日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
群馬・榛名湖畔の春
先日(5月10日)、群馬・榛名湖湖畔の春を見てきました
群馬・倉渕の方から、県道R406~県道R48と榛名山麓をぐるっと廻って、原町・郷原方向から榛名湖を目指して上ってきました
倉渕辺りでは、八重桜がちょうど見ごろに咲いていました
倉渕・烏川(=利根川支流)袂でみた八重桜 (向かいの山名は分かりませんが、草津方向です)
榛名山を上るにつれ、次第に緑が萌黄色に変化し、春がやっと来た様子です
榛名山頂にはカルデラ湖である榛名湖と中央火口丘の榛名富士(標高1390.3m)があります
榛名湖畔春景 ( 向かい正面は、榛名富士 )
画像左端分かりにくいですが、山桜が咲いていました
赤みのついた若芽の樹は、モミジです
秋になると、このモミジは真っ赤に紅葉しとても見事です
榛名湖畔春景(2)(手前の緑葉は雪笹の芽だしです)
榛名・沼の原からみた相馬山(標高:1411m)
雪笹は大分頭をもたげてきていました (上左画像)
間もなく周りのモミジが若芽から緑葉に変わる頃可愛い花が見られます
「沼の原」の中に見られるこんもりした低木は、レンゲツツジです・・・まだまだ花咲く気配はありません (上右画像)
湖畔周囲には周回道路が通っています
道路の一画に沢山のラッパスイセンが植えられたところがあり、丁度満開に咲いているのが見られました
写真は撮りませんでしたが、山桜がちょうど満開でした
榛名を訪ねた次の日、北海道で桜が満開だと桜情報が報道されていました
榛名湖畔の季節感が、ちょうど北海道の今季節なんだと知り、何となく面白さを覚えました
群馬・藤岡の「フジの花咲く丘」に行って、「クマバチ」と一緒に花を愛でました
この間の日曜日(4月27日)、 群馬・藤岡の「藤祭り」 に行ってきました
今年(平成26年)の「第16回藤岡藤まつり」は、4月26日~5月11日まで開かれます
車で買い物のため、産直目指してR254を走っていたら、「藤祭り」の旗指し物を見かけ行きたくなりハンドル を切りました
まだ開かれたばかりというのに、駐車場が随分混雑し、やっとの思いで見てきました・・・すごい人気です
「藤祭り」は、「フジの咲く丘」の藤の花を愛でるお祭りです
「フジの咲く丘」入口です
「フジの咲く丘」にはフジの花棚の回廊があります
「フジの咲く丘」は公園になっており、2.3haあるという園内では世界45種類の藤が美しさを競い、特に250mにおよぶ藤棚が見どころとなります
「 フジの咲く丘」入口のふじ棚は咲き始めていました (向かって右は、資料館「ふじふれあい館」になっています)
祭りの間、各種作品展をはじめ、コンサートや野外ステージのほか、地元物産品やふじの即売会などが行われ、訪ねたこの日も資料館「ふじふれあい館」ではフジの花の押し花作品展や映像、写真、レプリカ、香りと、さまざまな形で藤とふれあうことができました
祭りの様子は、こんな感じですが、肝心な目的の藤はまだ咲き出したばかり…見ごろはまだまだこれからでした
45種類ものフジが植えられているという「ふじ見本園」です (向かって正面は、カリヨン(=鐘楼建築物に演奏用の鐘を設置したもの)です)
「ふじ見本園」の藤花は、種類によって、開花状況がずいぶん異なっていました
花の開いているフジは、とってもいい香りです
フジの花の香りを訪ねて、沢山の「熊蜂」が、羽音高く飛び回っていました
ちょっと薀蓄です
「クマバチ(熊蜂)」は、ミツバチ科クマバチ属に属する昆虫の総称で、大型のハナバチの仲間です
外観は、体長2cmを超えずんぐりした体形で、翅も含め全身が黒ずくめ、とてもごつくみえますが、胸部には黄色い細かな毛が襟巻状におしゃれっぽく生えよく目立ちます
体が大きく羽音も大きいので、飛んでくると怖いくらいですが、食性は、他のハナバチ同様、花蜜・花粉が主食です
フジの仲間の花は「クマバチ」に特に好まれ、花の構造がとても固い構造で蜜を守っており、「クマバチ」以外の虫はなかなか蜜が吸えません
フジは「クマバチ」を花粉媒介のパートナーとして特に選んでいると考えられます
こうした、「クマバチ」に特に花粉媒介を委ねている花は「クマバチ媒花」と呼ばれているそうで、フジ以外にはトケイソウ科のパッションフルーツなどの熱帯果樹などがあるらしいのです
パッションフルーツを育ててみたいなと思っていますが、「クマバチ」が来ないと受精しないとなるとちょっとびびります
最後に「クマバチ」は性質はきわめて温厚で、ひたすら花を求めて飛び回り、人間にはほとんど関心を示さないそうですから、一緒にフジ花鑑賞しても大丈夫だそうです…ちょびっと安心しました
「クマバチ」君よろしくね!!
