりいうのか、それをどうすすめようとするのか、そこをみなければならない。

 日本は、周辺の事情の変化により、軍備を合法化し、なんでもできる国になる可能性がでてきた。トランプの経済主義のおかげで、日本がいよいよ自前の軍隊をもち、日本の独自性をだすことができるチャンスを迎えるとみている向きがある。

 はたして、それがいいのかどうか、選択としては、アメリカ次第であるが、今の状況では日本が自立することは、武器を大量に買ってくれさえすれば、アメリカは反対しないのではないか。

 そうなれば、あわれな「アメリカの保護国」からの脱皮となる。その日本が何をやりだすかが問題となる。


れいわ新選組の躍進をこころから期待する。

2019年09月10日 14時04分06秒 | 思考試行

 韓国の慌ただしい動きに、日本のテレビは、どこも詳しい事情を伝えた。韓国の事情だが、実は、同時に、日本の政情を伝えることともなる。

 日本の官僚支配から、政権側に主導権が移ってきたのは、官僚からの人事権を政権が奪い取ったことにあると、テレビのモーニングショーでコメンテーターが話していた。

 まさに、その通り、安部一強勢力の実現は、官僚の人事権を奪い取り、政権のものにした強みなしには考えられない。官僚は、政権の顔色をうかがい、モリカケ問題は、官僚の忖度の渦にかき消されてしまった。効果は検察、裁判にまで及んでいる。

 この動きのなかで、はたして、官僚志望者が減ったという。政権の完全な子分というのは、やりがいがないということか。かつては、首相が答弁している最中に、官僚席から、そんなことは、承知していないぞなどと野次が飛んだというから、時代は変わるものである。

 学生はおとなしく、若者は保守化しているといわれる。この状態が長く続くとは思えないが、今の今は、ごまかしの政治の効果が続いていると言わざるを得ない。

 そこで出てきた、山本太郎氏の登場は、鮮烈である。弱者にまっすぐをむけた政策を真正面から展開している。彼の意気に感じる若者達がどれぐらい結集してくるか、準備がどのようになされるか、猪突猛進のようにみえて、実は、用意周到であればいいのだが。

 ただ、浮ついているわけではなく、現状を良く分析しているし、主張にブレがみられない。難しい理論のもとに動いているわけではない。現実を直視し、そこに政治の課題を見出しているから、柔軟でかつ、強靭である。

 弱者の方を候補者にして、自民党のお手盛りルールを活用して、見事に重度の障碍者の議員を誕生させた。たいへんな策士である。日本のゴマカシ政治の実態を白日のもとにさらし、国会議事堂を物理的にも、機能的にも変えた。

 選挙中は、マスコミは沈黙を決め込み、彼の演説を報道することはなかった。彼は実力で、仲間を集め、自力をつけてきて議席をとった。

 はにわの人形のような、きわめて日本的な素朴な感じのする青年であるが、かれこそ、まさに、日本的な本格的な、政治家である。

 スニーカーをはき、活動的なスタイルは、好感がもてる。多くのすばらしい仲間を集めて、魅力的な「新選組」を作ってほしいものだ。

 


日本はどういう選択をするのか

2019年09月07日 12時45分24秒 | 思考試行

  韓国の謎が解けつつあるような気がする。なんで、そんなにケッタイナ反応ばかりするのだろうか。理屈の通らないやり取りに唖然とするばかりであった。

 与党も野党も、反日ということでは一致するとか、不買運動に走るとか、観光客の激減だとか、反日の姿勢さえしておれば、韓国国内では安泰だというのは、植民地にされた経験がよほど癪に障るのだろう。

 その後は、あることないこと、日本に関しては、滅茶苦茶な言い分であっても、ヨシとして、とんでもないフェイクニュースも流す。天皇のルーツは韓国だなどと言い出す。

 結局は、同じ民族が一つの国に戻りたいの一心であるのかもしれない。そうだとすれば、北よりでいくのか、南よりなのかは、どちらでもよくて、とにかく一つになるのだと、文政権は、北よりで可能と考えているみたいだが、紆余曲折はあるとしても、現政権がアメリカとも手を切る覚悟であれば、トランプ大統領はさほど日韓関係について関心があるわけでもなく、金のかかることからは手を引くつもりのようだから、意外に簡単に統一朝鮮が実現するのかもしれない。

 そうなれば、日本はどうするのか。トランプ大統領は、日本がアメリカの防波堤になるのであれば、安保破棄もかまわないと思っているようだし、そうなると、日本の保守本流は、自前の独立国になるチャンスと張り切るだろう。

 憲法9条はやめて、核武装もして、一人前の国に「ならざるを得ない」というだろう。北方領土についても、姿勢が変わるかもしれない。そもそも第二次世界大戦に、どうして参加していったのか、歴史教育の再構築をするだろう。

