空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

人は人、吾は吾、でいいだろうか

2019年10月12日 21時38分57秒 | 思考試行

 他人に左右されるようでは、いけないのだが、社会のなかで、個人は概ね,他人に影響されていて、個人は、自主的に、そんな風に動いている。

 人事権を握った政権は、官僚組織ばかりか、検察、裁判所、マスコミにまでその影響を広げている。

 安倍政権のように長期化すると、その傾向は、ますます顕著となり、少々の不具合があっても、政権の意向どおりに動くと、個人は心を決め、周辺の動きにそって、流れていこうとする傾向が強くなる。

 それぞれの人が、自分と家族とのことを考えた場合、政権の意向に反するような行動は自ら自制し、政権が望むであろう方向を選択するのである。あたかも、自分の意見がそうであるようにして。

 安部首相の意向を忖度するようになる傾向が普通になると、安倍首相は、論理はどうでもよくて、野党の言うことなどまともにとりあげようともしない。

 論点を、すりかえたり、外したり、国会議論をみても、論理的でなくてもいいから、余裕があるような態度を貫き、議論らしいカッコウをすることで乗り切ろうとする。論議にならないようにするのが、彼の作戦である。

 野党は、国会論議でどのように攻勢をかけるか、であるが、本当に弱者の側に向いているかどうかは、実は定かではない。姿勢がもう一つピリッとしないからである。野党は、ピシッと弱者の側に立つべきだと思うのだが。

 政権側は、支配層の意向によりそい、富裕層を優遇し続ける。どうとでも、言い抜け、国会の議論を切り抜ける。

 そして基本方向は、弱者を食いものとし、どうしょうもない、馬鹿どもとして扱う。本音のところ、弱者を救うのだという姿勢は、毛頭ない。

 弱者の側は、自分が悪いと思い込み、落ち込み、静かに自身の小さな幸せを見つけて、自分をごまかし、収奪を許し、この世を去っていく。健康を害せば、離婚し家族バラバラとなり、孤独に生を終えるしかない。

 弱者が寄り添い、助け合って、楽しく生涯を終えることができないものであろうか。それには、為政者の政策が必要である。意図的な配慮があればそれは可能であると思う。そんな社会を構築できるかどうかは、為政者がそうするかどうかを考えているかどうかで決まる。

 考えもしないことは、実現なんてするわけもない。

 


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