群馬・子持村・白井宿の八重桜が満開です
先日、群馬・渋川にある「白井宿」に、八重桜を見に行ってきました
渋川市の国道17号沿いにある「道の駅・こもち」のすぐ裏手は、「白井宿」と呼ばれ市場街道が通っています
久しぶりに訪れた 渋川・白井宿の八重桜 は、この街道に沿って100本以上も植えられ、訪ねたこの日満開になって咲き誇っていました
「道の駅・こもち」に車を停め、物産館で買い物しながら、八重桜を堪能してきました
道の駅・こもちの「ふるさと物産館」 前の八重桜は満開でした
この辺り「白井」には、江戸時代三国街道が通り、更に利根・吾妻郡地方と中毛地方の物資交流地でした
幕政の中で置かれた白井藩の中心地であったことから、廃藩となった後も「六斎市」として月2日の「市」が立って栄えてきたそうです
ですから本来は「白井」は城下町であり、宿場町ではなかったようですが、街道沿いであることと「市」の繁栄で、「宿」と呼ばれたようです
「道の駅・こもち」の有り様はそんな現代版「市」の名残なのかもしれません
物産館の裏手に回ると、街道につながっています
何種類もの八重桜が、枝も重たげに花をつけて咲いていました
八重桜とは、八重咲きになるサクラの総称で、特定の品種の名前ではありませんが、八重桜として結構多くの種類があります
花は桜よりも、咲き始めが2週間ほど遅い4月中旬過ぎから5月初め位まで見られます
花の形が、小型ながら「牡丹」にも負けないくらいに豪華な咲き方であるため、「牡丹桜」とも呼ばれています
また野生の山桜に対し、人里に見られると云う事から、「里桜(さとさくら)」とも言われます
色々な花容、色合いの八重桜が、街道中央を流れる疎水を挟んで、満開の様子を見てください
「関山(かんざん)」、「一葉(いちよう)」、「普賢象(ふげんぞう)」、「鬱金(うこん)」 などの種類名がよく知られており、樹に名札がかかっていましたが、見事な咲き振りに、どの花がどの名なのかチェックするのを忘れて帰ってきてしまいました
それにしても、息をのむほどの綺麗さでした
八重咲きとは、花びらが重なった状態で咲くことなので、当然の事ながら通常の一重咲きの桜よりも色が濃く美しいです
重なった状態の表現に、八重以外に七重、九重という言葉が有りますが、何故八重桜と呼んだのでしょう
浅学な私にはよくわかりませんが、百人一首の中の歌を思いだしました
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな (伊勢大輔) 『詞花集』
この歌は「一条院の御時、奈良の八重桜を、人の奉りて侍りけるを、そのおり、御前に侍りければ、その花をたまひて(題材にして)、「歌詠め」と仰せ言ありければ(読める)」
とまえがきがあるそうで、即ち作者の伊勢が、奈良から宮中に届けられた八重桜の献上品を、宮中で受け取る役に抜擢され、その時、藤原道長から急に即興で歌を詠めと言われ、返したのがこの歌なのだそうです
「いにしえの古都、奈良の都の八重桜が、九重の宮中で見事に咲き誇っていますよ」 すなわち、「かつての奈良の栄華をしのばせる豪勢な八重桜だけど、今の帝の御世はさらにいっそう美しく咲き誇っているようだよ」と花に託して、この時の宮中の栄華ぶりをほめたたえたとされています
この中の【九重に】とは、「宮中」の意味で、昔中国で王宮を九重の門で囲ったことからこう言われていたのだそうです
これを見ると、八重という言葉はそれ以前に使い分けされていたのですね
「七重八重」の意味は、幾重にも重なっていることで、「そのもの」をあらわしています
となれば、これぞ桜そのものと云いたく、「七重八重桜」と呼ぶところから、八重桜と呼ぶようになったのかなと我流解釈をしてみましたが、真実や如何に!?
