デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

内村剛介ロングインタビュー

2009-08-04 23:20:22 | 買った本・読んだ本
書名 「内村剛介ロングインタビュー-生き急ぎ、感じせく-私の二十世紀」
著者 内村剛介、編集・構成・陶山幾朗 
今年1月に亡くなった内村剛介、とても気になる人である。何冊も本も持っている。でも気になるのだが、苦手な人なのだ。ストレートに対象に迫るのではなく、らせん状に迫ると言うか、ねっちこく本質に近づくその姿勢が、たぶん合わないのだろう。恥ずかしい話しなのだが、だからまともに読了した本は一冊もないのである。でも今回はインタビューだから、大丈夫かなと思って読み始めた、でもやはり手ごわかった。これはインタビュアーの陶山幾朗のナビゲーションが良かったのかもしれないが、内村の言葉がずっしりと、そしてしっかりと自分のこのヤワな頭に入り込んでくるようになった。栃木の片田舎に生まれた内村が、満洲へ渡り、そこで文学と出会。そして哈爾浜学院という場に入りこむことで大きな転機を迎える。そして敗戦、逮捕、スパイとしてラーゲリへ11年ぶち込まれる。ここで内村剛介というひとりのロシア文学者、思想家の原型がかたちづくられたといってもいいだろう。生い立ちから人生をふり返るような構成になっていることで、内村の思想家としての遍歴を辿ることができたことが大きいかもしれないが、非常に刺激を受けた本である。
ロシアをめぐる一世紀、そして日本とロシアの一世紀、まさに流転の一世紀だった。日露戦争、ロシア革命、ノモンハン事件、満洲崩壊、スターリン粛清、シベリア抑留、雪解け、ソルジェニツィン登場、そしてソ連解体。思想性を問われる一世紀でもあったと思う。マルクス、レーニン、トロツキー、スターリンの言説に振りまわされた知識人(と呼ばれる人は)多いだろう。内村はこうした歴史にしっかりと関わりながら、ぶれていない。それは彼が確実にロシアの精神性を自分のものとして、その本質を見抜くことができたからだと思う。その出発点が哈爾浜学院だった。ここで彼が教わった染谷茂をはじめとした教授陣に、たたき込まれたロシア語、ここから彼のロシア魂を共有し、批判する眼差しが生まれたのだろう。印象的だったのは、美しいという言葉の反意語は何かという染谷の問いかけを切り口に、これがベスオブラーズヌィだったということから、オーブラズというロシア精神の源に迫るところ、さらにプラトノイというところから原ロシアに迫るところである。言葉の大事さを知っているからこそ、それを突き詰めるロゴスへの不信、何故オーブラスなのか、面というか塊で、ロシア、そして思想を見る、そこが刺激的だった。
内村剛介が何故自分には苦手だったかということもよくわかった。自分はマヤコフスキイや、メイエルホリドを通じてロシア・アヴァンギャルドの熱く語るスタイルが好きだ、でも内村はそれに対して冷やかな視線を送る。それはそうだろう、そんなもんじゃない、ロシアの歴史、文化には、勢いだけではない、ナロードの魂の塊が大地に眠っている、エセーニンの詩が背景とするファークロアを自分のものとしようとするなかしか見れないものがある、それを自分のものとしようとする内村の姿勢。その中にロシアをめぐる一世紀が象徴するような、前へ前へということが通じなくなった、フォークロア的な世界観の大事さを教えてくれる、そんな気がした。これは内村剛介の遺言である、だから読み、そして伝えなくてはならない。これは伝えなくてはならない、フォークロアなのだから・・・
満足度 ★★★★
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ボリショイサーカスの一日

2009-08-04 11:46:26 | お仕事日誌
11時に名古屋から上京された漂流民の会の会員の方とお目にかかる。カンパとして切手をたくさんいただく。ありがたいことである。会社に戻りメールをチェックすると、サハからメール。だんだん波長が合ってきたような気がする。慌ただしく会社を出て、関内へ。途中品川駅で品川丼を食べる。13時半横浜文体でアリシェールからチケットをもらう。ここでサーカスを見るのも久しぶり。二階正面の前から2番目という席。
公演後アリシェール夫妻を連れて、野毛まで。花火も見たし、ランドマークも行ったというので、今日は万里の餃子を食べてもらうことにした。17時前だったのだが、特別に2階に入れてもらう。餃子、豚耳、蒸し鶏、やきそばといういつものメニューだったのだが、ふたりともフクースナ(美味しい)を連発して食べる。ここで福田さんが登場、特別にホイコーローを出してくれる。これも美味しいと大喜び。中国に行ったことがあるふたりだが、こんな美味しい中華料理は中国でも食べたことがないと絶賛。福田さんも喜んで、この前食べれなかった鶏煮込みそばを追加で注文。しかし我々の胃にすでにスペースなし。食べきれないのが悔しい。ふたりが福田さんに美味しかったですと挨拶して、帰る。万里の前に床屋を見つけてアリシェールがカットしたいというので、付き合う。閉店時間すぎていたのだが、特別にカットしてもらった。
自分もこれからまたあっちこっちということで、今回は会うのが最後になるので、握手して別れる。
20時すぎに帰宅。

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