 他国に侵略はしないまでも、いままで寝ていた、大日本帝国が復活する可能性がでてくる。もはやジッとしている場合ではない。

 韓国の状況から、日本の状況も大いに変化していく可能性がある。アメリカの「属国」として、保護されてきたが、(アメリカは保護しているつもりはないだろうが)日本もようやく国として、どういう態度で世界に臨んでいくのか、ボーっとして生きてる場合ではなくなってきたようだ。

 

 


どうでもいいコレクション

2019年09月05日 21時11分41秒 | 思考試行

 時間は過ぎて、もはや、後期高齢者となってしまった。時間をかければ、達成できることも徐々に、実現してくる。とにかく、忍耐強くしていれば、成果らしきものが上がってくる。一度にはできないけれども、積み重ねると可能となることである。

 小生は、長年放送大学の学生であった。コツコツと単位認定テストを受けて、単位を少しずつ獲得していった。とても、歯が立たないような科目であっても、公表されている過去問を検討するなどして、わからないながらも、試験は合格ということもあった。

 概ね、理系科目について、その傾向が高かった。わからないながらも、単位は取れてしまったこともあった。

 平均すれば、結局のところ、自分の教養程度が格段に上がったのかと問われれば、とてもそうはいえない。それでも、積み重ねた、努力は馬鹿にはできないもので、いつの間にか、幅広い知識を与えてもらったような気もする。

 計算すれば、学費も随分使った。そんなに自己投資をしてきたのかと、あきれるが、年月をかけているだけに、単年度にしてみれば大したことではない。

 もう、老境も後半にいたり、いまさら何かを始めるという気力も能力もないけれども、それでも、放送大学の全コースの学位をとったことは、自分なりに、評価してやりたいと思う。 

 誰にも、そんなことは言っていないから、話題になることもなく、家内もあまり関心がない。それが心地いい。放送大学からも、その件に関して、特段の通知もなく、卒業式にも欠席の返事をしたので、いつものように学位記が、郵送で送られてくるだけだろう。

 それでいいと思う。学位記が7セットそろうことになる。これだけで、そうとうなスペースをとる。いつか邪魔になって捨てられる運命が目に見えているが、とにかく、全コース分の学位記を一旦は揃えて眺めてみたいとは思う。しょうもないコレクションである。


韓国徴用工問題の共産党の論理は正しいのだろうか

2019年09月02日 23時10分03秒 | 思考試行

 真面目だということは、認めるとしても、間違うこともあるかもしれない。そして、それは、政権を担っている者は、すべてにおいて、自らの見識をもって、政務にあたることになる。

 間違っていようと、間違っていないとして、自らの信念によって、行動するほかないときがあるかもしれない。それは、しかしながら、やってはならないことである。

 韓国政府との関係において、日本の安倍政権がとってきた道は、間違っていたのだろうか。経緯が徐々に明らかになるにつれ、韓国政府の論理が破綻しているのではないだろうかと思わざるを得ない。それは、過去からのいきさつからの強い信念があって、日本をどうしても、陥れるために、どうあっても成し遂げるという韓国側の強い意志を感じる。

 また、それだけの事情があったのだろう。どうあっても、日本を凹まし、参ったといわせたい、いつの日か、日本を凌駕したい、強い意志が感じられる。だが、論理を無視すれば、それは無理筋である。一時は、その言い分が通るようなことがあったとしても、その論理に筋が明らかになれば、それは通らない。

 だが、日本共産党は、韓国の言い分を認める論調である。個人の請求権は消滅していない、から、韓国の言い分を認めるという論理である。個人の請求権が消えていないことは、国会答弁等で明らかであるという。

 韓国と日本との協定において、その交渉過程で、個人の請求権についても問題になったとされている。韓国サイドが、それも含めて、金額に含めるという合意があったと言われている。そんな合意が、有効かどうかといることであるが、国と国との話し合いにおいて、それは充分ありうることではないか。あるいは、公然とは言えなかったのかもしれない。だが、そういう合意があったのか、なかったのか、そこが問題である。

 共産党は、その件については、なかったように言っている。したがって、個人の慰謝料請求権は残っており、未解決の問題だと主張するのであろう。

 ここは、交渉経過が、すべて公表されているかどうかが問題であるが、元日本の韓国大使が発言していることに耳を傾けざるを得ない。だとすれば、この交渉経過を明らかにしないとする立場からは、日本が持ち出すことはできないかもしれず、だが、韓国側も、この問題には、この交渉経過が明らかにされるべきである。

 今のままでは、問題が蒸し返しにしかみえず、いつまでたっても、解決しない構造は、どこかで断ち切られなければならない。共産党は、事実を詳しく調べ、安直に公表された事情からの判断はさけるべきではないか。