七重八重といえば、この歌を思いだします
「 七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞあやしき 」 後拾遺集
桜全体の花言葉は、「 優れた美人 」、「 純潔 」、「 精神美 」、「 淡泊 」 です
八重桜の花言葉は、 「豊かな教養」、「 善良な教育 」、「 しとやか 」、「 理知に富んだ教育 」 です
桜の花は、どれも見た目の美しさよりも内面の美しさをみせているのだと、花言葉は教えてくれました
群馬・榛名山麓の春…「桜」その後・カタクリも見つけました
一週間ほど前に、群馬・榛名山麓の春 を見て回りました
先だって訪ねた時の「ソメイヨシノ」の花は、「渋川総合運動公園」では3~4分咲きでしたが、一昨日思いだして、再び榛名山麓に春を訪ねてきました
群馬・「渋川総合運動公園」は、榛名山の東側・標高は600mの正面に赤城山を一望できる山麓公園で、1976年4月に陸上競技場が設置され、以降施設が順次拡大され、今は陸上競技場、野球場、体育館、運動広場など諸施設が出来ています
野球場裏手周囲は、桜山ができており、花の回廊ができていました
風が吹くたびに、ソメイヨシノの花弁が舞い散っていました
公園東側は遊歩道になって、散策が楽しめます
モミジの吹き出しの中、大きな石の石像物があります
この巨大石造のお題は、『入・人』 です (向かって奥の白花は、コブシ)
丁度、枝垂れサクラが満開でした (向かって正面:白く見えるのは山桜です)
公園で最も伊香保温泉よりの高台で、ソメイヨシノは満開でした
向かって正面の「水沢山」は、萌え始めていました
カタクリの花が近くで咲いていましたので、場所は内緒で紹介します
急な斜面の上なので、望遠で撮りましたが、まあまあでよかった
桜が咲き、モミジの若芽が 吹き出している木々の足元で、”カタクリ”がさいているのは、はるはまだまだこれからでした
カメラマン達が崖の上に上がって撮影していましたが、気をつけて・・・
ここには沢山は生えていないので、あまり踏み荒らさないでね
榛名山麓の桜・・・「榛東・桜の郷」紹介
桜の花がどんどん山を登っています
標高でこの辺りはどのくらいあるのだろう・桜の花の咲き方で、勝手に標高を推測すると、400~500mくらいでしょうか!?・・・相当いい加減ですけど
群馬・榛名山麓には、ここ何年か毎年のように桜を見に来るので、何となく咲く順番が分かってきました
近隣の前橋、高崎の市街ではどの桜の花もすっかり散って、葉桜です…かろうじて八重桜が満開に咲き、枝垂れサクラが少し花を残す状況です
次第に山手の方に上っていくと、遅咲きかもしれぬ桜が咲き出し春爛漫・とても綺麗です
というような事を考えながら、数日前、群馬榛東村から榛名山に上る道沿いにある「榛東・桜の郷」に何気に車を走らせて来ました
「榛東・桜の郷」というのは、実の名前は知りませんし、私が勝手にそう思ったって訳でもありません
というのも、地図にも載っておらず、手作り・手書きの看板が立っているだけなのです
10年近く前からこつこつ地元の人たちが、どうやら開発して観光地にしようとしているようです
ここ2年くらい前から、植えられた桜の樹が大きくなって花が見事に咲くようになってきました
山の斜面に植えられた薄赤色の八重桜がとても綺麗です
ちょっと見、桃の花にも似た八重桜の咲く様子は、桃源郷を思わせました
ピンボケの上、盗った場所が悪く、ちょっと見・ポツンポツンと咲いているようですが、近づくとなかなかの本数なのですよ
上の画像で、手前の低木はツツジの木です・・・立っている斜面は、道を挟んでツツジの群落になっていました
「桜の郷」の背景になっている一方の岡から、高崎の方を見たものです ( 向かって右は山桜です…咲き始めていました )
八重桜の品種は沢山あるのでしょうが、とても柔らかな色合いで桜湯で飲んだらおいしそうでした
「桜の郷」は、榛名山系の一つ吾妻山の山懐なのかもしれません (向かって正面に展望台・東屋が見えます)
地図を開いてみてみたら、富士見峠という名前を見つけました
もう少し調べてみますが、この時期ハイキングに絶好の感じです
これから桜の名所になるかもしれません
群馬・榛名山麓の「桜」・・・今!!
先だって(4月5日)桜前線は、福島を超えたと報道されていました
『そうだ!! 山の方はどこまで(桜)は上がったのかな!?』 そんな思いで、思い立って榛名山麓に、「桜」探索に行ってきました
榛名の山に向かって車を進めるに従い、桜の花の様子が随分変わっていました
国道17号沿いでの桜はすっかり葉桜になってきていたのが、榛名・相馬が原自衛隊は丁度満開、少し散り始めようとしています
更に車を進めると、段々とつぼみが増えているようでした
船尾の近くのバーベキュー公園の「桜」は、陽だまりのせいかちょうど見ごろになっていました
この公園は渋川の灌漑用水源地の管理用地のようで、榛名山系の一つ「水沢山」の麓 に造られています
「水沢山」を背にパチリ!!しました
7~8分咲きいやもうすぐ満開の桜です
バーべキュウ公園から、水沢観音を過ぎて 「渋川運動公園」 に行ってきました
この間の標高差は一体何メートルあるのでしょう
10mは違っているのでしょうか!?
なのに随分桜の花の咲き方が違っていました
桜並み木のある展望道路は、お花見客が桜を楽しんでいました
陽当たりと桜の種類もあるのでしょうか!?・若干の開き方の差はありますが、3~5分咲きといったところです
展望道路から、渋川方面を眺めました (向かいの山は赤城山です 運動公園下の方には桜の花が見えています)
ちょっと肌寒いこの日の公園でしたが、樹の下でカンビールで飲み会をしているグループがいくつかありました
この日は土曜の午後のせいか家族連れも散策したり、二人連れも花を眺めたりと思い思いの一日のようです
公園の北側は伊香保温泉に近いです
そのせいか標高的に更に数m高いのかもしれません
ツボミがぐっと増えました
2~3分咲きといったところでしょうか!?
向かいの山は「水沢山」です
この辺りが満開になるのはあと少しです
カタクリの花が終わりそう・・・急いで見てきました
先日群馬・富岡の「妙義神社」の桜の見た帰り、群馬・高崎・小串にある「カタクリの里」に寄ってきました
久しぶりです
訪ねた数日前、テレビで綺麗に咲いているのを見ていました
あれから日も経ち、ちょっと時期が遅いけど…と思いながら、R254を走りながら思いつきにハンドルを切りました
小串・「カタクリの里」は、地元小学生や住民の熱心な保護活動をきっかけに、平成9年度から行政による整備が始まり、観光路などができて、現在は 国道沿いの群生地に約5万株のカタクリの花が群生しています
小串・「カタクリの里」のカタクリは、東側と西側の小山に分かれる二つの北斜面に自生しています
西側小山に群生するカタクリ (右端の赤いのはツバキの花です)
先ごろの記録的な大雪の影響でどんな具合かと心配していたのですが、例年に変わらず沢山咲いているのが見られました
但しちょっと訪ねた時期が遅かった為、花の勢いがあまりなくなっていました…本来の花期は3月下旬から4月上旬だと案内板にありました
東側小山に咲くカタクリ (覆っている枝はツバキです)
ツバキの枝間からの木漏れ陽が、やさしくカタクリを包んでいました
カタクリは、百合の仲間で、花はピンク色の花が下向きに咲き、陽のあたるときに開き、くもった寒い日や雨の日は、開花しにくくなります
カタクリの花は、種子が地中に入ってから平均7~8年目でようやく2枚の葉を出して開花します
樹冠が緑の葉に覆われる前の(3、4月の)わずかな日光を利用して花を咲かせ、花のあと、5月頃に葉も枯れたあとはずっと次の年の3月頃まで、球根のまま休眠します
即ち、1年のうちの10ヶ月の間は地中で過ごすことになるので、「スプリング・エフェメラル ”春のはかない命”」や「エフェメラルプラント ”短命植物”」と呼ばれています
でも見方によっては、じっくり命を蓄え花を咲かせる逞しい植物ともいえます
どの花も尖った花弁が反り返った形をしていました
花が咲き進むとこのような形になるようです・・・このかたち船の「錨」のようにみえます
ちょっぴり薀蓄(うんちく)
昔は、「カタクリ粉」は勿論カタクリの球根から採っていましたが、今は8割がじゃがいも、2割がさつまいものでんぷんからつくられています
ですから、よく料理に使われる「カタクリ粉」は表示がちょっとおかしいのではと思ってしまいます
因みに本物の「カタクリ粉」は薬用となり、今は薬局でうられているそうです
漢方薬としての本物のカタクリは、病後の滋養用に使われ、江戸時代の本には「病人飲食が進みがたく至りて、危篤の症になると、カタクリという葛粉のごとくなるものを、湯にたてて飲ましむ」と書かれたそうです
カタクリの花をアップして、気づいたのですが、雌しべの先が花のように開いています
受粉しやすいように開いているようですが、花が若い時は雌しべの先は白く虫が集まりやすくなっているようです
雌しべがとても小さな花のようです
群馬・妙義山に、「桜」を見に行ってきました・・・見ごろでした
桜前線は、今どこまで北上したのでしょう
昨日風が大分吹きました
この辺りのソメイヨシノは、花吹雪で大分「葉桜」になってきました
一昨日思い立って、群馬・富岡の妙義山に「桜」の様子を見に行ってきました
碓氷峠を背にした安中市の辺りの「桜」は昨日紹介した高崎市とほぼ同じで満開で、散りはじめていました
上毛三山の一つ妙義山の東麓に鎮座し、妙義山信仰の中心になっている「妙義神社」 の桜は、群馬県内の「桜の銘木」として知られています
道の駅・みょうぎに、駐車し、参道を上っていきました
参道は樹齢200年余りのシダレ桜が、ちょうど見ごろでした
「妙義神社」境内には約25本の桜があり、中でも参道にある2本のシダレザクラは老木ながらも見事な花を咲かせていました
桜見物の観光客が、バスに乗ってきていました
妙義神社・総門両脇のしだれ桜
総門を潜って、中境内の大枝垂れサクラです 向かって奥は青銅大鳥居 その奥は本殿につながります
「妙義神社」の国指定重要文化財・「本社・唐門」については、平成19年9月時の台風により本殿の裏山が崩れ、治山工事及び文化財修復工事のため、長期にわたり見学できませんでしたが、ようやく平成24年12月8日より参拝可能となりました
拝殿の見事な造りを見てください
見事な枝垂れサクラに見とれ、本殿のおごそかさに手を合わせて帰ってきました
群馬・高崎城址のお堀の桜が、満開でした
どうも遅めの情報ですみません
三寒四温の「寒」の字が、すっかりなくなった感じの日が続くようになりました
百花繚乱の季節になってきた感じです
今の季節どっちに向かって 走っても、桜の花が、ここかしこに咲き誇っています
一昨日の群馬・高崎のお堀の桜が、満開でした
高崎には、箕輪城に封ぜられた井伊直政が家康の命で、慶長3年(1598年)に中山道と三国街道の分岐点にあたる高崎に城を構えました
高崎城は烏川に沿って築城された輪郭梯郭複合式の平城だったようですが、明治6年(1873年)廃城令により存城となり、以後建造物は移築もしくは破却されました
現在では城址の本丸付近は完全に埋立てられて官庁街となっていますが、外堀と堀に沿った土塁の大半が城址公園として残されています
高崎城址公園は、JR高崎駅から徒歩約10分くらいのところにあります
車 では、関越道高崎ICまたは前橋ICから約20分 、上信越道藤岡ICまたは吉井ICから国道17号経由だと約20~30分です
土塁に上がり公園内を見ました
土塁の上は散策路になっており、桜花が堪能できました
松の樹の古木やモミジの木々も混じって、四季折々が楽しめそうです
お堀のたたずまいはすっかり高崎の街並みにマッチしています
春の陽射しを浴び、鳩君も桜鑑賞でした・・・私が気になり、ちょっと邪魔しちゃったようですが
花冷えで散るのがちょっと一休み…でしたが、今日あたりは花びらが散って、花筏の風景に変わるのが見れそうです
群馬・岩鼻代官陣屋跡の桜が満開です・・・上野国桜情報 (@^^)/~~~
昨日載せたかったのですが、お出かけ事があり遅い情報となりました
群馬・高崎の岩鼻は、江戸時代徳川幕府によってこの地に上野国、武蔵国内の幕府領・旗本領を管轄するために代官所が設置され、関東郡代として江戸北辺の守りの中心とされました
明治政府発足直前の陣屋崩壊と共に、新政府は「岩鼻県」を設置し、旧代官所跡が岩鼻県庁となり「岩鼻県」の中心地となりました
明治2年(1869年)の廃藩置県後、明治4年第1次府県統合に伴い上野国内の8県が現在の「群馬県」に統合されたことにより「岩鼻県」の呼号は廃止され、県庁は高崎城内に移されたのだそうです
現在は代官所岩鼻陣屋跡が残るのみですが、綺麗に整備され往時の歴史を垣間見れます
陣屋跡に残っている桜が、今満開です・・・と云っても一昨日です
数本乗っていた桜の樹は大分巨木で、幹回りは二抱え以上はありそうです
枝一杯に咲き誇った姿は、見事の一言でした
頭上に高圧線の鉄塔が見えました
この高圧線は隣接した日本化薬(株)用電源供給のためと思えますが、歴史を語る桜の枝越しから、近代産業の象徴の鉄塔がとてもバランスして見えました
こんな句を作りました
鉄塔を 桜越しにて 歴史見る ( ダッペ )
古(いにしえ)を 桜の花に 重ねけり ( ダッペ )
群馬・藤岡の「七輿山古墳」の桜を見てきました
花冷えがする昨日(4月6日)は、西上州の辺りは桜が満開でした
群馬・藤岡市辺りは、6世紀前半に築造されたとみられる古墳群が沢山見れれます
特に白石古墳群の一つ 「七輿山(ななこしやま)古墳」は、6世紀代の古墳としては東日本最大級古墳として知られています
「七輿山古墳」は、利根川水系鏑川とその支流・鮎川に形成された舌状の河岸段丘上に三段築成で造られた前方後円墳で、大きさは全長145m、後円部直径87m、前方部幅106m、前方部と後円部の高さはともに16mあります
周囲に中提帯や外提帯と呼ばれる土手状の堤があって二重の周溝がめぐっています
今の時期になると、古墳は桜山に変身です
大きいので古墳全景を撮れませんが、見事な桜山です
ちょっと逆光になり暗くなりましたが、見物の人もチラホラ・・・満開堪能できました
古墳後円部の桜です
桜景アップしました
「七輿山古墳」の提帯には葺石、埴輪列が確認されており、その出土遺物は円筒・朝顔型円筒・人物・馬・盾など各種埴輪類、須恵器・土師器があり、特に円筒埴輪は7条突帯のある直径50cm、高さ1mを越す大型品で、貼付口縁と低位置突帯の特徴があるものだそうですが、受け売り知識で現物はまだ見たことありません
外周土手側に堀?があり、大きなため池ができています
池のヘリには桜(ちょっとポンポンのように固まってびっしり花開いていました)が植えられ、満開になっていました
池の面には、「ツバメ」が何羽もスイスイ舞っていましたが、ツバメってもう渡ってきてるんだ
桜開花情報・・・群馬・西上州の今・・・ソメイヨシノが咲き始めました
今朝は小雨ですが、とっても暖かで、いつも着込んでいた防寒着を一枚脱ぎました
傘を差しながら、高速道路方面まで「早朝歩き」です
一昨日(3月28日)、埼玉・熊谷で桜開花宣言がされました
昨日買い物がてら、群馬・高崎の榛名山麓近くを廻ってみました
車を走らせながら、桜を探しました
あっちこっちで、遠目で樹の枝全体が赤みを帯びてきて、近づくと枝先に幾つかの花が見えます
どうやら群馬・高崎は、3月29日が開花宣言です
高速道の法尻に植えられた桜は、1~2分咲きになってきています
早朝目覚めたばかりの桜です (奥の塀は、高速道防護壁です)
場所によって、桜の品種によって開花状況は異なるようです
桜はバラ科サクラ属サクラ亜属サクラ節に分類され、ヤマザクラやオオシマザクラ、エドヒガンなどの11種の野生種があり、これらの組み合わせで、現在400以上の品種があるのだそうです
そんな中で、ソメイヨシノは本州から北海道の南部(道南)まで広く分布し、オオシマザクラとエドヒガンの雑種(交配種)だそうですが、今では全国の桜の名所のうち約8割がソメイヨシノを植えていると言われているほどポピュラーです
という訳で、高速道法尻に植えられた桜は、ソメイヨシノと思われます・・・ちょっと安直断定かな!?
同じソメイヨシノですが、介護老人ホームの柵周りに植えられたソメイヨシノは陽当たりがいいせいか大分開いている花が多く感じました
覗き込むようにして、下からアップしました
ソメイヨシノの花弁は5枚で、葉が出る前に花が開き、満開となります
花色は蕾では萼等も含めて濃い赤に見えますが、咲き始めは淡紅色、満開になると白色に近づきます
萼筒は紅色でつぼのような形をし、満開時には花だけが密生して樹体全体を覆うように咲きます
樹高はおおよそ10~15mほどになり、日本の春を飾ります
来週は満開の桜が見れそうです
群馬・箕郷梅林に行ってみました・・・群馬・梅情報
群馬県は古くから梅の産地として全国的に有名です
中でも西上州・榛名山麓には、「ぐんま三大梅林」と言われる安中市の「秋間」、高崎市の「榛名」「箕郷」の3つの梅林が広がっています
二、三日前買い物がてら、「箕郷梅林」に寄って来ました
「箕郷梅林」は、榛名山の南麗、標高140mから390mの近隣を一望できる丘陵に広がり、その規模は300ha・10万本の梅の樹が植えられて、東関東随一の規模だといわれています
箕郷梅林に行くには、関越道前橋I.Cで下り、「高崎・長野」方面出口→国道17号線約4km ➝「並榎町」の信号を右折→市立箕輪小学校を目指して直進→県道126号線で榛名湖を目指して約2kmで左折した一帯です…約30分(11km)
渋川・伊香保I.Cからだと、30分(16km)です
この日はちょっと肌寒かったですが、遠方からバスが何台も観梅に訪れ、昼時近いせいもあり宴を催している風景が見られました
樹下でお弁当を拡げる団体さん 向こうのテントでは、屋台が組まれカラオケがされていました
梅林の梅は樹齢10年から30年の梅の実生産に最適なものが多いようですが、中には樹齢100年以上の古木もあり見事な枝振りを見せて、梅栽培の歴史の古さを物語っています
梅林展望台 手前 樹齢100年以上といわれる箕郷梅の生みの原木のようです
梅の生産だけではなく、観光客に向けて観梅用にと、大分「花梅」が沢山植えられて、色とりどりの風景がつくりだされています
花梅とロウバイが香りを競っていました 枝垂れ梅の笑顔です
枝垂れ梅の梅林がありました 正面奥に、榛名の山(?)が見えます・・・子持ち山かもしれません
今年は寒さが遅くまで続いたせいか、花の盛りはまだまだこれからです
品種によって花の時期が異なりますが、箕郷の梅の代表選手である「白加賀」はこれからが盛りです
ツボミが大分膨らんできていました
来週あたりが最高かもしれません
国指定史跡・八幡塚古墳を見てきました
先だって、榛名山麓の「土屋文明記念文学館」に行きましたが、この辺り・榛名山東南麓一帯にはたくさんの古墳が見つかっています
文学館裏手は、国指定史跡保渡田古墳群の一つ「八幡塚古墳」が復元されております
文学館を見学した後、「八幡塚古墳」をぐるり散策してきました
古墳の周囲は外堀・外周構が復元され、円筒埴輪を並べ散策路が造られ、全周眺められるようになっています
向かって正面は、土屋文明記念文学館です ・・・右の土塁は、「八幡塚古墳」です
「八幡塚古墳」は、国指定史跡保渡田古墳群(二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳)の一つで、1500年前(5世紀後半)に築かれた前方後円墳です
墳丘は全長96mで、周囲には二重の堀(内掘・外堀)と墓域の境を示す溝(外周溝)が巡り、墓域の長さは約190mに及んでいますから、周囲をめぐるのに格好の散策コースになっていました
本古墳は、史跡公園計画のもと5カ年にわたる発掘調査を行い、その成果を基に大きく破壊された古墳上に保存用の土を厚く盛って、造られた時の姿に復元されたものだそうです
「八幡塚古墳」の復元景 ・・・ 円筒埴輪群は復元にあたって作られたもので、発掘されたものではないようです
保渡田古墳群は約1500年前(5世紀後半)の豪族が眠る古墳で、上毛野一帯の盟主的な存在がいたと考えられています・・・ちなみに付近では、豪族の居館(三ツ寺I遺跡)も発見されているそうです
「八幡塚古墳」は、平成8年度から平成11年度までの4ヶ年をかけて築造時の姿に本格的に保存復元が行われ、全国の中でも数少ない葺石に覆われた姿を見ることが出来ます
古墳形状は上記しましたが、前方後円墳で、墳丘は全長96m・3段に造られ、内堀、外堀、外周溝がめぐり、それらの間には内堤、外堤があり、墓域自体はなんと190m・内堀の中には4つの島(中島)があるのが特徴になっています
埴輪は6000本ほど設置されていたと考えられており、復元に当たっても出来る限り配置したようです
この古墳には2ヶ所、人物・動物埴輪を置く場所「形象埴輪配列区」があり、各々約50体づついます
円筒埴輪を並べた向こうに古墳を見る
「形象埴輪配列区」に並んだ人・動物埴輪 正面ずっと向こうに「二子山古墳」
八幡塚古墳の向かい側には二子山(愛宕山)古墳があります
こちらは葺石の復元まではされていませんが、生い茂った樹木は伐採されており、昔ながらの形状を見ることが出来るようですが、この時は眺めるだけで帰ってきました
二子山古墳は八幡塚古墳よりも前に造られ、形も前方後円墳であり、墳丘長も約100mある巨大なもののようです・・・八幡塚古墳よりも大きいようです
「保渡田八幡塚古墳」の三段築成状況です・・・古墳向こうは榛名山系です
郡馬県立・土屋文明記念文学館にも春が来てました
先日、買い物がてら、榛名山麓方面に春さがしをしに出かけてきました
新聞の紹介で、ノーベル文学賞作家「ヘルマンヘッセ」の昆虫展をやっているというのを思いだし、「群馬県立・土屋文明記念文学館」に立ち寄ってきました
「土屋文明記念文学館」は、高崎市街から国道17号線を約2.3kmほど南西に直進したところにあります
「土屋文明」は、榛名山の麓に位置する上郊村保渡田(現・高崎市保渡田町)の出身で、伊藤佐千夫に師事すべく上京して、様々な若き文豪との交流しながら歌人として日本文壇に影響を及ぼしました
日本人の心の発露ともいうべき短歌を生涯詠みつづけ、その源である『万葉集』の研究でも大きな足跡を残した事が知られています
記念文学館入口は、散策できるように庭園が造られており、土屋文明の記念碑が建てられていました
梅の花がちょうど咲き始め、春がはじまったばかりです
榛名をこよなく愛した「土屋文明」の歌です
文明歌碑の前に、郡馬出身の詩人・山村暮鳥の「風景」歌碑がありました
「いちめんのなのはな」と詠った詩に榛名山麓の風景が目に浮かんできませんか
先だっての大雪の残り雪がほんの少し日陰に残っていましたが、暖かな陽射しで春満喫できました
この日の特別展示は「ヘルマン・ヘッセ」の昆虫展でした
館内写真は撮影禁止ですので、昆虫展の内容はお見せできませんが、「ヘルマンヘッセ」の短編小説「少年の日の思い出」を中心としたヘッセ作品に登場するチョウの貴重標本が展示され、とてもいいものを見た思いがしました
「ヘルマン・ヘッセ」は、ドイツの作家で、主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者で、風景や蝶々などの水彩画もよくし、南ドイツの風物のなかでの穏やかな人間の生き方を画いた作品群の他に、ヘッセの絵を添えた詩文集は、今でも人気があります…ウィキペディア百科辞典より
「少年の日の思い出」は1947(昭和22)年から60年以上も中学校の国語の教科書で取り上げられている作品で、2012年からはすべての検定教科書に載っているそうです
さらに2009年4月、この作品を「昆虫標本」により具現化しようと、ヘッセと同じく昆虫採集を趣味とするファン2人が人文科学的昆虫展示会を行ったのが、この昆虫展につながっているのだそうです
この展示会は日光市・大阪市・徳島市・鹿児島市・下野市・軽井沢町・川口市・福山市など全国10都市の公立博物館等にて巡回展示され、2010~2013年、ドイツ・スイスのヘッセ博物館でも開催され、ドイツ・日本両大使館の後援が付いたもので、とにかく一見の価値ありでした
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